第50話 ただいまを言う場所
一か月後。
俺は自分の家へ戻った。
正確には、週二日だけ。
「これ、意味あります?」
朝食の席で聞く。
カイは新聞を読んでいる。
「何が」
「家直したのに、週五で公爵邸にいる」
「二日帰っているだろう」
「洗濯しに」
「ここでやればいい」
「じゃあますます家いらない」
「売ればいい」
「簡単に言うな」
「……買わないぞ」
俺はパンを置いた。
「今、言う前に釘刺した?」
「約束だからな」
「成長したね」
「うるさい」
玄関で鐘が鳴る。
執事が封書を持ってきた。
「ノア様宛です」
「俺?」
王室警護局。
開く。
新設部署への正式辞令。
特殊命糸事案対策室、主任鑑定官。
「……昇進した」
カイが新聞を下げる。
「おめでとう」
ちゃんと言った。
「前より反応良くなった」
「学習した」
「怖いな」
もう一枚。
配属先責任者。
カイ・ヴァルクハイト。
「これ、知ってた?」
「少し」
「推薦した?」
「した」
「どのくらい」
「かなり」
「正直になりすぎ!」
カイが珍しく笑った。
昼は新部署の準備。
夕方、屋敷へ帰る。
扉を開ける。
「ただいま」
自然に出た。
自分で止まる。
玄関ホールにいたカイも止まる。
「今」
「聞いた」
「忘れて」
「無理だ」
「即答」
「もう一度」
「嫌」
逃げようとする前に、カイが近づく。
でも腕は掴まない。
俺の前で止まる。
待っている。
それが妙に嬉しい。
「……ただいま」
もう一度言う。
カイの顔が少し緩む。
「おかえり」
たったそれだけ。
胸の糸が眩しく光った。
カイが俺の額へ口づける。
「飯は?」
「肉」
「野菜も」
「交渉しよう」
「しない」
「公爵、横暴」
「その評価は受け入れる」
「そこは変わらないんだ」
食堂へ向かう。
その途中、俺は足を止めた。
「カイ」
「何だ」
「一個、変なの見える」
銀赤の糸。
俺たちの間にある一本。
今まではカイの胸で終わっていた。
でも今日は、その結び目の一つから、ごく細い光が分かれている。
北へ。
王都の壁より遠く。
見たことのない色。
「事件か」
「たぶん」
「危険?」
「それも、たぶん」
カイはすぐ「行く」とは言わなかった。
「お前はどうしたい」
聞く。
俺は北へ伸びる光を見る。
それからカイを見る。
「行きたい」
「ああ」
「一緒に?」
「もちろん」
手を差し出される。
俺は取った。
命の糸は、未来を決めるものじゃない。
人を縛る鎖でもない。
選んだことが、あとから形になって残る。
少なくとも俺は、そう思う。
十年前。
十四歳の俺は、死にかけた男に一本の糸を結んだ。
あの時は、ただ死なせたくなかった。
今は違う。
生きていてほしい。
俺と。
明日も、その次の日も。
喧嘩して、笑って、たまに腹を立てて。
帰る場所で「ただいま」と言って。
世界中の誰と繋がっていたっていい。
それでも、この一本だけは自分で選び続けたい。
命の糸は。
君にだけ、こんなふうに繋がっている。
――第一部・完――
『命の糸は、君にだけ繋がっている』
第二部 死者の糸はほどけない




