第92話 追う理由
リヒトの足取りは糸で追えた。
東の廃村。
夜。
彼は古い礼拝堂の前にいた。
「来ると思った」
「じゃあ置き手紙いらないじゃん」
「気持ちの問題」
「面倒な人」
「君に言われたくない」
礼拝堂の地下から、透明な糸が伸びている。
「母はここ?」
「たぶん」
リヒトの声が震える。
カイが低く言った。
「怖いなら入らなくていい」
「君がそれ言うんだ」
「最近学んだ」
こちらを見る。
「教材扱い?」
「優秀な教師だ」
「褒め方が硬い」
リヒトが笑った。
「僕は入りたい」
「なら行こう」
地下へ降りる。
そこには棺が一つ。
蓋は開いていた。
中は空。
壁に文字。
『RETURN-000』
最初の帰還者。
エレナ・セイン。
廃村へ向かう途中、カイが馬を並べた。
「怒っているか」
「リヒトに?」
「ああ」
「少し。でも分かる」
「俺は分からない」
「あなたなら一人で行かなかった?」
返事がない。
「ほら」
「昔なら行った」
「今は?」
「お前に言う」
それが嬉しくて、少し黙った。
「何だ」
「成長したね」
「上から言うな」
廃村には生活の跡がほとんど残っていなかった。井戸は枯れ、家々の屋根は落ちている。
なのに礼拝堂だけ新しい足跡がある。
「最近誰か来てる」
カイが膝をついて雪を見る。
「二人以上。重い荷物」
「棺?」
「可能性はある」
透明な糸が地下へ潜る。
俺たちは無言で武器と記録具を確認した。
礼拝堂の前でリヒトを見つけた時、彼の靴は泥だらけだった。
三十年生きた人には見えない。
母親を探して一人で走ってきた息子にしか見えなかった。
「髪飾り」
カイが投げる。
リヒトが受け取って固まる。
「忘れてた」
「三十年持っていて?」
「……置いてきたと思わなかった」
指が震える。
「入ろう」
俺は言った。
「怖いけど」
「怖いって言うの、君ほんと好きだね」
「言える方が楽」
リヒトは少し考えて。
「怖い」
初めて自分から言った。
「じゃあ三人で入ろう」
カイが訂正する。
「騎士もいる。七人だ」
「そこ現実的」
緊張が少し解けた。
礼拝堂へ入る前、リヒトは一度だけ振り返った。逃げ道を見る癖なのだと思った。三十年、誰かを信じずに生きてきた人の身体に染みついた動き。
カイは何も言わず、入口の位置と騎士の配置を変えた。リヒトが振り返れば、必ず誰かの顔が見えるように。
「過保護」
小声で言うと、カイは前を向いたまま答えた。
「お前ほどではない」
「俺そんなに?」
「かなり」
リヒトが聞いていて、少し笑った。




