第100話 君と生きる方を選ぶ
翌日の夕食後。
ミラに呼び止められた。
「ノア様。少々こちらへ」
「何?」
「髪を」
「昨日洗ったけど」
「そういう意味ではございません」
座らされて、焦げ跡をカイに切られて以来少し不揃いだった毛先を整えられる。
「何で?」
「旦那様からお願いされました」
「何を企んでるの」
「存じません」
絶対に知っている顔だった。
庭へ出る。
派手な飾りはない。
小さな灯り。
冬でも咲く白い花。
カイらしい。
「雰囲気ある場所にしろって言ったから?」
「言っただろう」
「本当に準備した?」
「した」
「やればできるじゃん」
「帰るぞ」
「ごめん。続けて」
カイが一歩近づく。
いつもなら迷わない男が、今日は言葉を選んでいる。
「前に、家族になりたいと言った」
「うん」
「結婚を急かすつもりはない」
「急に重い単語来た」
「最後まで聞け」
「はい」
胸の銀赤を見そうになって、意識を外す。
答えを能力へ聞かない。
「俺は、お前と生きる方を選び続けたい」
カイの声がわずかに震える。
「屋敷にいることも。仕事も。喧嘩も。明日の朝飯も」
「朝飯まで?」
「全部だ」
「……家族って、あなたにとって何?」
すぐには答えなかった。
「帰る場所を同じにすること」
「それだけ?」
「逃げたい時に、逃げたと伝えられる相手になること」
意外だった。
「守る、じゃないんだ」
「守りたい」
そこは迷わない。
「だが、それだけなら上司でもできる」
胸の奥が熱くなった。
以前のカイなら、“一生守る”と言ったかもしれない。
今は、俺が自分で歩く前提で隣に来る。
「じゃあ俺は」
「何だ」
「あなたが間違えた時、ちゃんと怒る家族がいい」
「もうやっている」
「確かに」
笑った。
それから、俺は自分から手を差し出す。
糸があるからじゃない。
「正式な手続きとか、結婚するとかは、二人で決めよう」
「ああ」
「でも答えは今言う」
カイの手が俺の手を包む。
「俺も家族になりたい」
灰色の目が、ほんの少し見開かれた。
そのあと表情がほどける。
こんな顔をするんだ。
どんな命糸より先に、覚えておきたいと思った。
カイが顔を寄せる。
途中で止まった。
「いい?」
聞かれる。
「うん」
唇が触れる。
一度だけでは終わらない。
俺から襟を掴んでもう一度引き寄せると、腰へ回った腕が少し強くなった。
寒い庭なのに、首の後ろまで熱い。
離れた時、額が触れたままだった。
「ところで」
「何だ」
「この国、男同士でも結婚できる?」
「できる」
「先に言って」
「聞かれなかった」
「自分が使う制度なのに知らなかったとか言わないよね」
「昨日確認した」
「確認したんだ」
「使う可能性ができた」
俺は数秒黙ってから、顔を覆った。
「そういうのさらっと言うの、ずるい」
「何が」
笑いながら屋敷へ戻りかけて、玄関の手前で足が止まった。
銀赤の糸に、知らない光が混じっている。
南へ。
細い紫。
今まで一度も見たことのない色。
「また何か見える?」
「うん」
「危険か」
「分からない」
「行きたい?」
北へ発つ前にも、同じことを聞かれた。
でも今は、答えを急がなくていい。
俺は紫の糸から目を外す。
「今日は帰ろう」
「ああ」
「明日、二人で考える」
「それでいい」
玄関を開ける。
暖かい空気と、夕食の残りの匂い。
「ただいま」
「おかえり」
銀赤に、小さな結び目が一つ増えた。
紫の糸は、扉の向こうで静かに南へ伸びている。
「明日、見る?」
カイが外套を受け取りながら聞く。
「朝飯のあと」
「卵でいいか」
「だから他の料理も覚えて」
「努力する」
「珍しい」
笑いながら食堂へ向かう。
紫の光は消えない。
でも今夜、俺たちはそちらへ行かない。
閉じた扉の内側で、銀赤だけが静かに揺れていた。
――第二部・完――




