第60話 北の屋敷
ヴァルクハイト家の北邸は、レグナ城塞から馬で半日だった。
「実家?」
「生家だ」
「同じじゃない?」
「王都の屋敷が今の家だ」
言ってから、カイが俺を見る。
「お前がいる方が家だ」
「……急にそういうの挟むのやめて」
「なぜ」
「心の準備がない」
前を歩くマティアスが咳払いした。
「聞こえています」
「すみません」
「ノアが謝る必要はない」
「あなたが言わせてるんです」
北邸は古い石造りだった。王都の公爵邸よりずっと質素で、玄関脇の柱には子供の背丈を測った傷まで残っている。
十四歳あたりにK。十九歳あたりにJ。
「身長、負けてた?」
「一時期だけだ」
「気にしてる」
「していない」
扉が開き、年配の家令が出てきた。
「カイ坊ちゃま」
カイが止まる。
俺も止まる。
家令も止まる。
「……団長」
「今さら遅い」
俺は口元を押さえた。
「笑うな」
「無理」
使用人たちは、カイが帰ってきたことより俺を連れてきたことに驚いていた。食堂へ入るまでに三回、露骨に視線を感じる。
「俺、変な格好してる?」
「普通だ」
家令が代わりに答えた。
「坊ちゃまが私的なお客様をお連れになるのは初めてですので」
「仕事です」
俺が言うより早く。
「恋人でもある」
カイが平然と言った。
後ろで盆が小さく鳴った。
「それ今ここで言う?」
「事実だ」
あとで屋敷中に広まる。絶対に。
王都では公爵で、警護局では団長で、俺の前では不器用な恋人。ここではさらに、誰かの弟だった男がいる。
廊下には兄弟の少年時代の肖像があった。
十歳くらいのカイは、今よりずっと不機嫌そうだ。その横で十四歳くらいのユリウスが弟の肩へ腕を回して笑っている。
「かわいい」
「見るな」
「家に飾ってあるんだから無理」
カイは肖像を一度だけ見て、兄の部屋を開けた。
四年、ほとんど手を付けていない。
本。古い軍服。壊れた笛。机の端には途中まで削った鉛筆まで残っている。
俺は勝手に触らない。カイもすぐには入らなかった。
「大丈夫?」
「……ああ」
嘘ではない。でも平気でもない。
机の引き出しに、小さな木箱があった。
カイが自分で開ける。
銀の指輪が一つ。
「婚約指輪?」
「違う」
家令が後ろから答えた。
「ユリウス様が北境で拾われたものです。持ち主を探しておられました」
俺の視界で、指輪から透明な糸が立ち上がった。
北へ。
帰糸と同じ色。
「これだ」
「待て」
カイが手首を掴む。
「触る前に言う。頭痛が出たらすぐ離す」
「分かった」
確認してから指輪へ触れた。
白い部屋。
銀髪の青年が振り向く。
『七番』
今度は、その顔がはっきり見えた。
『兄さんを返してあげる』
青年の隣に、金髪の男が立っていた。
カイの兄。
ユリウス・ヴァルクハイトだった。




