第90話 王都へ帰る前に
王都へ戻る準備をする。
証拠は三重に複製。
一部をマティアス、一部を北邸、一部を俺たちが持つ。
「賢くなった」
リヒトが言う。
「燃やされたからね」
「僕はどうする?」
「一緒に来る」
俺は言った。
カイが見る。
「危険だ」
「だから一緒」
「その理屈、便利だな」
「あなたが教えた」
リヒトは驚いている。
「僕を王都へ?」
「証人。研究者。あと監視対象」
「最後が本音?」
「半分」
透明な糸はまだ彼から北へ伸びている。
「その糸の先も調べたい」
リヒトの顔が曇る。
「やめた方がいい」
「誰?」
「……僕の母だ」
エドガーの妻。
死んだはずの。
「生きてるの?」
「分からない」
「あなたも?」
「三十年、探してる」
北境で始まった事件は終わっていなかった。
むしろ、ここからだった。
王都へ連れていくと決めたあと、リヒトは北邸の玄関で立ち止まった。
「僕、家に入っていいの?」
「もう入ってる」
「そうじゃなくて」
カイを見る。
ヴァルクハイト家にとって、セイン家は兄の死や教団と無関係ではない。
カイはしばらくリヒトを見た。
「お前が父親ではないことくらい分かる」
「……そう」
「ただし地下研究を勝手に再開したら牢へ入れる」
「優しいのか脅してるのか分からないね」
「両方だろ」
俺が答えた。
家令が旅用の包みをリヒトにも渡す。
「あなたの分もございます」
「僕の?」
「お客様ですので」
リヒトは少し戸惑ってから受け取った。
透明な糸が揺れた。
人は大きな救済より、こういう小さな扱われ方で生者側へ戻ることもあるのかもしれない。
北邸を出る時、家令がカイへ小さな包みを渡した。
中身はユリウスの残した手紙。
「いつ書いた?」
「最後の夜です」
カイはその場では開けなかった。
「読まない?」
「王都で読む」
「なんで」
「帰ってから読みたい」
その言葉が好きだった。
死者の言葉まで、帰る家へ持っていく。
馬車が動き出すと、北邸の使用人たちが頭を下げた。
リヒトは窓からずっと見ている。
「また来てもいいのかな」
「カイに聞いて」
「来ればいい」
即答。
リヒトが一瞬驚いて、それから窓へ戻った。
透明な糸が少しだけ明るくなった。
北邸を出る前、カイはユリウスの部屋へ一人で入った。戻ってきた時、認識票の上から胸を一度押さえている。
「何か置いてきた?」
「いや」
「持ってきた?」
今度は少し考えて。
「ああ」
それ以上は聞かなかった。
俺も自分の鞄に短剣と記録帳を入れる。北へ来た時より荷物は増えた。人は別れたあと、空になるとは限らない。持ち帰るものが増えることもある。




