異世界から来たガイア 68
第68章
ガイア
髪を高い位置でひとつに結び、イラールが用意してくれたリュックのひとつを背負う。それから、必要になったときに布を細長く切れるよう、青銅製の鋏も入れる。
「殿下、それは私がお持ちします」イラールも私と同じように荷物を背負う。
そう言うだろうと私のコンバースを賭けてもよかった。「馬鹿言わないの、二人で持つのよ。あなた一人で全部できるわけないでしょう」
「ですが、それが私の役目です」
「だから私が手伝うのよ」
部屋を出て、ハレムの外へ向かう。
別の側室が鼻をつまむ。「どうしてこんな貧乏人がここにいるの?」
鼻を鳴らす。忌々しい、役立たずの寄生虫め。
「あら、あなたでしたの、イシュダー! ごめんなさい、この場所にふさわしい女性にはまるで見えなかったものですから。たまには体を洗われたらどうかしら」
そのアマは無視する。毎日体は洗っている。ただ香水で体を満たすのを避けているだけだ、病院に行けば一瞬も持たないのだから。
外へ出ると、護衛の兵士たちが一個小隊ほど待機していた。
二人の兵士が荷物を持つと申し出てくれたので、遠慮なく任せる。
一人の兵士がイラールに熱い視線を向ける。イラールは恥ずかしそうに目を伏せ、頬を赤らめた。感じのいい青年だし、私の侍女だって例外じゃないらしい。
昔なら私もハンサムだと言っていたかもしれないが、マリクのせいで男に対する私の基準は決定的に変わってしまった。
この十日間と同じように、今日も病院へ向かう。すっかり習慣になり、私が通りかかると人々は挨拶をし、お辞儀をする。
今では人々が主に私と戦争について噂しているのも知っている。
「殿下、なぜ他の方々の挑発に一切お答えにならないのですか?」
「時間とエネルギーの無駄だからよ。もっとやるべきことがあるの」
「ですが、たまには少しお召し物を整えられてもいいのでは。私がお綺麗にお召しかえやお化粧をいたします。宝石なども」
王は私に宝石をくれたが、病院の食べ物や医師代のためにすでに三つの指輪を売ってしまった。身につけないほうが無難だ。「必要ないわ、つけたくもないし」
「私はお飾りしたいです。専属侍女としての私の面目にも関わりますから」
「もう説明したでしょう」ある夜、私が泣いているのを見つけた彼女にマリクのことや彼がいかに恋しいかを話した。私が別の男のために着飾る気などないことも彼女は知っている。
「はい、殿下。申し訳ございません」
「落ち着いて、私だって不快に思うわ。ただ気にとめないと決めただけよ」彼女が知らないのは、私の目的がマリクを助けることだという点だ。誰もが知っている感情を匂わせることと、捕虜を兵士に変える計画をあからさまに話すこととはまったく別物なのだ。
角を曲がると、さらに二人の女性が私達に合流する。二人とも洗濯物の入った籠と野菜を持っている。「おはようございます、殿下」
「おはよう」昨日、二人とも自己紹介してくれたけれど、名前はもう忘れてしまった。ただ、一人の夫が脚を怪我していて彼女が見舞いに通っていること、もう一人はその友人で手伝っていることは覚えている。
多くの民間人が協力してくれており、彼らにも私の企みを悟られないよう注意しなければならない。私が接触した捕虜たちが正体を隠したままきちんと役目を果たし、私のことまで発覚させないでいてくれることを願うばかりだ。
病院の扉はすでに開いており、私が王の宝石で雇った医師の一人が巡回している。「おはようございます、殿下」医師は捕虜の一人である脚を骨折した青年から手を離さずに私に挨拶する。
「おはよう、今朝の様子はどう?」
「昨夜は一人も亡くなりませんでした。これで二晩続けてです」
ここはあまりにも不衛生で、ただの傷でさえ感染して治療が難しくなるほどだった。「それは素晴らしい知らせね」兵士たちがリュックを下ろして地面に置き、そのまま外で指示を待つ。
「掃除もずいぶん上達しましたね。それに、傷の手当てもかなり良くなっています」
清潔に保つことと感染の関係に気づいてくれたらしい。これがさらに多くの命を救うことに繋がればいい。「ありがとう。布と敷物を持ってきたわ、必要なら包帯も作れる」
「それは助かります、包帯を交換したほうがいい患者を指示しましょう」
「わかったわ」包帯を交換する時間は、疑いを招くことなく捕虜たちが何を考えているのかを探る絶好の機会だ。
二人の女性は身内に食事を与えており、あとで他の者たちにも分けてくれることを私は知っている。
医師が包帯を替えるべき者たちを指し示す。昨日私が味方に引き入れた捕虜もおり、彼は治ったら他の戦友たちに噂を広めてくれるはずだ。
巡回を終えると、医師は他で作業をするために辞去する。
時間がない。敷物と鋏を取り出し、捕虜の一人の元へ向かう。基本的な挨拶や通り一遍の儀礼を交わし、包帯を替え始める。足首をくじき、脚にはたくさんの切り傷を負っている。
彼は呻き声を押し殺す。
「痛むのはわかるけれど、治ってきているようね」添え木はそのままにして、脚の切り傷や擦り傷を拭うことに集中する。
「ですが、いざという時に走れません……」彼が小声で呟く。
「できることは他にたくさんあるわ……」私も小声で呟く。「私たちが話したことを他の捕虜たちにも知らせて」
「すでに済ませました。今日、ここにいた者の一人が採石場に戻ります。私たちの仲間です」
彼にウインクする。「素晴らしいわ」
「それと、もしかしたら作業員の一部も手助けしてくれるかもしれません」
私は動きを止め、怪訝そうに彼を見る。「どういう意味?」
「彼らは絶望しております、殿下」
包帯の手当てを再開する、自然に見せかけなければ。
「我々が勝利すれば状況を改善できると考えている者が大勢おります……」彼は小さな悲鳴を漏らす。
包帯を剥がす際に少し傷口のかさぶたが取れ、血が出るが膿はない。感染はしていない。「気をつけて……」彼に囁く。「とてもいいわ! もう膿は見えないし、傷も良くなっていて感染の心配もないと言えるわね」
「感謝いたします、殿下。そして他のすべての神々にも感謝を」
他の神々って、どういう意味? 別に私、女神じゃないんだけど。
包帯を取り替え、傷口を拭う巡回を続ける。
警備兵たちは綺麗な水を汲んで来たり、古い包帯を洗うために沸かしたりと行き来している。無駄遣いはできないのだ。
一方、私は状況を把握しようと努める。捕虜たちはみな私の味方であり、採石場に戻れ次第、仲間たちも引き入れてくれるはずだ。
一方で地元の労働者たちについての目論見も、案外間違いではないのかもしれない。彼らはあまりに惨めな状況にあるため、政権交代を好意的に捉える可能性がある。マリクなら彼らのそんな感情を認めないだろうし、理解すらできないはずだ。イタリアが第一次世界大戦で何をしたかを知ったら、それこそ呆然とするだろうに。
作業員の一人の手に巻かれた包帯を整える。初めて会ったとき、ここから百フィートしか離れていない場所で生まれ育ったと私に話してくれた男だ。
「なぜこのようなことをなさるのですか、殿下?」
誰もが私に尋ねてきたことだ。「捕虜たちに人道的な扱いをしてほしかったの。そして王は約束を守ってくれた。それに、私にもわずかなことで状況を良くできると分かったから、そうしただけよ」
「あなた様は素晴らしいお方だ。もし私たちが二人とも相手がいなかったら、結婚を申し込んでいたところです」彼は笑みを浮かべる。
そして私は本当に(心の中では)相手がいるのだ、マリクという。「お褒めの言葉として受け取っておくわ」
「もちろんです。でも、妻には言わないでくださいね」
隣の男が彼の肩を叩く。「心配するな、俺が言ってやる。そうすればライバルが一人減るからな」
意図せず、どうやら私は自分のファン層を着々と築いてしまっているようだ。
「殿下」警備兵の一人が入口から顔を覗かせる。「お客様でおられます」
一体誰が私に用だというのだろう。
敷居をまたぎ、通りへ出る。
私を待っていたのは警備兵の一群と、私と同じくらいの年齢の少女だった。後宮で見かけたことがある、側室の一人に違いない。「ガイア・イシュダー、本当に採石場の傷病者たちのお世話をなさっておられるのですね」
「どうやらそのようね」噂は初日から広まっていたようだ、どうやら至るところに。
「間違いなく称賛に値するお仕事ですわ。私にはとてもそのような真似はできません。傷口を見ると気を失ってしまうんですの」
「それは気の毒に」何が目的なのだろう。手に取るように分かる自慢話をしに来たのか、それとも私が誰だか分かっていないのだろうか。
ハエ라도 追い払うように手で仕草をする。「構いませんわ。何しろあなたは戦の女神から遣わされたお方ですもの、血が二滴ばかり出たくらいで立ち止まらないのも当然です」
「よく言われますわ。側室があまり血を見ずに済むのは幸運なことです」
「ええ、女で幸いでしたわ。もし男だったら、父にとうに勘当されていたでしょうね」彼女は胸の前で手を合わせる。「ところで、私が参りましたのは、あなたに関する噂が本当か確かめるためだけではありませんの。ヴェルティワザ王が、今すぐ宮殿へ戻るようあなたをお呼びなのです」
私を突き止めたのだろうか? 私は身をすくませる。「な……なぜでしょうか?」
「分かりませんわ。王がハレムに入ってこられてあなたを要求されたので、私が自願して呼びに参りましたの。あの方はお怒りのあまり、私の申し出をお認めになりました。あの方らしくもないことです」
本当に企みが露見したのかもしれない、言い訳を考えなければ。「なぜお怒りだったのですか?」
「戦争に関することだと思いますわ。いずれにせよ宮殿に戻れば分かります。ご一緒いたしますわ、そうすれば嫉妬深い女たちやそれ以上に質の悪い者たちから離れて、お互いを知ることができますもの」
「選択の余地はないようですね」
「その通りですわ」
イラールを連れ戻し、私たちは宮殿に向かって歩き始める。
バイオリンの弦のように全身の神経が張り詰めている。ヴェルティワザが怒っていたとすれば、私の正体や企みを察知し、それを知らせるためだけにこの女を寄越したのかもしれない。
「体にしても」その少女の声に思考を遮られる。「すれ違ったことしかなくて、まともに自己紹介もしていませんでしたわね」
「あまり宮殿にはおりませんでしたので」
「羨ましいことですわ。自由にお出かけになれて、正解でしたわね。あの中に時間を費やす価値のある人間なんて、ほんのわずかしかおりませんもの」
高慢な女。「いずれにせよ、まだお名前を伺っていませんわ」
「私はグウェンダライル。ヴェルティワザ王の第三妃であり、グウェンディッス将軍の娘です」
「ガイア・イシュダー。ドゥルハン帝国の皇女であり、ヴェルティワザ王の側室です」
「ねえ、ここからはお互いタメ口で話さない? 少なくとも私たちの間では、こんな肩書きなんて無意味だと思うの」
「いいわよ」
「もっとも、お互い知っている通り、あなたが側室なのは名ばかりだけどね」
「どういう意味?」
「王は間違ってもあなたに触れる気なんてないってこと。ただの政治的パフォーマンスよ」彼女は私に微笑みかけるが、なぜ笑っているのか分からない。
宮殿のある街の高台へと上っていく。「安心しなさい、王と私たちの間には感情的な繋がりなんて何一つないんだから」
「知ってるわ。裏切られていなければあなたもここにいなかったでしょうし、捕虜交換の対象首でもなければ、王の計画にすら入っていなかった。信じて、私は王の計画を熟知しているの」
「あなたのお父さんの関係で?」
「それもあるし、ヴェルティワザはいくつかの件で私に相談するの。父は将軍で、母はエギント貴族の娘。私は幼い頃から政治漬けで育ったから、私の見解が重宝されることもあるわけ」
「なるほどね」へえ、私と同世代なのに、もう王国の陰謀や策謀にこれほど食い込んでいるなんて。まあ、考えてみればマリクだってそうだ。君主制の国ではこれが普通なのだろう、私の元の世界では考えられないことだ。
「体に、あなたは父にすごく良い印象を与えたのよ。直接会って話してみたかったのは、それも理由の一つね」
「彼のことは覚えていないわ。ごめんなさい、人の名前を覚えるのが苦手なの」
「あちゃー、それは致命的な欠点ね。側室ならなおさらよ」
「改善できるよう善処するわ」
「とにかく、私の父はあなたをここへ連れてきた将軍よ」
「ああ」確かに私に対して敬意を払って接してくれたけれど、もし彼が私を連れてきたりしなければ、今頃私はマリクと一緒に安全な場所にいられたはずなのだ。
グウェンダライルが私の肩に手を置く。「そのことで父に腹を立てないでね。ただ命令に従っただけだし、できる限り敬意を持って接しようとしてくれたんだから」
私は頷く。「分かってるわ。もちろん、そうしてくれなかった方が嬉しかったけれど」
「ことわざにもあるでしょう? 一度投げた石は戻ってこない、って」
ため息をつく。「要するに、後戻りはできないってことね」
「できないわ。前へ進むしかないの」
「野心家なのね」
「いいえ、現実主義者なだけ。ここにいる人間の大部分より自分が優秀だと知っているだけよ」
「少々高慢ね」
「あなたもそのうち実感するわ」
宮殿に入り、グウェンダライルに案内されてとある大広間へ入ると、一人の役人が出迎えてくれた。「おお、連れて来られましたか」彼は私に向き直る。「ガイア・イシュダー殿下、お召し替え用の衣装をお持ちいたしました。お着替えの上、謁見に臨んでいただきます」
「何の謁見?」
「王からはお着替えをさせるよう命じられておりますが、それ以外はお伝えするなと言われております」
背筋に冷たい戦慄が走る。服はミルワンの兵士の軍用チュニックで、革ベルトもあるが、武器はない。
戦の女神の役を演じなければならないのだ。




