第62話 旧軍病院
旧軍病院は森の中に沈んでいた。
半壊した石壁。割れた窓。屋根には雪が残っている。
入口には古い王国軍の紋章。
「ここ、教団と関係ある?」
マティアスが首を振る。
「表向きはありません。ただ戦争末期、術式研究班が常駐していました」
嫌な言葉だ。
研究班。
中へ入る。
病室は空。
でも俺には見える。
白い糸が壁を通り、床を通り、地下へ集まっている。
「下」
地下への扉は封鎖されていた。
カイが鍵を使うより先に剣を抜く。
「待って、鍵あるかも」
一撃。
扉が落ちた。
「……公爵って便利」
「剣だ」
「そこじゃない」
地下にはベッドが並んでいた。
数十。
全部、鎖付き。
壁に番号。
PAIRではない。
RETURN-001。
RETURN-002。
「帰還計画」
古い資料を拾う。
戦死者の記憶残滓を縁から回収し、疑似肉体に定着させる。
「死者の再構成……」
マティアスの顔が歪む。
「こんな研究、軍は許可していない」
「誰がやった」
最後のページ。
主任研究員。
リヒト・セイン。
セイン。
「エドガーの家族?」
その時、奥の暗闇から拍手が聞こえた。
「正解」
銀髪の青年が歩いてくる。
「初めまして、七番」
青白い目がこちらを見る。
「僕はリヒト。エドガー・セインの息子だ」
地下へ降りる途中、壁に古い消毒薬の匂いが残っていた。
病院として使われなくなって八年。そんなはずはないのに、鼻の奥に刺さる。
「術式記憶だ」
マティアスが言う。
「強い出来事があった場所は、匂いや音が残ることがあります」
「北では普通?」
「普通ではありません。ただ、戦場跡では珍しくない」
カイは反応しなかった。
地下の鎖付きベッドの一つに、爪で削った文字があった。
『帰りたい』
隣には。
『帰したくない』
別の筆跡。
誰かが死者を戻したい。
誰かは戻されたくない。
RETURN計画は最初から矛盾していた。
リヒトが現れた時、俺は真っ先に彼の手を見た。爪は綺麗だ。鎖の跡もない。
「あなたもここにいた?」
「いたよ」
笑顔のまま答える。
「患者として?」
「材料として」
その一言だけ、笑っていなかった。
地下の壁には、爪で引っ掻いた跡が残っていた。ベッド脇の床には数字が刻まれている。日数を数えたものらしい。二十三で途切れた列、百を越える列。
「術式被害者の隔離施設だっただけじゃない」
マティアスが唇を噛む。
書類棚から一枚抜く。被験者名の欄は黒く塗り潰され、番号だけが残っていた。
RETURN-014。記憶保持率四十一パーセント。家族認識あり。自我崩壊につき廃棄。
「廃棄?」
自分の声が低くなる。
カイが紙を取った。目を逸らさない。
「全部持ち帰る」
「証拠として?」
「名前を戻すためにもだ」




