第5話 俺だけ忘れない
実験は簡単だった。
「三日会わない」
「却下」
「何で」
「護衛の意味がない」
「じゃあ別室」
「却下」
「二十四時間、顔を見ない」
「却下」
「あなた、実験する気あります?」
「命を守る範囲でやれ」
朝食の席。
カイは平然と卵を切っている。
「じゃあ俺、地下室に籠もります」
「駄目だ」
「何ならいいんですか」
「俺が外に出る」
「それで」
「夜には戻る」
「短い」
「十分だ」
「何の根拠で」
「俺は昨夜、お前の顔を夢で見た」
フォークを落としかけた。
「……何で?」
「知らん」
「どんな夢」
「言う必要があるか」
「研究上」
「ない」
「何してました、俺」
「うるさかった」
「夢でも?」
「ああ」
「解像度高いな」
カイは立ち上がった。
「夕方戻る」
「はいはい」
「外に出るな」
「分かってます」
「窓も開けるな」
「子供?」
「お前は放っておくと死にそうだ」
「失礼ですね」
「家を燃やされた翌日に市場で襲撃された人間が言うな」
反論できない。
カイが出ていった。
昼。
俺は資料室で十年前の灰月事件の記録を読んだ。
退屈だ。
夕方。
さらに退屈だ。
夜。
ちょっとだけ、帰りが遅い。
「……別に待ってないけど」
誰もいない部屋で言う。
十分後、扉が開いた。
「遅い」
言ってから気づいた。
カイがこちらを見る。
「七時だ」
「夕方って言ったでしょう」
「七時は夕方だ」
「冬なら夜です」
「今は春だ」
「屁理屈」
「お前がな」
俺は立ち上がる。
「で。俺の顔、覚えてます?」
「残念ながら」
「残念って何ですか」
「一日中うるさい声まで覚えていた」
「それは良かったですね」
「良くはない」
でも、口元が少し緩んでいる。
「他の人は?」
「今日、昔の部下に会った」
「覚えてた?」
「俺が名乗るまで分からなかった」
胸がきゅっとした。
「何年前の部下です?」
「四年前」
「それなのに」
「ああ」
カイは慣れている顔をした。
それがまた腹立たしい。
「俺は?」
「昨日より鮮明だ」
「……変ですね」
「そうだな」
「怖くない?」
「何が」
「俺だけ残ること」
カイは少し考えた。
「逆だ」
「え?」
「消えないものがあるほうが、まだましだ」
胸の糸が、ゆっくり光った。
俺は視線を逸らした。
「……腹減りました」
「話を変えたな」
「夕食まだですか」
「用意させる」
「肉がいい」
「昼も食っただろう」
「見てたんですか」
「報告を受けた」
「監視?」
「護衛」
「同じようなもんでしょう」
「違う」
夕食後、俺は灰月事件の記録を見せた。
「ここ」
死亡者一覧。
十九人。
そのうち十八人は名前がある。
一人だけ空欄。
「記録から消えた?」
「たぶん」
さらに医務記録。
生存者一名。
カイ・ヴァルクハイト。
その下に手書きの追記。
――治療補助者、少年一名。身元不明。
俺は文字を見た。
「これ」
妙な頭痛がした。
古い記憶が揺れる。
暗い地下。
血の匂い。
誰かの手を握っている。
『死ぬな』
幼い自分の声。
「ノア?」
カイが腕を支えた。
「大丈夫か」
「……十年前、俺、十四歳でした」
「それが?」
「灰月事件の頃、一か月分だけ記憶がない」
カイの顔から表情が消えた。
「何だと」
「孤児院にいた時期です。熱出して寝てたって聞いてた。でも」
俺たちの糸が激しく震える。
頭の奥で、声がした。
『離すな』
俺はカイを見る。
「……もしかして」
彼も同じことを考えたらしい。
「十年前、俺たちは会ってる」




