第61話 兄さんを返す
幻は一瞬で消えた。
俺の手から指輪が落ちる。
カイが受け止めた。
「何を見た」
「ユリウスさん」
その名前だけで、空気が変わる。
「生きていた?」
「分からない。立ってた。でもローデンと同じなら、本物じゃない」
「場所は」
「白い部屋。銀髪の男。俺たちを七番って呼んだ」
カイは指輪を見た。
「兄を返す、と?」
「うん」
「返せるものか」
声に怒りが混じる。
俺は床に座ったまま言う。
「カイ」
「何だ」
「もし、本当に話せるなら」
彼の目がこちらへ向く。
「会いたい?」
長い沈黙。
「……分からない」
それで十分だった。
会いたくないなら、即答する人だ。
「じゃあ、分からないままで行こう」
「何だそれは」
「会ってから決める。殴るか、話すか、泣くか」
「俺が泣くと思うか」
「最近ちょっと人間になったから」
「元から人間だ」
指輪から伸びる透明な糸は北西へ向いている。
家令によれば、その先には廃棄された旧軍病院がある。
北境戦争末期、重傷者と術式被害者を収容していた場所。
そして。
「ユリウス様が亡くなられたのも、その近くです」
家令が言った。
カイはもう迷わなかった。
「明朝出る」
こちらを見る。
「嫌なら残れ」
「行く」
少しだけ眉が下がる。
「即答か」
「誰かさんに似た」
ユリウスを見たという言葉を口にしたあと、カイはしばらく何も聞かなかった。
俺は逆に、見えた細部を忘れないうちに紙へ書く。窓の位置。白い壁。青年の髪。ユリウスの軍服の徽章。偽物ならどこかで綻ぶかもしれない。
「徽章は第七北方軍」
カイが紙を指した。
「兄が最後に着ていたものだ」
「公開情報?」
「軍記録にはある。ただ、左肩の留め具が欠けていたことは記録にない」
俺は筆を止めた。
「見えた。左だけ留め具がなかった」
カイの顔がさらに硬くなる。
記憶まで正確。
少なくとも、適当に作った幻じゃない。
「行けば、何か欲しがられる」
「銀赤の糸」
「おそらく」
「じゃあ渡さない。それで終わり」
「兄を人質にされたら?」
痛いところを自分で言う人だ。
「その時は、俺があなたを止める」
「止まると思うか」
「止めるまで止める」
カイの視線が俺に止まる。
「頼む」
短い一言。
「うん」
俺も短く答えた。




