異世界から来たガイア 55
第55章
ガイア
ヴェールを引き上げて位置を整える。不便だし髪を収めるのにも苦労したが、髪を切るという私の案にマリクは反対したのだ。「どうかしら?」
マリクは霊薬を混ぜ続けながら視線を上げた。「さっきのほうが良かったな」
「当然でしょう、召使いの格好なんてしていなかったんだから」
「服を着ていないお前のほうがもっと良いと思うがな」
迷惑そうなふりをして溜息をつく。「いつも同じような冗談ばかりね」
「知識として知っているだろうが、お前はそれが好きなのだ」
「そのうち飽きるかもね」
「どうして飽きる? 俺が口ですることは何だって大好きなくせに」
「できるものなら、何か投げつけてやりたいわ」
マリクは微笑んだ。「極めて繊細な作業をしている者の、ちょっとした特権だな」
「あとどれくらいかかるの?」不安で胃が固くなる。
「もうすぐ終わる。覚悟はできたか?」
「他に選択肢はあるかしら?」
「十中八九、二人揃って死ぬことくらいだな」
「ほらね、まさにそれ。とにかくプレッシャーを与えないで頂戴」
「お前が捕まりさえしなければ、すべてうまくいく」
「願うばかりね」
マリクは混ぜるのをやめ、柄杓代わりに使っていた木の棒を取り出した。「『願う』のではない、信じるのだ」
ため息をつく。
「矢を放つ時と同じだ。お前は標的に当たることを願って射るのか、それとも当たると信じて射るのか?」
「普通は信じて射るわ。もちろん願ってもいるけれど」
「だが信じている。信じることは願うことよりも強い」彼は霊薬の入った杯を持ち上げた。「信じるならば固い土台から出発できるが、願うだけでは足元がぐらつき、倒れる危険を冒し続けることになる」
「その深いお言葉は、一体誰の受け売りなの?」
「忘れるな、俺は王子であると同時に必然的に聖職者でもあるのだからな」彼は霊薬の匂いを嗅いだ。「それに、悲観的な立場から大きな成果や成功を収められる者など誰もいない」
「楽観的になれと助言してくれているの?」
「お前ならできると言っているのだ、自分を信じろ。俺はお前を信頼している」
「あなたが間違っていて、二人とも死ぬかもしれないわ」
「その時は、俺が間違っていたということだな」
天井を見上げる。「あなたが間違っていないことを願うわ」
「まだ『願う』と言っているのか」
「あなたが間違っていると信じるほうがいいかしら?」
マリクは首を横に振った。「お前が誰にも気づかれずにここを抜け出し、ジル・バムの元へ行き、俺を救うために戻って来られると信じてほしいのだ」
「ええ、まったくプレッシャーなんてないわね」
「俺と交代したいか?」
考えてみれば、どんなに不平を言おうとも彼ほどの責任を背負うことはないのだ。「結構よ、遠慮しておくわ」
「だろうな」彼は私の唇に素早くキスをした。気づく暇もないほどの一瞬だった。そして杯を差し出す。「飲め」
「でも、後で元に戻るのよね?」
「当然だ。俺も以前使ったことがある。二時間か、せいぜい三時間もすれば効果は消える」
杯を受け取り、葡萄酒を見定めるように液体の向きを変えた。うっすらと緑がかった黄色い液体で、ちっとも旨そうではないし、おまけに生魚の臭いまで届いてくる。「誰から逃げていたの?」
「知らんほうがいい」彼は暗い表情になった。ろくな思い出ではないのだろう。
いつか彼の過去や母親のこと、子供の頃がどうだったのかをもっと知りたいと思う。「じゃあ、飲むわね」
霊薬の臭いを間近で吸い込まないよう深呼吸をしてから杯を寄せる。傾けて喉へ流し込んだ。温かく、玉ねぎと桃が混ざったような味がした。最悪だ。早く終わらせようと頭と杯をさらに傾ける。目を閉じる。
流れが途絶えた。私は咳き込む。「こんな酷いもの、どうやって飲んでいたの?」
「特定の状況においては、単に気に病むのをやめるしかないのだ」
「何か感じたりするの? 顔が変わるみたいな感覚とか」
「怖いか?」
私は頷く。自分は何一つ知らず、二人でそのことについて話し合ってもいなかったのだと今さら気づいた。
「心配いらん。ただの幻影を生み出すだけで、本当にお前が変わるわけではない」
「よかった、不細工になったらどうしようかと恐ろしかったわ」
「そんなリスクがあるなら飲ませはしない、分かっているだろう」
「分かっているわ」
「ともかく、もう行ったほうがいい。このすぐ外に見張りを見たことはないが、廊下は監視されているはずだ」
「ええ」
「気をつけろ」彼は私の目を真っ直ぐに見つめた。
彼の目には何が映っているのだろう。「気をつけるわ」
「よし、効果が現れ始めたぞ」
「よかったわ」不安は凄まじく、私を押し潰しそうだ。戦争に行くことなど、これに比べれば学校に通うようなものだ。私は剣にそっと触れた。その存在が私に勇気を与えると信じて、マリクがチュニックの下に縛り付けるよう強く勧めたのだ。今まではその通りだったし、私もそれを信じている。今やあらゆる助けが必要なのだから。
マリクは私を頭から足元まで改めた。「これで完全に効果が出たと言えるな」
「私は何も感じないけれど」
「霊薬が機能している証拠だ。信じられないなら鏡を見るがいい」
実際、見分けがつかない姿になっているのだろう。けれど同時に、自分でありながら自分でない少女の姿を見るのは恐ろしいことでもあった。
マリクは私の手を取り、鏡の前へと連れていく。勇気づけようとしてくれているのだろう。「ごらん」
私の顔はより四角ばった形になり、元の綺麗な卵型からは明らかに写りが悪くなっていた。暗い色の目と茶色い眉、それらは私と侍女のものが混ざり合ったようだった。少し日焼けもしているが、ここ数日の太陽のせいかもしれない。念のため手を動かしてみると、鏡の中の姿もついてくる。「本当に私なんだわ」
「ああ、前のほうが好きだったがな」
「あらそう? 今の私はもう欲しくないの?」
「さあな」
「こんな姿になっても、私を欲しがるべきでしょう」
「じゃあお前は、俺が醜く不細工になっても欲しがるか?」
「でも、私は不細工じゃないわ」
マリクは私の目を真っ直ぐに見つめた。「俺が知っているガイアと比べれば、今の姿は俺にとって不細工そのものだ」
足が震える。彼の目には私が美しく映っているのだと、またしても言われた。本当のこととはいえ、これほど大袈裟な言い方は初めてだった。
「さあ行け。幻影に干渉しないよう、キスはしておかん」
「わかったわ……」絶好のタイミングだったから期待していたのだけれど。
「幸運を」
「ありがとう、あなたもね」
マリクが扉を開けてくれ、私は小歩きで外へ出た。
扉は背後で静かに、音もなく閉まった。
あたりを見回す。廊下の突き当たりには二人の見張りがいて、出口の扉を警戒していた。あそこから下の階へ降り、右へ曲がって庭を出るのが一番安全な抜け道だ。
けれど、もし見張りに何か尋ねられたら計画は失敗する。
たく、ここで立ちすくんでいるわけにもいかない。扉へ向かって歩き出す。何か聞かれたら食べ物を取りに行く途中だと言おう。あまり賢い言い訳ではないけれど、通用するかもしれない。
二人の見張りに目を配る。
一人は遠慮なく鼻に指を突っこんでおり、もう一人は窓の外を眺めていた。さっきは彼らがこれほど油断しているとは気づかなかった。
胸の中で心臓が激しく鐘を打つ。
あと二歩で彼らの間だ。
見られていない。
一歩。
まだ何の兆候もない。
二人の間にいる。
私に気づきもしなかったかのように通り過ぎ、外へ出た。霊薬は効いている。
階段を降りて下の階へ向かう。
階段を降りた先には、床を掃除している下働きが一人いるだけだった。四つん這いになり、雑巾を前後に動かしている。私に背を向けている、好都合だ。
扉は目の前にあり、落ち着いて難なく辿り着いた。マリクからは注意を惹くなと言われているから走るわけにはいかない。隠密に、素早く身をかわさねばならない。まるで幽霊のように。
庭に出ると、わずかな日の光が顔に当たった。
腕を上げたくなる衝動をこらえる。急な動作はひとつだってしたくない。速足で日陰に入り、それから壁際へと向かう。
マリクは私を見ているかしら。
彼を探すこともできない、さもないと注目を集めるリスクがある。
壁に沿って進むと、二人の見張りの話し声がついてきた。非常にリラックスしており、王宮とは思えないほどだ。
門から貴族とその従者たちが入ってきた。壁に張り付きたい衝動を必死で抑える。
匿名のままでいなければならない。
息を殺す。
急いでいるせいか、彼らは私を見向きもしない。霊薬が効いているおかげもある。
貴族が毒づく。「あの部屋でくたばればいいものを」
私達のことを言っているの?
マリクの疑いは正しかった、今夜行動を起こさなければ。
彼らが庭に沿って進み、宮殿の入口に入っていくのを見送る。
再び息を吐き出す。もし気づかれていたら、あるいは最悪の場合正体を見破られていたらすべてが終わっていた。
落ち着いて宮殿の城壁の出口へと向かう。
ほんの二か月前までは、試験に落ちることが世界の終わりだと思っていたなんて、哀れな錯覚だったわね。
開かれた門の向こうに、二人の見張りが配置されているのが見えた。雰囲気が相変わらずなら、それほど警戒は厳しくないはずだ。そして私はほぼ透明人間のようなものだ。けれど、まさか目の前を通り過ぎなければならないなんて。
だからといって、ここで立ち止まっているわけにもいかない。
深呼吸をして歩き出す。できる限り音を立てないよう気をつける。
敷居まであと一歩。
息を殺す。
敷居をまたぐ。
目を伏せ、二人を見る勇気すら出ない。
見張りの一人が欠伸をした。
「集中しろ、仕事中に寝るな」ともう一人の見張りが注意する。
そうよ、集中してちょうだい、私はあなたたちの間を通り抜けたけれど気づきもしなかったのだから。
たく、この霊薬は凄まじいわね。
群衆の中に身を投じ、味方が陣を張っている門の方向を目指す。
同じ方向へ向かっている様子の女性の隣につき、視線を低く保つ。誰かと勘違いされて会話を始められたら困るからだ。
ところで、これまで気にとめていなかったけれど、人々が言っていることがすべて理解できるわけではない。雑音のせいもあるだろうけれど、一部の単語も変わっている。アクセントも、より刺々しい。
ぼろ布をまとった子供が目の前を通り過ぎ、土壇場で私に気づいて横に逸れて避けた。
もう一人のぼろ布の子供がすぐ後ろを追いかける。
遊んでいるのだろう、どうやら私にぶつかりそうになって初めて気づいたようだ。
反対側からやってきた男たちの集団が輿を持ち上げている。
輿に先行する見張りたちが道を空けさせ、人々を壁際に移動させる。
隣の女性が鼻を鳴らした。「汚らわしい貴族どもめ」と呟く。
私も脇へ寄る。一般の人々は私やマリクのことをどう思っているのだろう。プロパガンダはともかく、マリクはそんなことをあまり気にしていないように見える。
小さな行列が私達の前を通り過ぎる。
頭を動かさずに控えめに覗き込む。
カーテンが少し開いており、中に扇子で風を送っている中年男性が見えた。刺繍されたライオンが見える。
輿を運んでいるのは浅黒い肌の男たちで、頭は大きなターバンで保護されている。他のシンボルは見当たらないけれど、残念、役に立つ情報になり得たかもしれないのに。
行列が過ぎ去ると群衆は再び活気を取り戻し、私達もやっていたことを再開できる。
けれど、あのライオンの詳細が腑に落ちない、おそらく何らかの神なのだろう。いずれにせよジル・バムに尋ねたほうがいい、今夜行動を起こすもう一つの理由になるかもしれない。
街に沿って人の流れについていく。門に向かって。
もし私をボディチェックしたがる見張りに遭遇したら? いやまさか、王宮の二人の見張りの真ん中を気づかれもせずに通り抜けたのだから、誰かと一緒に通り抜ければ十分だ。入る者を検査するのであって出る者ではないだろう。そして何より私は霊薬を飲んだ、今の私は極めて気づかれにくい。現実における小さな例外なのだ。
逆方向から来る男を避け、隣の女性にぶつかってしまう。
その女は私の背中を強く突き飛ばしてきた。
唇を噛む、嫌な女。絶対に今さら謝ったりしないわ。
スピードを上げ、嫌な女を置き去りにする。
女は理解不能なことを呟いている、私と私の親族への罵倒だと思う。
道が広い広場へと開け、目の前に門が現れる。四人の見張りに警備されており、居眠りしている者は一人もいない。
少しでも疑われたら終わりだ。
隠密であることにすべてを賭けるしかない。
端にとどまって観察する、出入りするすべての荷車と人物を改めている。
陽動が必要だ。
広場の脇に沿って、男が火の上で、生火で肉を焼いている。
別の男に肉の一片を切り分けて渡し、相手は手を差し出している。
移動式のサンドイッチ売りのようなものだ、この世界バージョンの。
近づく、火で少し混乱を起こせば見張りの気を引くのに十分かもしれない。
後ろから非常に強い突き飛ばし。
バランスを崩して前に倒れる。手をついて倒れるのを防ぐ。
誰かが手を差し伸べてくる。「大丈夫か?」
頷く、私に気づいた、クソッ。
礼儀として手を受け取り、立ち上がる。
私は見張りに手を貸されていたのだった。




