最後の朝食
翌朝、ユリウスが言った。
「パンが食べたい」
「食べられないでしょう」
「匂いくらいは分かる」
だから町で一番いいパンを買った。
食卓に並べる。
「カイ、昔パンの硬い端だけ残してた」
「兄上」
「今も?」
こちらを見る。
「今も」
「ノア」
「事実」
朝食はくだらない話ばかりだった。
子供の頃カイが木から落ちた話。
剣の稽古で負けて三日口をきかなかった話。
初めて酒を飲んで一杯で寝た話。
「嘘だ」
「本当だ」
「カイ、弱いの?」
「今は違う」
「確認したい」
「何を」
「酒」
「帰ってからにしろ」
帰ってから。
自然に出た言葉だった。
ユリウスも聞いた。
「帰る場所があるんだな」
カイが無言でこちらを見た。
「ああ」
俺はパンをちぎった。
照れたから。
ユリウスの指先がまた少し崩れた。
残り、一日。
最後の朝食だと分かっているからこそ、俺たちは“最後”と言わなかった。
ユリウスはパンの香りを楽しみ、家令に昔の蜂蜜を出させた。
「これ、まだあったのか」
「坊ちゃま方がお好きでしたので」
カイが一口食べる。
「甘い」
「子供の頃は瓶から舐めてたぞ」
「兄上」
「本当?」
「ノア」
「記録として必要」
「何の記録だ」
笑いが続く。
俺はその場の糸を見る。
金色の糸は白くほどけ始めているのに、細くなってはいない。
不思議だった。
終わりに近づくほど、むしろ輪郭がはっきりする。
たぶん、忘れるから消えるんじゃない。
形を変えて残るから、今の糸は終われる。
その仮説を記録帳に書いた。
『自然終端:切断ではなく変質』
主任鑑定官として初めて、自分の言葉で新しい分類を作った。
朝食の途中、ユリウスが突然真面目な顔になった。
「カイ。爵位のこと、悪かったな」
「何が」
「俺が死んで、お前に全部落ちた」
公爵家。
領地。
戦争。
二十五歳になったばかりの弟へ。
「兄上のせいではない」
「分かってる。でも言いたかった」
カイは少し考えた。
「重かった」
初めて認めた。
「でも今は、俺のものだ」
ユリウスが静かに笑う。
「そうか」
その一言で、金糸の一部が柔らかくほどけた。
ユリウスは何か言いかけ、やめて、代わりに弟の皿へ蜂蜜を少し足した。
「甘い」
「昔は好きだっただろ」




