第75話 誰の声を聞くか
「リヒト!」
白い手が彼を引く。
カイが剣で切る。
一本切っても十本増える。
「糸を斬っても駄目!」
「ならどうする」
俺は海を見る。
全部の声を聞こうとしたら壊れる。
でも、一人なら。
「一番強い声を探す」
「何をする気だ」
「中心だけ聞く」
銀赤の糸に触れる。
「カイ、支えて」
「ああ」
共鳴。
無数の声の中から、一つだけ異様に強いものを拾う。
『返せ』
男の声。
『俺たちを返せ』
映像。
雪峡。
兵士たち。
崩落。
違う。
爆発。
軍の術式研究班が糸核を起動している。
死者を保存するためじゃない。
敵兵の縁を切断する兵器として。
「カイ」
「見えている」
共鳴で同じ記憶を見ている。
そして研究班の中に。
若いエドガー。
リヒト。
さらに王国軍の紋章。
「教団だけじゃない」
俺の声が震える。
「王国もやってた」
原始糸核の中心声は、名前を名乗らなかった。
ただ怒っていた。
『返せ』
何を。
『名前を返せ』
映像の中で、研究者が死者の記録を番号へ置き換えている。
兵士A-103。
民間B-044。
人間の名前が消えていく。
「だから暴走した?」
俺が呟く。
リヒトが青ざめる。
「原始糸核は感情を保存する。大量に押し込めば、集団意思になる可能性がある」
「死者の集合体」
「そう」
なら、ただ壊せばいいわけじゃない。
中に誰かの最後が残っている。
「記録を持ち帰る」
「全部?」
「できるだけ」
カイは反対しなかった。
「名前を戻すんだな」
「うん」
それが、死者を帰すより先にするべきことだと思った。
映像の中の研究者たちは、誰も悪人の顔をしていなかった。
疲れた兵士。眼鏡を掛けた技師。傷だらけの治癒術師。
『これで戦争が早く終わる』
誰かがそう言った。
その一言が一番怖かった。
善意や焦りでも、人を番号に変えることはできる。
カイも同じものを見たらしい。
「俺たちも、結果だけで正当化しない」
「うん」
「勝てばいい、ではない」
「うん」
彼は戦争を終わらせた英雄だ。
だからこそ、その言葉には重さがあった。
記憶の中で若い研究員が叫んでいた。実験停止を求める声もある。だが上官は「敵の突破まで四時間」と返す。誰か一人の悪意だけではない。時間、恐怖、命令、責任逃れ。それらが重なって、最後に人間の名前が番号へ置き換わる。
カイの手が震えた。共鳴しているから分かる。怒りだけじゃない。自分も同じ戦場で「勝つため」を何度も口にした記憶が刺さっている。
「あなたがやったことじゃない」
「だが、同じ言葉を使った」
「言葉が同じでも、選んだことまで同じじゃない」
俺は回収した記録束を叩いた。
「王都で照合します。命令した人、止めようとした人、隠した人。名前を一人ずつ」




