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第8話 切られた町

 十三人目の被害者は、生きていた。


 ただし、町中の誰も彼を覚えていなかった。


「名前は?」


「マティアス」


「家族は?」


「妻と息子が」


「会えます?」


「会った。俺を知らないと言われた」


 小さな宿の部屋。


 男は両手で顔を覆った。


「十二年だぞ。十二年、一緒にいたんだ。それなのに」


 俺には見える。


 彼から伸びるはずの糸の断面。


 白く乾いている。


 誰かが根元から切った。


「戻せるか」


 カイが聞く。


「分からない」


「やれ」


「簡単に言うな」


「簡単だとは言ってない」


 俺はマティアスの手を取った。


「奥さんのこと、話してください」


「何を」


「何でも。最初に会った日とか」


 男が顔を上げる。


「雨の日だった」


「うん」


「傘を持ってなくて、ずぶ濡れで」


 話を聞く。


 言葉に合わせて、切れた糸の断面がわずかに光る。


 完全には消えていない。


「もっと」


「初めて喧嘩したのは、結婚前だった。俺が約束を忘れて」


 糸が伸びる。


「息子が生まれた日は?」


「泣いた」


「誰が」


「俺が」


「子供じゃなく?」


「両方だ」


 俺は笑った。


 糸を掴む。


 指先が熱い。


「ノア」


 カイが低く呼んだ。


「大丈夫」


「血が出ている」


 手のひらが裂けていた。


「大丈夫だから」


「やめろ」


「もう少し」


「ノア」


「黙って」


 糸を繋ぐ。


 ぶつん、と何かが戻った。


 遠くで誰かが泣く声がした気がした。


 数分後、宿の階段を駆け上がる音。


 扉が開く。


「マティアス!」


 女性が飛び込んできた。


 男が立ち上がる。


「リナ」


 二人が抱き合った。


 その間に、細い金と赤の糸が戻っていく。


 俺は息を吐いた。


「できた」


 次の瞬間、視界が揺れた。


 倒れる前に腕を掴まれる。


「だから言った」


「……うるさい」


「歩けるか」


「たぶん」


「たぶんは歩けない」


「歩けますって」


 足に力を入れる。


 入らない。


 カイがため息をつき、俺を抱き上げた。


「ちょ、待って」


「待たない」


「下ろして」


「倒れる」


「人いる」


「見れば分かる」


「恥ずかしい!」


「死ぬよりましだ」


 宿の廊下。


 すれ違う人が全員見る。


 俺はカイの胸に顔を埋めた。


「最悪」


「人生か」


「覚えてたんですか」


「よく言うからな」


 馬車まで運ばれる。


 座席に下ろされると思ったのに、カイは俺を離さなかった。


「もう座れます」


「顔色が悪い」


「元から白いです」


「黙れ」


 手を取られる。


 傷口を見られる。


「治療」


「屋敷で」


「今」


「消毒痛いんですよね」


「子供か」


「痛いものは痛い」


「さっき自分で手を裂いた人間の台詞か」


「自発的な痛みと人にやられる痛みは違う」


「面倒だな」


「今さら?」


 カイは薬を塗った。


「痛っ」


「動くな」


「優しくして」


 言った瞬間、手が止まった。


 俺も止まった。


「……治療の話です」


「分かっている」


「ならその顔やめてください」


「どんな顔だ」


「知らない」


 カイは何も言わず、さっきより明らかにゆっくり包帯を巻いた。


 銀赤の糸が、俺たちの膝の間で静かに光っていた。


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