第47話 糸がなくても
事件が終わって五日。
王都は、腹が立つほど普通に戻っていた。
朝のパン屋には列ができる。
役人は遅刻する。
市場では値切り合い。
世界を救っても、野菜の値段は下がらない。
「高いな」
カイが葉物を持ち上げる。
「今年、雨多かったから」
「これで銀貨一枚?」
「公爵が値段気にするんですね」
「高いものは高い」
「孔雀食べないし」
「まだ言うのか」
笑いながら歩く。
もう俺は緊急護衛対象ではない。
断糸教団の王都拠点は壊滅。
残党捜索は続いているが、俺の家も修復された。
だから言わなければならなかった。
「今日、帰ります」
カイが止まる。
「どこへ」
「家」
「なぜ」
「なぜって。直ったから」
「屋敷にいればいい」
「理由ないでしょう」
「ある」
「何」
珍しく黙った。
俺は待つ。
前なら命令したかもしれない。
今のカイは、言葉を探している。
「俺が嫌だ」
「何が」
「お前が帰るのが」
市場の真ん中。
こんな言い方を平然とするくせに、目だけは少し不安そうだ。
「前より正直になりましたね」
「お前が言えと言った」
「言ったけど」
「だから残れ」
「でも一回帰る」
「なぜ」
「自分の家だから。自分で決めたい」
カイの口が閉じる。
少しして頷いた。
「分かった」
それが嬉しかった。
「事件が終わったら考えるって約束したでしょう」
「ああ」
「じゃあ、今考える」
俺は目を閉じた。
「何をしてる」
「糸なしで考える」
瞼を閉じれば命糸は見えない。
ただの暗闇。
十年前に結んだ銀赤の糸も、今は見えない。
代わりに浮かぶ。
雨の日の冷たい手。
牛肉の弁当。
台所で惨殺された玉ねぎ。
喧嘩した夜。
戻ってきた時の疲れた顔。
十三の鐘の下で、振り向かずに俺を信じた背中。
『好きだ』
目を開ける。
「カイ」
「ああ」
「好き」
男が完全に固まった。
初めて見た。
「……何か言って」
「今、考えている」
「そっちが?」
「言うことが多すぎる」
「一個でいい」
カイが一歩近づいた。
「俺も好きだ」
「知ってる」
「なら」
「でも聞きたかった」
灰色の目が少し柔らかくなる。
「俺と生きろ」
「付き合う段階飛ばすな」
「嫌か」
いつもの問い。
でも今日は、すぐに答える。
「嫌じゃない。けど順番は守る」
「分かった」
「まず付き合う」
「ああ」
「一緒に住むかはあとで決める」
「ああ」
「俺の家を勝手に買わない」
「……分かった」
「今ちょっと間あった」
「気のせいだ」
笑う。
胸の糸が光った。
胸元には銀赤がまだ光っている。
俺はそこを見ないで、カイの顔を見た。
「好きだ」
今度は、何も確かめなかった。




