第25話 切れない糸はない
残り十一日。
教授から呼び出され、俺たちは古い実験記録を見せられた。
「先に悪い知らせから言うぞ」
「良い知らせもあるんです?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
教授は紙束を一枚めくる。
「お前たちの銀赤の糸も、理論上は切れる」
隣でカイの空気が変わった。
「切れない方法は」
「ない」
「探せ」
「無茶を言うな」
「研究費は出す」
「そういう問題ではないわい」
「いくら必要だ」
「金で世界の法則買おうとしないでください」
俺が止める。
帰り道もカイは黙っていた。
「そんな気にする?」
「当たり前だ」
「でも、絶対切れない糸って怖くない?」
「なぜ」
「人は変わるから。嫌いになっても離れられないなら、それは縁じゃなくて鎖でしょう」
カイが足を止めた。
「お前は俺を嫌いになるのか」
「仮定です」
「仮定でも嫌だ」
「子供みたい」
「何とでも言え」
少し笑ってから、俺はちゃんと考えた。
「切れる可能性があるから、大事にするんじゃない?」
「……」
「俺は今日、あんたといたい」
「ああ」
「明日も、多分」
「ああ」
「十年後は分からない」
露骨に顔が険しくなる。
「だから怖い顔しないで」
「続けろ」
「十年後もそう思えるように、今日をやる。それで十分じゃない?」
カイは長く黙った。
「納得した?」
「半分」
「残り半分は」
「十年後も離す気はない」
「重いな」
「自覚はある」
いつもならここで茶化した。
でも今日はしなかった。
「じゃあ俺も努力します」
「何を」
「十年後も逃げたくならないように」
カイの眉が少し下がる。
「それは努力が必要なのか」
「閣下、料理できないし」
「そこか」
笑った。
銀赤の糸は切れる。
それを知って、なぜか前より大事に見えた。
教授室を出ようとしたところで、助手が飛び込んできた。
「先生、西区の患者が!」
運び込まれた男には、妻へ伸びていたはずの糸がなかった。黒くも白くもない。ただ、切断面だけが灰色に乾いている。
「昨日の祭りで一瞬、妻を忘れた人です」
俺は切断面へ手を伸ばしかけて、止めた。
以前なら反射で結んでいた。
「本人に聞く」
男は妻の顔を見ても何も感じない。それでも、机の上の古い指輪を握った。
「この傷、俺がつけた。結婚した日に落として」
記憶ではなく、身体に残った生活。
「教授。糸そのものじゃなく、残ってる“接点”を探せない?」
俺は指輪から伸びる極細の残滓を拾った。
切れた縁を無理に作り直すんじゃない。本人の側に残っているものへ、道だけ通す。
カイが隣へ立つ。
「必要なら言え」
「今は触らなくていい。見てて」
灰色の断面へ、指輪の残滓を重ねる。
ほんの一瞬だけ、青金が戻った。
男が妻を見る。
「……泣くなよ。理由はまだ分からない。でも、たぶん俺は、その顔を放っておけない」
妻が泣きながら笑った。
完全には戻らない。
でもゼロでもない。
俺は初めて、糸を“直す”以外の使い方を考え始めた。




