第66話 兄と恋人
その夜、俺たちは旧軍病院に泊まった。
泊まるというか、監視を兼ねて残った。
ユリウスは食事ができない。
でも食卓には座る。
「カイ、野菜食べるようになったんだな」
「昔食べなかった?」
「肉しか食べなかった」
「今も放っておくとそうです」
「ノア」
「何」
「兄と組むな」
ユリウスが声を立てて笑った。
「いいじゃないか。四年分聞かせろ」
「全部は嫌です」
「なぜ」
「俺にも尊厳があるので」
「キスは?」
水を吹きそうになった。
カイがユリウスを見る。
「兄上」
「したのか」
「答えるな」
「したんだな」
久しぶりに、カイが本気で困っている。
俺は少し嬉しくなった。
この人にも兄の前では弟の顔がある。
食後、ユリウスが先に部屋へ戻った。
廊下でカイが壁にもたれる。
「疲れた?」
「ああ」
素直だ。
俺は隣に立った。
「嬉しい?」
「……ああ」
「怖い?」
今度は返事がない。
「また失うのが」
「そうだ」
初めて聞けた。
俺は手を差し出す。
カイは見てから取った。
「なくなる前提で考えなくていい」
「分かっている」
「でも、なくならない前提にもできない」
「ああ」
「難しいね」
「ああ」
「今日は全部ああでいいよ」
指が強く絡んだ。
兄弟の食卓は、俺にとって少し不思議だった。
カイは普段ほとんど食べ物を残さないのに、ユリウスがいるとパンの端を皿の隅へ寄せる。指摘すると戻す。
「昔の癖が出てる」
ユリウスが言う。
「出ていない」
「出てる」
「ノアまで言うな」
俺は笑った。
ユリウスはカイの幼少期を話し、カイは否定し、家令が証言して全部負ける。
その時間だけ見ると、死者の再構成も教団も戦争も遠かった。
でも食後、ユリウスの椅子の下に白い粉が落ちていた。
俺は黙って布で集める。
カイも気づいた。
目が合う。
どちらも何も言わない。
楽しい時間の中に終わりが混じる。
それでも楽しい方をやめない。
「そういえば、お前まだ寝る前に剣を枕元へ置くのか」
ユリウスが急に言った。
「置かない」
「嘘だな」
俺は黙ってカイを見る。
「……屋敷では壁際だ」
「置いてるじゃん」
「枕元ではない」
兄の前では、言い訳まで少し子供っぽくなる。
「昔からそんな顔してた?」
「もっと酷かった」
ユリウスが即答し、カイが露骨に嫌そうな顔をした。俺は笑った。




