母を探す息子
帰路の馬車で、リヒトは初めて母の話をした。
名はエレナ・セイン。
治癒術師。
原始糸核の発見者の一人。
「父は最初、母が死んだと思っていた。少なくとも僕には、ずっとそう言っていた」
「あなたは違う?」
「僕の中に、母への糸だけ残ってる」
「今も?」
「見えないけど、分かる」
俺には見える。
北ではなく、今は東へ曲がっている。
「動いてる」
「何が」
「糸の先」
リヒトが顔を上げる。
「生きてる?」
「断定できない。でも固定じゃない」
カイが地図を出す。
東へ。
王都方向。
「向こうも移動している」
その晩、宿でリヒトが姿を消した。
窓が開いている。
机に紙。
『巻き込めない。母は僕一人で探す』
俺は紙をカイへ見せた。
「どうする」
「追う」
「だよね」
「お前は?」
「追う」
「知っていた」
「じゃあ聞かないで」
「確認した」
恋人になっても、そこは大事らしい。
母の糸が動いていると知った夜、リヒトは眠らなかった。
馬車の外で焚き火を見ていた。
「三十年って、どんな感じ?」
隣に座って聞く。
「長いよ」
「そりゃそう」
「でも器を替えるたび、時間の感覚が切れる。昨日のことみたいな十年前と、遠すぎる先週がある」
「記憶が混ざる?」
「少し」
「怖いね」
「君はすぐ怖いって言うね」
「怖いものは怖いから」
リヒトが火を見る。
「父は怖いと言えなかった」
「あなたは言える?」
長い間。
「……母に会うのが怖い」
「うん」
「僕を見て、息子だと思わなかったら」
返す言葉がない。
「その時は一緒に考える」
「カイみたいなこと言う」
「それ褒めてる?」
「半分」
翌朝、彼はいなくなった。
怖いから、一人で確かめに行ったのだと分かった。
リヒトが消えたあと、焚き火のそばにもう一つ残っていた。
母へ渡すつもりだったらしい、小さな銀の髪飾り。
「三十年持ってた?」
「たぶん」
カイが拾う。
「追いついたら返す」
「怒る?」
「先に無事を確認する」
「そのあと?」
「怒る」
「順番が正しい」
俺たちは夜のうちに出た。
帰糸は暗闇でも見える。
前は事件が俺たちを引っ張った。
今は俺たちが一人を追うために使っている。
同じ能力でも、使い方は選べる。
その違いを忘れたくなかった。
リヒトの置き手紙は綺麗な字だった。文章も妙に丁寧で、それが逆に腹が立つ。
「巻き込めない、って勝手に決めてる」
「自分一人なら失う相手はいないと思っている」
カイの言葉に、胸が引っかかった。昔の彼も似ていた。
「追いついたら怒る?」
「ああ」
「そのあと?」
「理由を聞く」
「順番、逆じゃない?」
「怒ってからでも聞ける」
そこはまだ成長途中らしい。




