第4話 死ぬ予定の男
命糸には、寿命そのものは見えない。
でも、死が近い人間は分かる。
糸が白くなるからだ。
だから、市場でパンを買っていた男の糸を見た瞬間、俺は手から銅貨を落とした。
「ノア?」
横にいたカイが振り向く。
「あの人」
「どれだ」
「緑の帽子」
五十代くらい。肉屋の前で妻らしき女性と話している。
糸が白い。
しかも一本だけじゃない。
家族、友人、仕事仲間。彼から伸びるほぼ全部が、根元から薄くなっている。
「死ぬ」
「いつ」
「分からない。でも近い」
カイの顔が変わった。
「追うぞ」
「え、パンは」
「持ってこい」
「閣下が?」
「お前が」
「ですよね」
男は市場を出て、裏通りへ入った。
尾行はカイに任せた。
俺がやるとだいたい見つかる。
「近いです」
「離れると見失う」
「俺たち、どう見ても不審者ですよ」
「お前だけな」
「黒い外套で人を追いかけてる公爵が言います?」
「静かにしろ」
男が路地を曲がった。
次の瞬間。
白い糸が、一斉に消えた。
「走って!」
カイが先に飛び出す。
路地の奥。
男が倒れていた。
その前に、白い仮面をつけた人物が立っている。
手には黒い針。
「止まれ!」
カイの剣が抜かれる。
仮面がこちらを見た。
俺を。
「――見える者」
掠れた声。
ぞっとした。
「ノア、下がれ」
カイが俺の前に出る。
仮面の人物が針を投げた。
速い。
俺には見えなかった。
金属音。
カイが剣で弾く。
次の瞬間には距離を詰めていた。
剣と短刀がぶつかる。
狭い路地で火花が散った。
強い。
カイが、じゃない。
それは知っている。
仮面のほうだ。
近衛騎士団長と数合打ち合える人間なんて、王都に何人いる。
「閣下、右!」
俺には糸が見える。
仮面から伸びる黒い糸。
攻撃の瞬間だけ、腕と針が繋がる。
カイが右へ避ける。
剣が仮面を掠めた。
白い陶器が割れる。
半分だけ見えた顔。
若い男。
知らない。
でも。
「……糸がない」
カイと同じ。
一本もない。
男は俺を見て笑った。
「やっと見つけた」
地面に黒い球を叩きつける。
「カイ!」
爆発。
腕を引かれ、壁際へ抱き込まれた。
背中にカイの腕。
顔が胸に押しつけられる。
「息止めろ」
煙が広がった。
数秒後、視界が戻る。
仮面の男はいない。
倒れていた男性は息をしていた。
間に合った。
「……近い」
俺は言った。
「何が」
「顔」
見上げると、カイの顔がすぐそこにある。
「助けたんだが」
「それはありがとうございます」
「なら文句を言うな」
「礼と距離感は別問題です」
カイが腕を解いた。
一歩離れる。
胸の糸が、少しだけ惜しそうに揺れた。
……何だそれ。
俺は見なかったことにした。
その夜、救出した男――商人のベルト・サーンが目を覚ました。
「何をされたか覚えています?」
「誰かに……名前を聞かれた」
「誰に?」
「分からない」
「その前は?」
「手紙が届いた。古い友人からだと」
「手紙は?」
カイが回収袋から出した。
紙には何も書かれていない。
ただ一番下に、黒い印がある。
三本の糸を、刃で断った紋章。
俺はそれを見た瞬間、知っていた。
「断糸教団」
カイが俺を見る。
「知っているのか」
「昔の禁書で読んだだけです。三百年前に消えた宗派。人間は縁に縛られているから不幸になる。全部切れば自由になれるって」
「自由にしては、よく人を殺すな」
「宗教ってたまに方向を間違えるんですよ」
「たまに?」
「よく」
カイは印を見つめた。
「十年前、俺を刺した神官もこの印をつけていた」
空気が止まった。
「思い出したんですか」
「今、見て」
俺たちの糸が強く光る。
すると、カイの胸の黒い紋様から細い亀裂が走った。
ほんの一瞬。
そこから白い光が漏れる。
俺は立ち上がった。
「閣下」
「何だ」
「やっぱり、あんたの呪いと今回の事件、同じです」
「ああ」
「それと」
「まだあるのか」
「俺たちの糸、多分――」
言いかけて止まる。
嫌な仮説だった。
「何だ」
「……いえ。確証取れてから言います」
「ノア」
「その顔で圧かけても駄目です」
「効いている」
「ちょっとだけ」
俺たちの糸は、呪いの亀裂から伸びている。
もしこの糸が“縁”じゃなく。
カイから奪われた何かが、俺に繋がっているのだとしたら。
俺は何だ。
そして、彼はどうして俺だけを忘れない。




