第20話 対という名前
「『対』とは、古い結糸術の用語じゃ」
教授は手帳の文字を指先でなぞった。
「片方だけでは術が成立せん、二つの器を指す。一方が結び、一方が受ける。あるいは、一方が切り、一方が結び直す」
「器って言い方やめてほしいな」
「研究書は人間に優しくない」
俺とカイは向かいに座っている。
机上には十年前の灰月事件の報告書、孤児院の記録、王族警護記録。教授が集められるだけ集めたらしい。
「俺が結ぶ側?」
「可能性は高い」
「カイは?」
「受け皿か、切断術の核として使われる予定だったか。まだ断定できん」
カイの指が机を一度だけ叩いた。
「予定だった、ということは」
「灰月事件は偶然の襲撃ではなかった可能性がある」
十九歳の王族。
十四歳の孤児。
一方は強すぎる血筋を持ち、一方は誰にも知られていない異能を持っていた。
「でも、俺はあの礼拝堂に食い物目当てで入ったんですよ」
「誰に聞いた?」
「祭りの残りがあるって……」
言いながら、記憶を探る。
濡れた石畳。
空腹。
古い鐘。
礼拝堂の裏口。
では、誰が教えた?
顔が出てこない。
「……思い出せない」
喉の奥がひやりとした。
無理に掴もうとすると、頭の中で白い霧が広がる。
カイの手が机越しに伸び、俺の手首を掴んだ。
「やめろ」
「でも」
「今のお前まで壊して確かめる必要はない」
その声には命令ではなく、明確な恐れがあった。
教授が小さく息を吐く。
「記憶を削る術は存在する。もし誘導されていたなら、その可能性もある」
「教団が俺たちを出会わせた?」
それを言葉にした途端、胸の糸が冷たく感じた。
「じゃあこれも、教団が作ったものですか」
俺は銀赤の糸を指す。
カイには見えない。
教授は首を振った。
「それは違うと思う」
「どうして」
「断糸教団の術は、他者の縁へ寄生する。色は黒く濁る。お前たちの糸はそうではない」
「銀赤」
「そして十年前の記録では、カイ殿下の命糸が消失したのは術式発動直後。その直後に、ノアが彼へ触れている」
十四歳の俺。
死にかけた十九歳のカイ。
『死ぬな』
たぶん、あの時の俺はそれしか考えていなかった。
「つまり」
「教団が舞台を作ったとしても、その糸を結んだのはお前自身だ」
肩から力が抜けた。
「……よかった」
カイが俺を見る。
「何が」
「全部決められてたわけじゃなくて」
少し迷って、ちゃんと言う。
「俺があんたを助けたのまで、誰かの筋書きだったら嫌だった」
カイはしばらく黙った。
「俺もだ」
「何で」
「俺は、お前に選ばれたと思っていたい」
胸の奥が妙に熱くなる。
「十四歳の子供に?」
「ああ」
「趣味悪い」
「そういう意味じゃない」
「分かってます」
笑ったあと、教授が咳払いをした。
「甘い空気はあとにせい。もう一つある」
手帳の「対」の横。
細い記号列。
教授が拡大鏡を置く。
「これは日付じゃ。最初の警告に書かれていた日と同じじゃ」
「何の?」
「儀式の完成予定日じゃろう。残り十六日」
笑いが消えた。
俺たちの糸の話は、まだ終わっていなかった。
むしろ、そこから始まるらしかった。




