第54話 帰ってきた兵士
レグナに着いたのは日が沈む直前だった。
北境最大の城塞都市。
石壁は高く、門の上には古い矢傷が残っている。
町に入ってすぐ、違和感があった。
人が、夜を怖がっている。
夕暮れなのに店は閉まり、子供は母親に手を引かれて走る。窓には厚い板。
「まるで籠城」
「三週間前からだそうです」
現地守備隊長のマティアスが迎えに来た。
三十代後半。日に焼けた顔。カイを見ると背筋が伸びる。
「お久しぶりです、閣下」
「今は団長でいい」
「無理です」
「なぜ」
「八年前から無理です」
俺はカイを見る。
「慕われてるじゃん」
「うるさい」
その時だった。
城門の外で悲鳴。
「来た!」
兵士たちが一斉に武器を抜く。
門の向こう、薄暗い街道を一人の男が歩いてくる。
軍服。
胸に古い穴。
顔色は死人そのもの。
でも歩いている。
「止まれ!」
警告にも反応しない。
俺の視界には、男の胸から真っ白な糸が北へ伸びている。
「待って、斬らないで!」
俺が前に出る。
カイの腕が腰を引いた。
「近づくな」
「死んでる。でも糸がある」
「だから危険だ」
「話せるかもしれない」
男が顔を上げた。
「……隊長」
掠れた声。
マティアスが青ざめる。
「ローデン……?」
「知ってる?」
「六年前に死んだ部下です」
死人が笑った。
「帰りました」
その瞬間、町中の鐘が鳴った。
男の白い糸が、突然黒く染まった。
ローデンの顔を見た古参兵の一人が、その場で吐いた。
「嘘だ」
何度も言う。
「俺が埋葬隊にいた。あいつの骨を拾った」
死人はその兵士の方を見た。
「ハンス」
名を呼ばれた男が後ずさる。
「やめろ」
「左手、まだ動かない?」
ハンスが自分の左手を見た。古傷で二本の指が曲がっている。
「ローデンしか知らない話です」
マティアスの声が掠れる。
そこで俺は初めて、この事件の怖さを理解した。
姿だけなら偽物と言える。
声だけなら術式と言える。
でも思い出まで持って帰ってきたら、人は拒めない。
「門を開けるな!」
誰かが叫ぶ。
「でもローデンだぞ!」
別の誰かが叫び返す。
城壁の内側で、生者たちの糸が一斉に乱れた。恐怖、懐かしさ、罪悪感。どれも同じ人の胸から伸びている。
俺は死人より、その生者の糸の方が怖かった。
この事件は、剣で全部片付けられない。
ローデンの軍服は六年前の型だった。襟章の糸まで古い。なのに雪も泥も付いていない。墓から這い出した死体ではない。誰かが「死んだ時の姿」を記憶から作り直している。
「ローデン」
マティアスがもう一度呼ぶ。
死人の視線がゆっくり動いた。
「隊長。妹は」
その問いに、マティアスの膝がわずかに折れた。
「……六年前と、同じ言い方だ」
門前の兵士は答えず、死んだはずの口で次の名前を呼んだ。
俺の背中を、冷たいものが走った。




