恋人と上司は別です
「勝手に火の中へ入るな」
「はい」
「返事だけするな」
「……本当にごめん」
宿舎の部屋へ戻ってから、カイはずっと窓際に立っていた。怒鳴らない分、まだ怒っているのが分かる。
俺も今回は言い訳できない。梁が落ちるのを見た時、自分でも死ぬかと思った。
「でも、あの告発書は必要だった」
「必要だったことと、お前一人で取りに行くことは別だ」
「あなた、三歩後ろだったけど」
「三歩だ」
「近かったね」
「近い」
そこは負けた。
カイが息を吐く。怒りの奥にあるのが恐怖だと、今は糸を見なくても分かる。
「仕事では、俺はお前の上司だ」
「うん」
「危険だと判断したら止める」
「それは分かる」
「だが恋人として、お前の行動を命令で縛りたくはない」
言いにくそうに続ける。
「その二つが、たまに混ざる」
「俺も」
俺は椅子から立った。
「じゃあ、次から危険に入る前に声をかける。待てない時でも、一人では行かない」
「能力の負荷も隠すな」
「あなたも怪我を“動ける”で誤魔化さない」
「……分かった」
「今の間」
「分かったと言った」
三つくらいなら覚えられる。紙に書いて署名する必要はない。守れなかったら、その時また話せばいい。
「あと一個」
「まだあるのか」
「喧嘩したまま、勝手にいなくならない」
カイの目が少し動いた。
「寝ない、じゃなく?」
「眠れない夜もあるでしょ。でも、どこにいるかは言う」
四年前、兄と喧嘩したまま最後の作戦へ出た男には、その方が大事だと思った。
長い沈黙のあと、カイが頷く。
「ああ」
それで話は終わったはずだった。
なのにカイは俺の髪を見る。
「座れ」
「何」
「焦げたところを切る」
「本当にあなたが?」
「嫌なら呼ぶ」
ミラを、と言う前に俺は椅子へ座った。
「……少しだけなら」
背後に立つ気配。鋏の小さな音。
戦場で剣を振るう手が、耳の近くでは妙に慎重だった。毛先を指でつまみ、肌へ触れない角度を何度も確かめている。
「緊張してる?」
「動くな」
「してるんだ」
「耳を切るぞ」
「脅し?」
「警告だ」
笑うと、耳の後ろに指先が触れた。ほんの一瞬なのに、火の中より熱く感じる。
鏡越しに目が合う。
「さっきは怖かった?」
俺が聞く。
鋏が止まった。
「怖かった」
ちゃんと言った。
「俺も」
カイは焦げた髪を手のひらへ落とす。
「なら次は、二人とも隠さない」
「うん」
俺は書類をカイの胸へ押し返した。
「今のは上司?」
「上司だ」
「じゃあ帰ったら恋人に文句言います」
「受け付ける」




