異世界から来たガイア 3
第3章
皇后エンラー。
私は笏を床に打ちつける。「娘はここにいる。すぐに見つけなさい!」
テンヌは頭を垂れる。「はっ、陛下」
「あの娘に一切の危害を加えてはならぬ。帝国の守護のため、私が自ら処置する」私は笏を打つ。「行け!」
彼は一礼し、足早に洞窟を出ていく。あとは兵たちが娘を捕らえさえすれば、その血を使って、我が子と玉座の間に立ちはだかる者たちをすべて抹殺できる。間もなく、私には敵も脅威も存在しなくなるのだ。
***
ガイア。
光に向かって泳ぐ。
頭上に四角い形。
冷たい水をかき分け、近づいていく。
泡がひとつ、口から漏れる。
空気。
空気がほしい。
死にたくない、こんな馬鹿げた噴水で溺れ死ぬなんて絶対にごめんだ。
マッティアはどこ?
水面から手が出て、縁を掴む。頭を出し、息を吸う。
やっと空気だ。目を閉じ、肺を満たす。
助かった、やり遂げたんだ。
女の悲鳴が鼓膜を突き刺す。
目を開ける。
目の前に、桶を手にした怯えた顔の女が立っている。たぶん私のせいだ。彼女はベージュ色の、古代のチュニックのような奇妙な服を着ている。女は桶を落とし、口元に手を当てた。理解不能な言葉をいくつか叫んでいる。
一体、どこに迷い込んだの?
腕の力で体を押し上げ、周囲を見渡す。
私は、広場らしき場所にある井戸の中にいる。赤いレンガで作られた低い家々。木の庇の下で豆かひよこ豆を売っている男が、客に私を指し示している。二人とも驚きで口をあんぐりと開けている。
チュニックを着てサンダルを履いた子供が、母親の服を引っ張っている。
ここから出なくちゃ。
井戸の縁を乗り越える。
桶を持っていた女は、背を向けて走り去った。
私、そんなに恐ろしい格好をしてる?
マッティアはどこ? 一体ここはどこなの?
その場でくるりと見回す。
四本の道が集まる広場の中心。二十人くらいの人が私を凝視している。みんな、バビロニア人の展示か何かのように、チュニックとサンダルを身に着けている。
平たい屋根の、二階建て程度の赤いレンガの家。視線を上げると、城壁のようなものが見える。どこにせよ、ここは街だ。まるで漫画みたいに、別の場所か別の時代に飛ばされてしまったみたい。
あり得ない、現実でこんなことが起きるはずがない。良くて、私は死にかけて夢を見ているか、昏睡状態に陥っているかだ。
頬をつねってみる。
痛い。でも目は覚めない。
もしかして、これ全部現実なの?
なんてこと。
家の前に立ってロバをブラッシングしている白髪の男が、じっと私を見ている。少なくとも、あの桶の女ほどは怯えていないようだ。
近づいて、笑顔を作ってみる。「ここはどこ?」一文字ずつはっきりと尋ねる。
男は何か聞き取れない言葉をぶつぶつと呟く。当然だ、彼は私を理解できないし、私も彼を理解できない。筋は通っている。でも、一番筋が通らないのは、私がここにいることだ。もしかして、これは大掛かりなドッキリなの?
一吹きの風が、体に冷たい震えを運んでくる。まだびしょ濡れだ。つまり、この悪ふざけから抜け出す方法を考えるだけでなく、体を乾かさなきゃいけない。それは、私が生きていて、ここに存在している証拠でもある。
ロバの男はまだ何か呟いている。怯えた様子はなく、自分のロバの手入れを続けている。もしかしたら、そうやってお互いを守っているつもりなのかもしれない。
「ここはどこ?」もう一度試してみる。
ロバが尻尾を上げ、糞をした。これが答えだとは思いたくない。男が何かを叫び、私の後ろを指さした。
振り返る。
一つの通りから、槍と兜、胴鎧で武装した六人の男が足早にやってくる。茶色の短いチュニックを着て、腰には剣と小さな盾のようなものが見える。全員同じ格好をしているから、間違いなく衛兵だ。巡回中か何かで、助けてくれるかもしれない。
豆売りと客が、何かを叫びながら私を指さしている。
先頭の衛兵が私を品定めするように見て、命令を叫んだ。
ロバの男が私を指し、手を振った。これは理解できた。逃げろという合図だ。
衛兵たちが速度を上げる。
「ありがとう」私はその親切な男に挨拶して、走り出した。家の脇の路地に飛び込み、地面にあった柳の籠を跳び越えて走り続ける。
今のところ、プラスチック製品は一つも目にしていない。このドッキリのために相当な力を入れている。あるいは、特殊な脱出ゲームなのか。
後ろを盗み見る。
衛兵たちは一列になって、走ってはいないが急ぎ足で追ってきている。
先頭の衛兵が、険しい声で威圧的に何かを叫んだ。おそらく「止まれ」といった内容だろう。
止まるつもりはない。何をされるか分かったもんじゃないのだから。
路地の突き当たりに飛び出す。
十歳くらいの子が、キャベツを積んだ手押し車を押している。
肩でそいつを突き飛ばすと、子供は手押し車を離した。私はそれを奪い取る。「ごめん!」路地の出口で車を横倒しにした。キャベツが衛兵たちの方へ転がっていく。
子供が私の足首を蹴ってきた。小さく悪態をつく。たぶん、ボロクソに罵られているんだろう。
二人の女が私を指さす。ここでは、みんなチュニックを着ている。
右へ走る。立ち止まるわけにはいかない。
小さな人だかりが屋台の前に集まっている。あそこで服を盗んで紛れ込めるかもしれない。
一人の男が私に気づき、隣の男を肘でつつきながら指をさしてくる。
人混みに到達し、その中に突っ込もうとする。
私の乱入で、不満げな声やうめき声、それに驚きの声が上がった。
叫び声が聞こえる。さっきの衛兵の声だ直。見つかったらしい。
女の人を肩で押しのける。謝っても無意味だ。どうせ言葉は通じない。
お尻をバシッと叩かれた。この状況で変態まで現れるなんて、やってられない。
人混みを抜ける。
息を整える。
左には空いた階段、右には別の路地、正面はそのまま家々の間を道が続いている。
目の前の男が私を凝視し、手をこすり合わせている。
階段を駆け上がり、下の家の屋根を越えて広場まで進む。目の前には銃眼のある胸壁がある。これは城壁だ。
衛兵たちが後ろで怒鳴り散らしている。
下を覗いている暇はない。理想を言えば、階段から投げ落とせる何かが欲しい。
土製らしき壺を見つけた。中からは排泄物の臭いがする。息を止めてそれを掴み、階段の前に置いた。先頭の衛兵は十段ほど下まで来ている。壺を蹴飛ばすと、それは階段を転がり落ちていった。
走る。これで時間を稼げるといいけど。
城壁の通路には誰もいない。衛兵一人いないなんて妙だ。パラペットの向こうを覗き見る。眼下には広大な街が広がっていた。私は高い城壁に囲まれた丘の上にいるようだ。何人かが警備している巨大な門も見える。建物はすべて平らな屋根で、同じ赤レンガで作られ、細い路地と一定間隔で配置された広い通りに囲まれている。整然とした街だ。
息を整えるために歩調を緩める。反対側を眺めた。肩で息をしている。パパがいつもランニングのトレーニングをしろとうるさかったおかげで助かった。
頭上には明るい色の石でできた巨大な建物群がある。あれがアクロポリスに違いない。この街は丘の上に作られていて、私はその中腹にいる。尖った屋根がひときわ高くそびえ、太陽の光を反射して白く輝いている。まるで大理石か何かで覆われているかのようだ。
あそこなら、誰か助けてくれる人がいるかもしれない。
写真を撮る価値があるわね。そうだ、スマホで確認できるじゃない。
立ち止まる。
カバンの中だ。最悪。カバンは噴水の足元に置いたままで、水に飲み込まれた時は持っていなかった。スマホも、財布も、身分証も何もない。文字通り、今着ている服一枚きりだ。
再び早足で歩き出す。まずは衛兵たちを撒かないと。あとのことはそれからだ。
平らな屋根の上に飛び移れば、どこかの家に入り込めるかもしれない。ビデオゲームみたいだけど、案外いけるかも。
深呼吸をして、走る。
階段よりも屋根の上の方が、あいつらからよく見えてしまうかもしれない。
叫び声。まだ諦めないあの衛兵だ。
見つかった。
ちっ。
右側に階段。段を飛ばしながらそこへ飛び込み、日陰の階段で横になっていた老人をジャンプして飛び越える。
通りに戻ると、何人もの視線が私を射抜く。
変装道具があればいいのに。
左へ曲がり、籠を持った女性とリュートのような楽器を持った若者の間をすり抜ける。二人から何か罵声を浴びせられるけれど、無視して走り続ける。
仮に変装したところで、そのあとどうすればいい? 家に帰る方法を見つけなきゃ。やっぱりあのアクロポリスに行けば、誰か助けてくれる人がいるかも。もっとも、向こうは理解不能な言葉を話しているし、通じるとは思えないけど。
後ろの人混みを盗み見る。
人々の頭の間から衛兵の槍が見え隠れしているけれど、彼らは群衆を騒ぎ立てたくないみたいだ。私には好都合ね。
見つからないように少し首をすくめる。赤毛なんてそうそういないだろうし、彼らにとっては私の服装も変に見えるはずだ。
恰幅のいい女性とその使用人らしき男を追い越す。他の連中と違って彼らは黙っている。好都合だわ、彼らを盾にしよう。
前方、人混みの間の路地から槍の先端が見えた。まずい、一本だけじゃない、次から次へと現れる。
絶対に見つかってしまう。
口元に手を当てる。震えが止まらない。
右側に路地。
完璧。
男の子を肩で押しのけて、そこへ飛び込む。
家々の間を走り抜けると、一種の庭のような場所に出た。
手入れされた芝生に、花が咲いた木々。茂みもある。完璧だわ。夜になるまで、ここに隠れていられる。
木々へ向かって走る。
その一本の後ろから、男がぬっと姿を現す。
私より背が高くがっしりしていて、金髪に手入れの行き届いた短い顎髭、白いチュニックに同じく真っ白なゆったりとしたマントを羽織っている。
大きく腕を振ってマントを開く。手首には太い金の腕輪があり、腰には剣を帯びている。
衛兵たちだけでもうんざりなのに。
両手を上げて無害であることを示し、茂みを指さす。これで見逃してくれるかもしれない。
金髪の男は何か理解不能なことを言う。温かみのあるいい声だ。私を脅しているようには見えない。
両腕を広げて近づいてくる。彼もまた丸腰であることを示しているようだが、何をしているのか分からない。私の方へ一歩踏み出す。手を伸ばせば、すぐにでも私を捕まえられる距離だ。
芳しい香りが鼻をくすぐる。お香と何かを混ぜたような匂いで、もしかしたら神官なのかもしれない。
私がやって来た方を振り返る。何か言っている。
まずは衛兵たちから逃げなきゃ。
彼から目を離さないまま、茂みの方へと動く。
金髪の男が私の手首を掴み、地面へと引き倒す。
「ちょっと、何するの!」
彼は私の落下を和らげてくれて、頭を打つことなく着地する。そして私の上に覆いかぶさり、彼のマントで私たちを覆い隠した。
芝生の真ん中で、白い毛布の下に隠れるつもり? 意味が分からない。
彼の顔が私に近づく。
端正な顔立ちをしている。金髪のせいかもしれないけれど、少し若い頃のディカプリオを思い出させる。本当にイケメンだ。
彼が私にキスをする。
唇は柔らかく、彼の髭はまったくチクチクしない。短いけれど柔らかいのだ。でも、彼の香水がどんな香りなのか分からない。エキゾチックで力強く、時折お香の匂いがするような気もするけれど、よく分からない。
無意識のうちに彼の顔を撫でていて、耳たぶに触れる。
彼の舌が私の唇をそっとノックする。
それを受け入れると、私たちの舌はゆっくりと一緒に踊る。
お腹から震えが始まり、全身を駆け抜ける。
本当に上手い。なんてこと、ただかっこいいだけじゃなくて、キスまで上手だなんて。
「おい、そこのお前! 赤い髪で妙な服を着た少女を見なかったか?」
ちょっと待って! 誰が話してるの? っていうか私のことを話してるじゃない。
金髪の男が唇を離す。申し訳なさそうで、そして少し怒っているようにも見える。彼はマントの上から肩越しに後ろを見る。
「悪いな、女の子と一緒にいる時は、他の子には目がいかないんだ」
待って……
でも……
私、彼らの言ってる言葉が分かる!?




