第26話 雨宿り
残り十日。
西区の調査帰り、急に雨が落ちてきた。
最初は数滴。
次の角を曲がる頃には、屋根を叩く音で会話が聞こえないほどの土砂降りになった。
俺たちは古道具屋の軒下へ飛び込む。
「傘」
「ない」
「公爵なのに」
「公爵と傘に何の関係がある」
「誰か持ってそう」
「今日は二人だ」
言い返そうとして、気づいた。
カイの肩が硬い。
呼吸が浅い。
視線が雨の向こうのどこにも合っていない。
十九歳の夜。
灰月事件。
「手」
「平気だ」
「俺が寒い」
嘘。
手を差し出す。
カイは一度だけ俺を見て、それから握った。
指先が冷たい。
「嘘が下手だな」
「知ってる」
「ありがとう」
珍しい言葉だった。
「どういたしまして」
雨はなかなか止まない。
「昔、雨嫌いじゃなかった?」
「覚えてない」
「じゃあ、これから好きな記憶作れば」
「例えば」
「雨宿りして、焼き林檎食べるとか」
「林檎はない」
「今度」
「お前と?」
「他に誰がいるんです」
カイの手が少し強くなる。
でも、その直後。
道の向こうで馬車が急停止した。
一頭の馬が怯えて暴れている。
俺の目には、御者と馬の間ではなく、馬の首に黒い細線が巻きついて見えた。
「カイ」
「ああ」
さっきまで硬かった男が、一瞬で仕事の顔に戻る。
雨の中へ飛び出し、馬の手綱を取る。
俺も追う。
黒糸はすぐ切れた。
誰かが意図的に仕掛けた残滓だ。
「偶然じゃない」
濡れた髪をかき上げながら言う。
カイの目が冷える。
「監視されている」
残り十日。
教団もまた、俺たちの動きを見ていた。
雨の新しい記憶は甘いだけでは終わらなかった。
馬車の車軸に付着していた黒い粉を採取すると、カイはその場で護衛へ封印袋を要求した。
「こんなのまで持ち歩いてるの」
「お前と行動するようになってから増えた」
「俺のせい?」
「半分」
屋敷へ戻る前に警護局へ寄った。教授が粉を火にかざすと、机の上へ細い黒線が八方向に伸びる。
祭りで見た配置と同じだった。
「試験じゃな」
教授の顔から眠気が消える。
「人間だけではなく、動物や物に一時的な断糸反応を仕込めるか確認しておる」
「本番では?」
「街そのものを媒介にする気かもしれん」
俺は濡れた袖を握った。
雨の日の記憶を作ればいい、とさっき言った。
なら、この雨も覚えておく。
カイの手が冷たかったことも、黒糸を見つけたことも、怖いまま二人で警護局へ戻ったことも。




