異世界から来たガイア 57
第57章
マリク
太陽が沈みかけている。
まもなく私を晩餐会へ呼びに来るだろう。
まもなくガイアと共に、仕掛けた罠を発動させる。
私はまだ眠っている侍女の様子を確かめる。鼻の下に指を当てると、呼吸は規則正しく目は閉じている。穏やかに眠っている。
万が一目を覚ましても叫べないよう口には猿ぐつわを噛ませ、手首と足首も縛って自由を奪っておいた。結び目を確認する。しっかり結ばれている。
結局のところ、父上の言っていたことはこの件でも正しかった。しっかりした結び方を覚えておくことは、思いも寄らない場面で役に立つものだ。
この娘には、目覚めたときに怯えすぎないよう、何か書き置きでも残しておきたいところだ。
ガイアなら私を罵るだろう、縛られ猿ぐつわをされて目を覚ませば、怖がるのは当然だと。
くそっ、まったく彼女の言う通りだ。
それに彼女は文字すら読めないだろう、どうやって伝言を残せというのだ。
鏡の前を通る。多くの貴族や王族とは違い、私は重要な場であっても自分で身支度を整えることに慣れている。
戦場に向かうつもりだったから正装の服はろくに持ってきていないが、一着くらいはある。あとは装身具がなんとかしてくれるだろう。
帯を締め直す。内に隠した短剣が脇腹を押す。見つからないよう注意しなければならない、ガイアの見せ場を待つ必要がある。
私の考え通りなら、現在二つの派閥が存在している。私に敵対する派閥に、先手を取って先制攻撃を仕掛ける口実を与えるわけにはいかない。
扉が叩かれる。「殿下」
呼ばれたのだ。同行の促しは暗黙の了解だ。「今行く!」絶対に扉を開けさせてはならない。ガイアと侍女が一緒に時間を過ごしていると信じ込ませる必要がある。
ティアラを整え、扉へと向かい、必要な分だけ開ける。
先ほど私を呼びに来た男がここで待っている。相変わらず顔にはあの作り笑い、不快だ。
「晩餐会へご案内に上がりました、殿下」
「ありがとう、待っていたところだ。行きましょうか」敷居をまたぎ、背後の扉を閉める。
男はため息をつき、大広間へと歩き出す。こめかみを汗が一滴、伝っている。不吉な兆候だ。奴は私の知らない何かを知っている。
「今日の件、礼を言いたかったのだ」
「おや、とんでもございません。ほんのささやかなことでございます」
「いや、感謝する。素晴らしい人選だった。あのルリは実によく気が利くし、私のガイアもすぐに彼女と打ち解けたようだった」
「それは何よりでございます」
廊下に衛兵はいない。時刻を考えれば、宮殿の別の場所か市内にいるのかもしかもしれない。いずれにせよ、ガイアに厄介事を起こさなければいいが。
「勿論、イシュダーも感謝しているぞ」もう少し喋るかどうか試してみよう。
「もったいないお言葉でございます、私はただ役目を果たしたに過ぎません」
「見事に果たした者には常に感謝すべきだ。己の仕事をまっとうできる者など、滅多にいない。そう思わないか?」
また一滴の汗。「ええ、ええ」
商売上手なことだ、そして彼もまた、私を罠にはめる役割を優秀にこなしたのかもしれない。惜しむらくは、全員を一網打尽にするための餌が私自身だということだ。
大きな両開きの扉へとたどり着く。
二人の衛兵がそれを守っている。左右に一人ずつ。
「到着いたしました、殿下」衛兵に目くばせすると、扉が開けられる。
「どうぞ」男は部屋へ先に入るよう私を促す。
ためらうことなく中へ入る。
玉座の前には、小さなテーブルを置いた十五脚ほどの肘掛け椅子が半円状に配置されている。
ジョフィ王が玉座から立ち上がり、両腕を広げて歓迎する。「ようこそ、ドゥルハン帝国のマリク王子」彼の左手にある空席を指し示す。重要な席だ。
うやうやしく一礼する。「お出迎え感謝いたします」
自分の席へ向かいながら、他の出席者たちの反応を伺う。案の定、敵意を向けてくる者もおり、特にそのうちの二人は、今にも私に襲いかかってきそうなほどだ。
席に着く。
さあガイア、次は君の番だ。
ガイア
タルクとともに荷車を降りる。
街に入るのは予想以上に簡単だった。食料品を積んだ荷車一台で十分で、二重底にはさらに二人と武器まで積み込んだのだ。
警備が強化されているのではないかと誰もが恐れていたが、実に拍子抜けするほど緩い。私たちを脅威とすら思っていないのだろうか。
ヴェールの下から髪を一房のぞかせる。
霊薬の効果が切れてからというもの、ずっと気分が良い。不快感や恥ずかしさが消え去ったかのようだ。
「閣下」タルクは周囲を見回すが、すでに日没近くで人通りもかなり減っている。「本気ですか?」
「ええ、言ったでしょう、宮殿の構造はわかっているわ」
「ずっと閉じ込められておられたというのに」
「言ったでしょう、必要な分は知っているわ」
「ですが、一番危険な役目は私達にお任せいただければよいものを」
彼は最初から私の作戦に反対していた。というか、可能性を見出したジル・バム以外の全員が反対だった。「上手くいけば命を救えるし、騒ぎを起こさずに済むわ」
「まさに……『上手くいけば』です」
「私を信じて」
「それはそうですが、万が一あなたに何かあれば私もタダでは済みません」
「わかっているわ」
タルクは片眉をあげる。「そんなに私のことがお嫌いですか?」
「何言ってるの? 大好きよ」
「そうは見えませんね、私まで危険に晒し続けておられる」
「全部うまくいくわ」
「そう願います」
「万が一しくじったらどっちみち全員おしまいなんだから、選択肢はないのよ」
「そのようなお言葉はお控えください」
「その通りね、でも軍人とばかり一緒にいると品性がなくなっちゃうの」
私の耳元に近づく。「国王陛下のためにも、軍人のようにゲップまでなさらないことを祈りますよ」
手を口元に当てて笑いを噛み殺す。「自分のためにもそう願うわ」
「いずれにせよ、本気ですか?」
服と帯のひだに隠したナイフに触れる。「ええ」
「剣なしで行動しなければなりませんよ」
ええ。けれど、これまでやってきたことを思えば勇気は十分すぎるほどあるはず。「やってみせるわ」
宮殿の門の前にある角に到着する。
三人の衛兵が配置されており、予想通り大門は閉ざされている。
だが通路の上には誰もいない。おそらく警備の交代中なのだろう。
「一つだけあなたのおっしゃる通りでしたね、閣下。かなり気が緩んでいます」
うなずく。「あの三人をおとりで引きつけて打ちのめせば、中に入れるわ」
「他の者たちも周辺の通りで準備を整えているはずです」
門が開けば一斉になだれ込むのだ。「少なくとも一人くらい鍵を持っているといいけれど」
「持っているはずです。入る手段も与えずに衛兵を外に締め出すなど、神々への冒涜ですから」
私にはくだらないことに思えるが、神々を裁く立場に私はない。「信じるわ」そして選択肢もあまりない。
「準備ができたらどうぞ」
「ええ、行くわ」結局のところ、このためにわざわざ綺麗な服を着てきたのだから。
息を乱すためにその場で駆け足をする。服や帯に隠した短剣が肌に擦れて相当な不快感だが、耐えるしかない。これで十分なはずだ。
角から飛び出す。「助けて!」衛兵たちの注意を引こうとする。再び叫ぶ。
三人の衛兵が私を見る、間違いなく私の容姿を品定めしているのだろう。
そのうちの一人が股間を触る。
三人に向かって走る。「助けて、助けてください」荒い息を吐く。
「どうした?」股間を触っていた男が間髪入れずに尋ねる。
私が出てきた道を指差す。「男が三人……追いかけてくるの!」
別の衛兵が顎ひげを撫でる。まるで山羊のようだ。「どうしてだ?」
「は? どうしてですって!」私は人差し指で彼の胸当てを叩いた。「逃げてきた女の子にそんなこと聞くの? まさかあいつらが私を傷つけるのが正しいとでも言いたいの?」
「事情が分からないからな。向こうのほうが正しいなんてことも、今回が初めてじゃない」
「許してやってくれ」三人目の衛兵が言う。思いがけず、とても淡い緑色の目をしている。「時々、奴隷が主人に復讐するために兵士に助けを求めるようなことがあったからさ」
「 printedでも、今回は違うわ」全く、私は被害者なのよ、ふりだけど。
顎ひげがため息をつく。「みんなそう言うんだよ」
「じゃあ、行って少し話をしてきてくれたら?」
「なんで出てこないんだ?」顎ひげが怪訝そうに私を見る。
「助けを求めてここに来たのよ。あいつらは所詮ごろつきだし、衛兵に刃向かうほど度胸もないわ」
股間を触っていた男が微笑む。「賢いお嬢ちゃんだ。で、その後どうするつもりだ?」
「父のもとへ戻らなきゃ」
「で、護衛が欲しいんだろ」彼が浮かべたいやらしい笑みで、どこに行き着きたいのかが見て取れる。
「そうね」私は唇を噛む。「助かるかもしれないわ」
「でお父さんは誰なんだ?」顎ひげは家系図まで知りたいのかしら?
「ミルワンの商人よ。ここにはめったに来ないんだけど、商売でキッタンナへ行こうとしていたの」
「危険だな」
「だからこそ、かなり儲けるつもりでいるわ」
「なんでお前を連れてきたんだ?」
そうね、なんで家で糸を紡がせておかなかったのかしら?「それは言いたくないわ」かなり苦しい言い訳だ。
股間を触っていた男が彼の肩に手を置く。「おいおい、神経質すぎるぞ。行き交う商人の数を考えれば、誰かがトラブルに巻き込まれてもおかしくないだろ」
「ああ、そうだが、こんな旅に娘を連れて行く商人を何人知ってるんだ?」
「そうする理由があるんじゃないか?」緑の目が話を遮る。「いずれにせよ、ごろつきどもに一言言いに行くだけなら何の損もない」
「ありがとう」まばたきをして見つめる。
「退屈に感謝しな、俺じゃなくてな」
「ほら格好つけようとしてる」股間を触っていた男がウインクしてくる。
緑の目が彼を睨みつける。「お前はここで娘と待ってろ。ところで、名前は何て言うんだ?」
やばい。「ジェスア」ここでもキッタンナだけでなく一般的な名前だといいけれど。
緑の目が不思議そうに私を見る。「珍しい名前だな」
「祖母の名前なの」実際、私の祖母の名前はガイアだった。
「そうか」
うなずいてまばたきをする。できる限り大人しく無垢に見えるように努める。
「よし、俺たち二人は様子を見てくる」
顎ひげがため息をつく。「わかった」
緑の目が股間を触っていた男の鼻に指を突きつける。「馬鹿な真似はするなよ」
「もちろんだ」
緑の目が鼻から大きく息を吐き出す。「ならいい」
緑の目と顎ひげが私の出てきた通りへ歩き出す。タルクたちならあの二人を捕まえるくらい難なくこなすはずだ。
「これで二人きりだな」
「そうですね」幸いにも、一番女に弱い男を残していってくれた。
「君みたいな可愛い子に、男たちが何の腹いせをしようとしていたのか疑問だな」
照れたふりをする。「まあ、ありがとう。私もそう思っています。怖くて、脅されたんです」
肩に手を置いてくる。図々しい奴だ。「大丈夫、俺といれば安全だ。父親のもとへ送り届けてやる」
「ありがとうございます」手をどけたいけれど我慢する。「お礼はちゃんとさせていただきます」匂わせに気づけば勝ちだ。
馬鹿みたいに微笑む。よし、ひっかかった。
まばたきをして、唇を舐める。こんな風に人を利用するのは罪悪感があるけれど、マリクと私たち全員のためだ。大人しくしていれば生きていられるのだから。
通りから足音と悲鳴が聞こえてくる。
戦いが始まり誰かが手負いになったようだ、タルクでないことを祈る。
怯えたふりをして身体を震わせるが、すべて演技だ。視線を落とす。
「怖がるな。すぐ片づくさ。衛兵が二人いればごろつきなんて簡単になぎ倒せる」
あいにく、あれはただのごろつきじゃないのよ。短剣の一つの近くにある帯へと手を伸ばす。
両手を私の肩に置き、距離を詰めてくる。「大丈夫だ」
彼の目を見つめてうなずく。
衛兵が路地のほうを見る。
彼の視線を追う。
タルクたちが陰から姿を現し、こちらへ歩いてくる。マントの中に剣やナイフを隠している。
短剣を抜き、衛兵の顎の下に突きつける。「少しでもへまな動きをしたら殺すわよ」
男は目を丸くする。
タルクが追いつく。「見事です、閣下」




