さよならを言う
夜明け前。
ユリウスは北門の外へ出たいと言った。
雪原の向こうに、薄い青の山が並んでいる。
「ここが好きだった」
付き添ったのはカイと俺だけ。
ユリウスの身体はもう半分以上透けていた。歩くたび、足元へ白い粒が落ちる。
「カイ」
「はい」
「ちゃんと飯を食え」
「はい」
「寝ろ」
「はい」
「ノアを困らせるな」
「それは保証できません」
俺は吹き出した。
「そこだけ正直なんだ」
ユリウスも笑う。
「ノア」
「はい」
「こいつを頼む、とは言わない」
「え」
「カイは自分で生きる。君も自分で生きる。それで、できれば隣にいてやってくれ」
胸が詰まった。
「その言い方、好きです」
「だろう?」
「兄上」
「嫉妬するな」
「していない」
「してる顔だ」
「俺も分かるようになりました」
「ノアまで」
最後まで、いつもの調子だった。
やがてカイが兄の前に立つ。
「兄上」
「うん」
「四年前」
声が震えた。
「言えなかった」
ユリウスは待つ。
「助けてくれて、ありがとう」
「ああ」
「俺を置いて死んだことは、今でも腹が立つ」
「悪かった」
「でも」
一滴、落ちた。
「兄上でよかった」
ユリウスの目にも光が溜まる。
「俺も、お前の兄でよかった」
二人が抱き合った。
カイは腕をすぐには緩めない。兄の輪郭が薄くなっても、そこに身体がある限り離さない。
「カイ」
「はい」
「一つだけ、間違えるな」
ユリウスが弟の後頭部を、子供にするみたいに軽く叩いた。
「お前は、俺が死んだから生き残ったんじゃない。自分で生き残った」
カイの肩が止まる。
「次に幸せになる時、俺への償いにするな」
四年間、本人からしか受け取れなかった言葉だったのかもしれない。
返事まで長くかかった。
「……はい」
俺とカイの銀赤が静かに震える。
俺との未来を選ぶことと、兄を忘れることは同じじゃない。
ユリウスは俺にも手を伸ばした。
握る。
体温はほとんどないのに、冷たいとは感じなかった。
「じゃあな、ノア」
「はい」
「野菜、頼んだ」
「任せてください」
「兄上」
「最後くらい言わせろ」
笑いが途切れる。
金色の糸が、ゆっくりほどけ始めた。
切れない。
無理やり奪われる時の痛みもない。
光が雪へ溶けていく。
「さよなら、カイ」
「さよなら、兄上」
朝日が昇った。
ユリウスはいなくなった。
雪の上に骨も服も残らない。
でもカイの首には認識票がある。
俺の記録帳には新しい分類がある。
町の人には、もう一度聞けた声の記憶がある。
そして俺には、一瞬だけ見えた。
ほどけた金糸が完全には消えず、カイの胸の奥へ溶け込む。
「カイ」
「何だ」
「……手」
差し出す。
彼が握った。
雪原には二人分の影しかない。
帰ってから、記録帳には一行だけ書いた。
『自然終端。切断反応なし』
その下は空けた。今朝見たものに、急いで名前をつけたくなかった。




