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第33話 二人で結ぶ

 残り五日。


 教授は、いきなり人間で試すことに最後まで反対した。


「理屈が通ったからといって、命糸へ直接触れるのは話が別じゃ」


「でも、実戦まであと五日ですよ」


「焦って事故を起こせば五日どころではない」


 もっともだ。


 それでも実験を急ぐ理由はあった。


 西区の避難所で、断糸教団に切られたまま戻っていない糸が見つかったのだ。


 老夫婦。

 夫だけが妻の顔を思い出せない。


 身体は健康。

 記憶も仕事も生活習慣も残っている。

 ただ、妻に関する部分だけがきれいに抜け落ちていた。


「無理ならやめます」


 俺が言うと、カイが横から続けた。


「異変が出たら俺が止める」


「お前が一番強引なのが心配なんじゃが」


「今日は聞く」


 教授が俺を見る。


「何があった」


「喧嘩しました」


「なるほど」


 なぜか全部察した顔をされた。


 老夫婦は診療室で向かい合って座っていた。


 妻のエマさんは、夫の手を握ろうとして、何度も途中でやめている。


「この人は、私の名前を知らないんです」


「いや、記録上は妻だと知っている」


 夫が困ったように言う。


「でも、知っているだけなんだ。……変な話だろう」


 その二人の間には、切断された青金の糸があった。


 色は薄い。

 でも完全には死んでいない。


「やってみます」


 俺はカイへ手を出した。


「ああ」


 左手でカイと繋ぐ。

 右手を切れた糸へ近づける。


 以前なら胸の奥から力を引きずり出していた。


 今回はしない。


 俺とカイの間。


 銀赤の糸へ意識を寄せる。


 不思議な感覚だった。


 俺だけの脈ではない。

 隣の男の呼吸が、手のひらから伝わってくる。


「流すよ」


「何をすればいい」


「俺を信じて」


 カイの口元が少しだけ動く。


「それは得意だ」


「……今それ言う?」


 心臓が一拍乱れた。


「集中しろ」


「誰のせいですか」


 でも笑ったおかげで肩の力が抜けた。


 銀赤の糸が淡く広がる。


 その光を、切れた青金へ重ねる。


 熱い。

 けれど、痛くない。


 糸の切断面が少しずつ合わさっていく。


 一息。

 二息。


 つながった。


 夫が瞬きをした。


 目の前の女性を見る。


「……エマ?」


 妻が口元を押さえた。


「あなた」


「何で泣いてる」


「あなたが忘れたからでしょう!」


「俺が?」


「馬鹿!」


 泣きながら叩く。


 夫は困って、それから抱きしめた。


 青金の糸が、一本ではなく何本もの細い繊維に戻っていく。


 俺は初めて見た。


 縁は一本の線ではない。


 生活の積み重ねが、何度も結ばれて束になる。


「できた」


 声が震えた。


 カイがすぐ顔を見る。


「痛くないか」


「全然」


「本当に」


「ほら」


 両手を開いて見せる。


 いつもの裂傷もない。


 教授が俺の脈を取り、瞳孔まで確認して、ようやく頷いた。


「成功じゃ」


 老婦人が涙を拭きながらこっちを見る。


「ありがとう。……仲のいいご夫婦ね」


「違います」


 俺だけが答えた。


 隣が妙に静かだ。


「カイ?」


「何だ」


「否定しないの?」


「今は実験結果を考えていた」


「嘘」


 目を逸らした。


 珍しい。


 帰り道、俺は笑いを堪えきれなかった。


「何だ」


「別に」


「言え」


「夫婦って言われて、ちょっと嬉しかった?」


 カイはしばらく黙った。


「……悪いか」


 今度は俺の方が黙った。


 握った手を開く。掌に残った熱が、やけに長く消えなかった。


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