第6話 十四歳の俺が、十九歳のあんたを救ったらしい
記憶を取り戻す方法は、意外と原始的だった。
「触れろ」
「雑」
王立魔術院の老教授は鼻を鳴らした。
「命糸は接触によって共鳴する。理屈を求めるな。古代術式はだいたい雑だ」
「教授が言っていいんですか、それ」
「わしはもう引退間近だ」
強い。
カイが横から聞く。
「どこに触れればいい」
「手で十分だ。裸になる必要はない」
俺を見るな。
「何です、その目」
「別に」
「この前の医務院の件まだ根に持ってます?」
「仕事だったんだろう」
「そうですけど」
教授が面倒そうに机を叩いた。
「痴話喧嘩は帰ってからやれ」
「違います」
二人同時に言った。
教授はさらに面倒そうな顔をした。
「ほら、手」
向かい合う。
カイが右手を出す。
大きい。
剣を握るせいか、指の付け根に硬い皮膚がある。
「何だ」
「いや。働いてる手だなと思って」
「お前の手もだろう」
「紙仕事ですけど」
「インクが落ちてない」
親指の横に青い染み。
「よく見てますね」
「近いからな」
手を重ねた。
銀赤の糸が弾けた。
視界が白くなる。
――雨。
十四歳の俺は、孤児院を抜け出していた。
空腹だった。
祭りの残り物を探しに、南区の廃礼拝堂へ入った。
そこで十九歳のカイを見つけた。
血まみれだった。
『おい』
少年の俺が頬を叩く。
『死ぬな』
『……誰だ』
『知らねえよ。俺が聞きたい』
若いカイが目を開ける。
今よりずっと幼い。
でも睨み方は同じだ。
『触るな』
『じゃあ死ね』
『……』
『死にたくないなら黙ってろ』
十四歳の俺、態度が悪い。
今とあまり変わっていない。
胸に黒い針が刺さっている。
周囲に、切れた命糸が散っている。
俺はそれを見ていた。
『何だこれ』
黒い針から、何かが彼の糸を食っている。
父。母。友人。部下。
一つずつ消える。
『やめろ』
俺は無意識に手を伸ばした。
糸を掴んだ。
本来、触れないはずのものを。
痛い。
手のひらが裂ける。
でも離さなかった。
『おい、ガキ』
『ガキじゃない』
『離せ』
『嫌だ』
『手が』
『うるさい』
消えていく糸を全部救うことはできなかった。
だから最後に残った一本を、俺は自分へ結んだ。
『これなら』
少年の俺が笑う。
『一個くらい残るだろ』
銀と赤が混じる。
命糸が生まれる。
その瞬間。
白い仮面の神官が背後に立った。
『見える子か』
頭に手を置かれる。
痛み。
記憶が白くなる。
最後に聞こえたのは、若いカイの声。
『そいつに触るな!』
――戻る。
「っ、は……」
床に膝をついた。
カイも息を荒げている。
手は繋がったまま。
「思い出した?」
「ああ」
「俺、昔から口悪いですね」
「そこか」
「重要でしょう」
カイが俺の手を見る。
十四歳の時に傷ついたはずの場所。
今は何もない。
彼の親指がそこをなぞった。
「お前だったのか」
「らしいですね」
「俺が十年間、忘れなかった声」
顔を上げた。
灰色の目が真っ直ぐ俺を見ている。
「……声?」
「顔は消えた。名前も知らなかった。ただ、死ぬなと言った声だけ残っていた」
「俺、命の恩人じゃないですか」
「ああ」
「もっと敬ってくれても」
「調子に乗るな」
「命の恩人に?」
「十四歳のお前には感謝している」
「今の俺には?」
「うるさい」
「ひどい」
教授が咳払いする。
「終わったか?」
「すみません」
「若いのはいいのう」
「だから違います」
教授は俺たちの手元を見る。
「それ、まだ離さなくていいのか?」
見れば、ずっと手を握っていた。
俺が先に離した。
カイも一拍遅れて手を下ろす。
帰りの馬車。
妙に静かだった。
「閣下」
「何だ」
「十年間、俺のこと覚えてたんですね」
「声だけだ」
「でも覚えてた」
「ああ」
「俺は忘れてた」
「お前のせいじゃない」
「それでも」
窓の外を見る。
「ちょっと悔しい」
カイは何も言わなかった。
しばらくして、膝の上に置いていた俺の手に何かが触れた。
彼の小指だった。
偶然かと思った。
離れない。
「……何です?」
「何が」
「指」
「馬車が揺れた」
「今、止まってますけど」
「……」
「閣下」
「うるさい」
俺は笑った。
小指は、そのままにしておいた。




