第80話 ユリウスの選択
レグナへ戻った時、残り二日だった。
ユリウスの身体は、向こうの壁が透けるほど薄くなっていた。
「遅い」
「兄上にだけは言われたくない」
「昔のお前なら三日で帰った」
「崖から落ちた」
ユリウスは真っ先に俺を見る。
「ノアは無事か」
「俺より先にそっちを聞く?」
「当然だ」
「兄上」
俺は笑った。笑えてよかった。
原始糸核の欠片を机へ置く。
透明な結晶は綺麗だった。中に何百人もの残滓があると知らなければ、宝石に見える。
「これで安定できる可能性がある」
リヒトが装置を準備する。
ユリウスが止めた。
「待ってくれ」
「何?」
「先に聞きたい。これを使えば、俺はどれくらい残れる」
「分からない。数年かもしれない。数ヶ月かもしれない」
「その間、核の中の死者の縁を使う?」
リヒトの手が止まる。
「完全にゼロではない」
「なら、いらない」
カイが立ち上がった。
「兄上」
「生きたいと言った。今も生きたい」
「なら使えばいい」
「でも、他人の“帰りたい”を燃やしてまで残るのは違う」
カイの顔が歪んだ。
「俺にまた失えと言うのか」
部屋が静まる。
ユリウスは弟から目を逸らさなかった。
「違う」
声は優しかった。
「今度は、ちゃんと別れたい」
リヒトが理解できない顔をする。
「生きたいのに、使わない?」
「条件が嫌なんだ」
「死ぬ方を選ぶの?」
「残りをどう生きるかを選ぶ」
ユリウスは核の欠片へ指を向けた。
「これは持ち帰れ」
「研究を止めるため?」
「研究するためだ。死者を利用しない方法がないとは限らない。俺には間に合わなくても、次の誰かには意味がある」
諦めた人の言葉ではなかった。
自分の残り時間を、自分で使い切ろうとしている。
命糸を扱うようになってから、“救う”という言葉が少し怖い。
繋ぐことが救いとは限らない。
切ることが悪とも限らない。
本人が何を望むか。
そこを飛ばした瞬間、俺もエドガーと同じ側へ行く。
カイは何度も口を開きかけた。
最後に出たのは命令でも説得でもない。
「……分かった」
その二文字を言う方が、剣を振るうより難しそうだった。
食堂を出たあと、カイは廊下の壁へ手をついた。
「納得できない?」
「できる」
「受け入れられない?」
「……そうだ」
理屈と感情は、同じ速さで動かない。
「終わってほしくないって言っていいよ」
しばらくして。
「終わってほしくない」
掠れた声で、ちゃんと言った。
それがたぶん、最初の別れだった。




