暗闇で触れる
「俺も怖かった」
暗闇だから言えた。
「落ちることより、あなたの手が離れるのが」
カイの呼吸が近い。
「離さない」
「絶対とか言わないで」
「なぜ」
「絶対じゃないから」
少し沈黙した。
「……そうだな」
「でも、離したくないは言っていい」
「離したくない」
「早い」
「今言えと言った」
笑った拍子に、額が触れた。
唇も。
軽く一度。
もう一度。
暗くて顔が見えないせいか、いつもより大胆になれる。
カイの手が頬から首へ降りる。手袋越しじゃない指が、冷えた皮膚に熱い。
「寒い?」
「今はちょっと暑い」
手が止まった。
「続けていい?」
低い声が、すぐ近くで響く。
「ここ雪の中だけど」
「だから聞いた」
「……少しだけ」
次のキスは長かった。
身体が密着する。厚い冬服を挟んでいるのに、胸の鼓動も、腹のあたりにかかる力も分かる。
カイの指が首筋をなぞり、耳の後ろで止まった。そこを親指でゆっくり押されただけで、背中に熱が走る。
俺は無意識に彼の外套を掴んだ。離れないためではなく、もっと近づくために。
唇が離れた時、どちらもすぐには目を開けなかった。
「ノア」
呼ばれ方が、普段より低い。
「うん」
「今、止めた方がいい」
意味を理解するまで一拍かかった。
彼の呼吸も乱れている。俺だけじゃない。
「……そういうの、ちゃんと言うんだ」
「言わない方が危ない」
恥ずかしいのに、嬉しかった。欲しがられていることより、欲しがったまま止まってくれたことが。
「じゃあ、帰ったら」
「帰ったら?」
答える前に、頭上から鈍い金属音がした。
「団長ー! ノア殿ー!」
マティアス。
俺たちは同時に離れた。
「救助だ」
「分かってる」
なのに息が整わない。
上から声が続く。
「縄を下ろします! あと十分ほどです!」
俺たちはキスの続きをしなかった。
代わりに背中合わせで座り、互いの呼吸を聞いた。
「帰ったら」
カイが低く言う。
「何」
「続き」
「覚えてるんだ」
「忘れる理由がない」
身体がまた熱くなる。
「それ、約束?」
「嫌なら取り消す」
「取り消さない」
自分で言ってから恥ずかしくなった。
上からマティアスの声が落ちてくる。
「何か仰いましたか!」
「何も!」
俺だけ大声で答えた。
十分後、縄が降りた。
地上へ引き上げられた瞬間、冷気が肺へ刺さる。マティアスは俺たちの顔を見て一瞬止まった。
「何」
「いえ。ノア殿の唇が少し赤いので」
俺はその場で雪に埋まりたくなった。
「寒さです」
「そうですか」
「絶対信じてない」
カイは何食わぬ顔で歩き出す。
「あなたも何か言って」
「寒かったな」
「最低」
でも夜、野営地で二人になった時、カイは俺の寝袋の脇にしゃがんだ。
「嫌だったか」
「雪の中で?」
「そうだ」
俺は少し考えるふりをした。
「嫌じゃない。むしろ続きたかった」
今度はカイが黙った。
「顔赤い」
「火のせいだ」
「雪の次は火」
「寝ろ」
俺は笑って寝袋へ潜った。
目を閉じても、首筋に触れた指の熱だけはなかなか消えなかった。




