異世界から来たガイア 65
第65章
ガイア
ついさっきまで私に野次を飛ばしていた群衆が、今では拍手喝采している。私がどんな射撃をしようと誰かが死ぬ運命にあったのだと理解し、私が王の知恵を上回ったのだと気づいたのだ。
マリクなら、きっと私を誇りに思ってくれる。
それに、私は神々の加護を受けていることも証明した。少なくともこの人たちにはそう思わせることができた。それだけでも、私を助けるには十分なはずだ。
王がバルコニーに身を乗り出し、手すりを強く握りしめる。怒りに満ちている。私を殺して民衆の士気を高めるという彼の計画を、たった今打ち砕いてやったのだ。それも、彼自身のルールを彼に対して利用して打ち負かした。王は憎しみを込めて私を睨みつけている。
今なら、この機会を利用できるかもしれない。
「陛下!」私は王の注意を引く。「望みを一つ叶えてくださるとおっしゃいましたよね!」これで無事にマリクのもとへ帰ることができる。
王は目を逸らし、その姿が私の視界から消えた。
くそ野郎。「ヴェルティワザ!」声の限り叫ぶ。
角笛が長く吹き鳴らされる。
群衆の拍手が止まり、不満げなささやきが広がる。
何かが起ころうとしている。探して、それが何であれ、私にとって良いことではないはずだ。
群衆を見回す。
何人かが私の後ろを指さし、一人の子供が頭に手をやって興奮のあまりその場で飛び跳ねている。
指さされた方向へ振り向く。
鉄格子が持ち上がり、大きなライオンが現れ、空気の匂いを嗅ぎながら私に向かって進んでくる。
手足が震える。
つがえていた矢が手から滑り落ちる。
背後の捕虜が祈りを呟いている。イシュダーに祈っている。私に祈っているのだ。
ライオンは豊かな鬣を風になびかせながらゆっくりと歩みを進め、唇を舐めて私を見つめる。
ここに食べ物がある。今日はきっと何も与えられていないのだ。
「さあ、偽りの女神よ!」ヴェルティワザが声をかける。「どう思う?」
「あなたはインチキよ!」
「お前は私のルールをかいくぐった! ならば対抗策を講じねばならん! 本当にイシュダーにお前が愛されているのなら、何の問題もないはずだ!」
そうね、少なくともイシュダーは私を守ってくれているようだし、今日は他に用事がないことを祈るわ、彼女の助けが必要なのだから。祝福された剣があればもっと心強いけれど。「終わったら約束は守りなさいよ!」
王は笑う。「もちろんだ!」
ライオンが私を観察している。どう襲いかかるか品定めしているのだ。
落ちた矢を拾い上げ、一本をつがえる。
首は守られすぎている、あそこを狙ってはいけない。狙うべきは額、脳を打ち抜くのだ。それしか方法はない。
今はせいぜい十メートルほど。
奴は私を獲物に定めた。
生き残り、捕虜たちも救わなければ。
矢をつがえ、弓と一緒に残りの二本も手の中に保持する。
ライオンが加速し、躍り出る。
一本目の矢を放つ。
左目。
ライオンは足を止め、苦痛の咆哮をあげる。
だが、まだ生きていて立っている。
一筋の血が鼻面を伝って流れ落ちる。
別の矢をつがえる。目を潰しはしたが、まだ倒せてはいない。
イシュダー、何度も働かせてごめんなさい、でもまだあなたの助けが必要なの。
額の中央に狙いを定める。
今度こそ頭蓋骨を打ち砕かなければ。
ライオンはうめき声をあげるが、残された健全な目で私を見失おうとしない。
矢を放つ。
ライオンが頭をそらし、矢は鬣の中に消える。
くそっ、外した。
弓を再びつがえる。
ライオンが突進してくる。
大きく跳び上がる。
脇へ跳び退き、胸に矢を放つ。
矢は羽の根元近くまで深々と突き刺さる。
地面を転がる。
ライオンは地面に崩れ落ち、重くゆっくりとした息を吐いている。
倒しはしたが、まだ生きている。私は無防備だが、もう害を加えることはできないはずだ。
群衆は大歓声をあげ、イシュダーの名を叫び続けている。
瀕死のライオンの足元を避けながら、その周囲を回る。
死にかける。
鬣から矢を抜き取り、その体を撫でる。思っていたよりも柔らかくなく、まるで毛皮の鎧のようだ。弓をつがえる。苦しみを終わらせてやるのが道理だ。その正面に立ち、額の中央を狙う。
起き上がる力はなく、残された目で私をじっと見つめる。悟ったのだ。
放った矢は、両目の間に正確に突き刺さる。
ライオンは最後に一度だけ痙攣し、やがて動かなくなった。
私の勝ちだ。
インチキや彼なりのルールにもかかわらず、最後に勝ったのは私だ。本当に神々に愛されているのかもしれない。どうやって感謝すればいいのか、マリクに聞いてみなければ。
「見事だ! 敵の寵姫は神々の加護を受けていることを証明してみせた!」王は今回、私を偽りの女神とは呼ばない。「さあ! 約束通り望みを一つ口にするがいい。速やかに叶えてやろう」
バルコニーから頭から飛び降りろと頼んだらどうだろう? 流石にそこまで親切に聞き入れてはくれないだろう。手に職があるわけでもないし、それが私の本当の望みというわけでもない。私はここから去りたいのだ。まずはマリクのもとへ帰り、それから自分の世界へ戻りたい。
闘技場に完全な静寂が降り立つ。
誰もが私の決断を前に、固唾をのんで息を殺している。
一番当たり前の選択は、無事にマリクのもとへ帰ることだ。それが私にとって最も自然で、最高の選択だ。
三人の捕虜が希望に満ちた目で見つめてくる。彼らの言う通りだ。この状況に置かれているのは私だけではない。捕らえられ、恐ろしい運命を辿るであろう兵士たちが他にも大勢いるのだ。彼らも解放してあげるべきではないか。
だが、水も食料も武器もなしではどうにもならない。リギオンからは離れすぎているし、このあたりの地理に詳しい者も誰もいないだろう。
ヴェルティワザにしてみれば、兵士を数人送り込んで私達を殺させれば済む話だし、それどころかどこかの村の自警団だけでも十分だろう。
もちろん、私一人だったとしても同じことだが。
「待っているぞ!」王が私を催促する。笑みを浮かべている。マリクのもとへ帰りたいと言い出すのを期待しているのだ。
それはできない。
「決めました!」
王がほくそ笑む。
悪いけれど、期待外れに終わらせてもらうわ。「すべての戦争捕虜に対して、尊厳と人道にかなった待遇を個人的に保証していただくことを望みます!」
王の笑みが消え去る。予想外だったでしょう?
闘技場がざわめきに包まれる。
私は両腕を広げ、王に背を向けて闘技場全体へと向き直る。「どんな戦争も、死と苦しみをもたらします!」中央へと進み出る。「どんな戦いでも、多くの人々が捕虜になることを私たちは知っています! 家で帰りを待つ家族がいる人々です!」あなたと同じように、ママ、パパ、 crushed/Sofi... 「愛する者たちが捕虜となった際、気晴らしに殺されるのではなく保護されると分かっていれば、誰もがもっと安心できるはずです! ええ、働かせても構いません! ですが、戦争が終わり和平協定が結ばれた時には故郷へ戻れるという希望を与えてください!」
「よく言った!」一人の女性が叫ぶ。
手に続いて次々と声が上がる。やがて拍手が湧き起こり、私の異名である「イシュダー」の歓声が闘技場に響きわたる。
ごめんなさい、マリク。心からそうしたいけれど、あなたのもとへは帰れない。今じゃないの。でも約束するわ、あなたの障害にならないよう全力を尽くすって。
***
私の場合の「人道的な待遇」とは、藁の山を寝床にした個室の小さな牢屋と、看守の話によれば一日に一度満たされるバケツと深皿ひとつだった。けれど、少なくとも生きている。昨日闘技場に入った時には、命があるなんて賭けにもならなかったのに。
ため息をつき、あり合わせの寝床の上で身を翻す。一晩中泣いた。自分の自由を選ばなかったことを少し後悔もしたが、彼らをここに置き去りにはできなかった。道中で殺されなかったとしてもだ。
帝国には私を殺したがっている人間が大勢いるが、少なくとも味方もいる。だがここでは一人きりだ。味方は誰もいない。あの将軍すら——くそっ、名前すら思い出せないけれど——彼はただ親切心と名誉のために行動してくれたのだ。彼ならきっと良い父親になるだろうと、何かが私に囁いている。
足音が聞こえる。一人だけのものではない。
好奇心から、私は体を起こして座る。
ヴェルティワザ王が親衛隊の一団を伴って、こちらへ歩いてくる。「どうだ、イシュダー。ここでの滞在は気に入ったかね?」
星ゼロ評価をつけてやりたいところだが、この冗談は理解できないだろう。「改善の余地はありますね」
「あはは、違いない。まさにその件について話しに来たのだよ」
「お聞きしましょう」
「マリク王子は、お前を大切にしているのかね?」
「とても」この質問で彼がどこへ着地しようとしているのか探りたい。
「相手を取り戻したがっているのだろうな」
「あなたが彼の立場なら、同じように望むでしょう」
「だが私は彼ではない。さて、どうやって奴が自身の寵姫を軍事遠征に伴うことができたのか教えてもらおうか」
「伴った、ただそれだけです」私の過去のすべてを話すつもりはないし、話せるわけもない。
「正当な理由もなしにそうできたとは思えんな。部隊から反発が起きたはずだ」
まったく、私を信じるなんて馬鹿くらいなものだわ。
「では、あの男は本当にお前をイシュダーの使者として紹介した、というわけか」
私は頷く。
「それに、少なくとも弓の腕はなかなかのものだと証明してみせた。肝も据わっている」
「どうも。でも、あなたがここへ来たのは私を褒めるためじゃないでしょう」
「お前の決断にも驚かされた。自由を手にする代わりに、ここに残ることを選んだな。なぜだ?」
「あなたが私をマリクのもとへ帰すはずがないと分かっていたからです。面目を潰されたうえに、あなたの民の士気まで下がる。もし私が自由を要求していたら、城壁を出てすぐに私を殺させていたでしょう」
ヴェルティワザは手を叩く。「見事だ。お前や他の捕虜の自由を要求されていたら、まさにその通りにするつもりだった」
予想通りだ。
「本当に見事だ、私の先手まで読んでいたとはな」
「割と当たり前のことです」
「これほど若い妾にしてはそうでもない。お前、何歳だ? 十三歳にしては背が高いな」
「もうすぐ十八歳です」私は胸の前で腕を組む。あと二週間で十八歳の誕生日でもあるのだ。
「ほう。あの歳でそこまで平らなのも珍しいな」王は否定するように首を振る。
「マリクは気にしません」
「そうかそうか。あいつは女の趣味が変わっているからな。もっとも、お前には他に誇れるものがあるようだが」王は人差し指で自分の頭を指す。
「褒め言葉として受け取っていいんですか?」
「好きにしろ」
口に拳をぶち込んでやりたいところだが、そんなことはできない。「王様がわざわざ牢獄を訪れるなんて珍しいことですけれど、なぜここへ?」
「さて、この手も先読みできるかな?」
「少なくとも、私の様子を見に来たわけではないでしょう」
「私に心がないわけではない。それに、お前は王女だ。忘れたわけではないぞ」
「王女にふさわしい扱いには思えませんが」
「望むか?」
「何がです?」
「王女として扱われることをだ」
「どういう意味ですか?」
「この牢はお前の身分にふさわしくないということだ」
「ここから連れ出しに来たんですか?」
「お前が望むならな」王は両手を挙げる。「お前の意思に反してまでそうするつもりはない」
「今の私の意思に、大した意味があるとは思えませんが」
「そうとも限らんぞ。なにしろ女神が遣わしたお前だ、神々の意思は重要なのだからな」
「あいにく今回は、あなたの手が読めなかったようです」
「私の宮殿に来て暮らせ」
「なんですって!?」
「そうだ、私と一緒に暮らせ」
「私は絶対にあなたのものにはなりません」それになにより、もしこの男と関係を持ったりしたら、二度と自分の世界、自分の家へ帰れなくなってしまう。
「世間の体裁のためだけだ。お前は私の後宮で暮らす。慣れていないのは分かっているが、女はお前一人ではない。すでに二十四人いる」
「一体どんな変態なんですか?」一人で二十四人も女を抱えてどうするのだ。どうせほとんど放ったらかしにしているに決まっている。
「安心しろ、お前に触れるつもりはない。胸のない女には興味がないのだ。マリクとは違ってな」
「では、どうして私を欲しがるんです?」
「忘れたか? 私の目的はドゥルハン人の士気を挫き、我が兵の士気を高めることだ。お前が私の後宮にいればその両方が達成できるし、闘技場でお前と交わした約束も守れる」
人道的な扱い、ね。「一晩中そればかり考えていたんですか?」
「一晩はお前が冷静に考えるために必要だったのだ、私には必要ない。それで、受けるか?」
この牢に閉じ込められているよりは、ずっとましだ。「他の捕虜に対してもあなたが約束を守っているか、私が確認できますか?」
「お前には常に私の兵を護衛につけ、監視もさせる」
「つまり、答えは『はい』と受け取っておきます」
「では、受け入れるのだな」
「あなたの後宮に入ります。でも警告しておきますけれど、私に触れようとしたら噛みちぎって去勢しますからね」
ヴェルティワザは頭を仰け反らせて大笑いし、その笑い声が牢内に響き渡る。「いいだろう」




