09-美人剣士の献身は、少々刺激が強すぎる
なんとか食事を終えてしばらくした頃、部屋の扉が勢いよく開いた。
「レイジ、ちょっといいかい」
そう言いながら部屋へ入ってきたのは女将だった。
「ノックくらいしてくれない?」
「男の一人部屋に今さら何を気にするんだい」
「いや、今は女もいるんだけど」
「あら、ほんとだね」
「ほんとだね、じゃないよ」
女将は悪びれる様子もなく、俺とミレイユを交互に見て、部屋の隅に置かれている俺の荷物に視線を向けた。
「あんた、しばらくまともに動けないんだろ?」
「まあ、何日かは」
「だったら部屋替えな」
「部屋?」
「奥の部屋が空いたんだよ。湯浴みのできる部屋」
「……湯浴みって、風呂か?」
「風呂ってほど立派なもんじゃないけどね。大きな桶が置いてあるから、お湯を運んでもらえば身体くらい洗えるよ」
「いくら?」
「怪我が治るまで同額でいいよ」
「マジで?」
「昨日あれだけの騒ぎを起こしたんだからね。治るまでは大人しくしてもらった方が、こっちも安心なんだよ」
言い方はあれだが、完全に女将の好意のようだった。
「……ありがたい」
「礼ならそこのお嬢ちゃんに言いな。ずっとあんたの面倒見てるんだろ?」
「えっ、いえっ、私は別に――」
「じゃ、荷物はあとで運んどくから」
言いたいことだけ言って、女将は出ていった。
扉が閉まると、俺とミレイユの間に妙な沈黙が落ちた。
「…………」
「……風呂か」
昨日は王都中を走り回った。
そのまま一晩看病して、朝から殺し合いみたいな喧嘩をして治療院へ運ばれた。
当然、身体なんて洗っていない。
「じゃぁお風呂も私が手伝いますね」
「は?」
「怪我人なんですから仕方ないです……よね?」
そう言って笑ったミレイユの顔を見ながら、さっきHELPから聞いたばかりの言葉が頭をよぎる。
恋愛感情。
知らなければ何も考えず追い返していたに違いないが、ミレイユの心の内を知ってしまった。
「……レイジさん?」
「いや」
「……その……無理にとは言いませんので……」
「……頼む」
「あっ、はい! 任せてください!」
嬉しそうに笑うなよ。
余計に意識するだろ。
◇
移動した部屋は、今までの部屋より少しだけ広かった。
といっても、豪華になったわけではなく、部屋の隅に人が1人入れるくらいの大きな木桶が置いてある部屋だった。
だが衝立すら置かれていない。
「……これ、風呂付きの部屋じゃなくて、部屋に桶が置いてあるだけだよな」
「贅沢ですよ。部屋で湯浴みできる宿なんて、そんなにありませんから」
「そういうもんなの?」
「そういうものです」
そうこうしているうちに、女将と手伝いの男衆が何度かに分けて湯を運んでくれ、桶の半分ほどまで溜めてくれた。
風呂桶から次々と湯気が上がり、少しだけ開けれれた木窓の隙間から外へと消えていく。
「じゃあ脱いでください」
「…………」
「どうしたんですか?」
「いや、お前いるのに?」
「私が手伝うんですから、いるに決まってるじゃないですか」
「そりゃそうだけど」
なんでこいつの方が平然としているんだ。
いや、よく見ると顔が真っ赤だった。
平然としているふりをしているだけらしい。
そんなミレイユの様子には気づかないふりをしながら、上着に手をかける。
右手だけで脱ごうとしたが、左肩を動かせないので当然うまくいかない。
試行錯誤しているうちにミレイユが俺の前に立った。
「じゃ、じゃぁ、右腕からゆっくりと脱がせますね」
「ああ」
服を引っ張られ、右腕が抜ける。
そして左腕を通そうとしたところで傷が引きつった。
「痛っ」
「あっ、ごめんなさい!」
「いや、ちょっと引きつっただけだから大丈夫」
「あまり動かさないでくださいね。私がやりますから」
急に顔が近くなる。
傷口に触れないようにシャツを脱がすことに集中しているせいか、ミレイユ自身は気づいていない。
俺の視線からは、ミレイユの胸元がかなり危ないラインまで見えている。
「…………」
「脱げました!」
「お、おう」
「どうしました?」
「何でもない」
見てない。
たぶん……少ししか。
「じゃあ、入ってください」
結局、ズボンまで世話されるのは断固拒否して、自分で脱いで腰にタオルを巻いて桶へ入った。
「……あー」
温かい。
肩まで浸かれないのが残念だが、それでも十分だった。
「生き返る……」
「昨日死にそうだったのは私ですけどね」
「そういう意味じゃねえよ」
ミレイユが笑う。
「背中、洗いますね」
「ああ」
風呂桶にあぐらをかいて背中を向けていると、ミレイユは湯に浸した布を絞って俺の背中を拭き始めた。
「痛くないですか?」
「大丈夫」
「じゃあ信用しません」
「俺の大丈夫は、もうそこまで信用ないのか?」
「ありませんね」
「即答か」
濡れた布が背中を滑る。
気持ちいい。
気持ちいいんだが――。
腕の方を拭くときに背中に別の柔らかいものが当たる。
「…………」
「どうしました?」
「近くない?」
「きっ、傷に触らないようにしてるんです」
だったら仕方ない。
仕方ないよな……俺は前だけを見ることにした。
「次、首を拭きますね」
「ん」
首筋から胸元へゆっくり布が滑っていく。
桶の外に膝をついているためか、背中にはっきりとむにゅっと潰れた柔らかいものが押し付けられている。
そんなことを考えていると、不意にミレイユの手が止まった。
「……レイジさん」
「なっ、何だ?」
「傷、ここにもありますね」
「ああ」
昨日短剣で掠めた左腕に、酒場でバルガスとやり合ったときの細かい傷。
それ以外にも、こっちへ来てからついた小さな傷がいくつかある。
「痛かったですよね……」
「まあ……な」
「……すみません」
「なんでお前が謝るんだよ」
「私の依頼を受けなかったら、こんな怪我しなかったのに」
「またそれか?」
俺は首だけ振り返って背後を見るとミレイユが俯いていた。
「昨日も言っただろ。お前のせいじゃない」
「でも……」
「俺が依頼受けて、俺のやりたいように動いただけだ」
「…………」
「だから気にするな」
ミレイユがゆっくり顔を上げ、目が合った。
近い。
濡れた布を持ったまま、俺のすぐ後ろにいる。
「……レイジさんってずるいですよね」
「なんで?」
「そういうこと平気で言うからです」
なんなんだ……いや、もう理由は知ってるんだけど。
恋愛感情。
そう考えた瞬間、俺まで妙に意識してしまう。
「……前向いていてください」
「はいはい」
背を向けると、しばらくして上半身を拭き終えた。
「もういいぞ」
「頭も洗いますよ?」
「片手で洗える」
「駄目です。傷が開いたらどうするんですか」
「…………」
結局、頭まで洗われた。
完全に介護である。
◇
そうして湯浴みを終えるころには、もはや色々と隠す気もなくなっていた。床に広げた乾いた布に立ち、前は自分で拭きながらミレイユに背中を拭いてもらうと、最後には浴衣のような形の寝間着を着せられた。
その頃には、ミレイユの白いシャツもスカートも完全にずぶ濡れになっていた。2つの大きな双丘に濡れた布が張り付き、その引力に視線が否応なしに引き寄せられる。
「と、とりあえずミレイユも着替えた方がいいぞ」
「そっ、そうですね」
ミレイユは自分の全身がどうなっているのかを理解したのか、慌てて後ろを向いてしまった。その間に俺はゆっくりとベッドへと向かい、仰向けに寝転んだ。
「あの……私も、少しお湯借りますね……服、洗っちゃいます」
「好きに――」
そこまで言って、視線を向けた先でミレイユがスカートの留め具に手をかけていることに気づいた。
「……待て」
「はい?」
「ここでか?」
「そ、そうですね」
「そうですね、じゃねえよ」
「でっ、でも……仕方ありませんし」
そう言ってミレイユが再びくるりと背を向けた。俺もなるべく視線を向けないように天井に視線を向け、木目の形に集中する。
「あの……なるべく見ないでくださいね?」
「お前、俺のこと信用しすぎじゃない?」
返事がない。
代わりに衣擦れの音がした。
「…………」
マジで脱いでる。
だがこいつは俺に恋愛感情を持っている……だからこそ、変なことをして、その感情が無くなるのはまずい。
衣擦れの音。
ぱさり――と、何かが床へ置かれる音。
「…………」
聞こえてくる音だけで妙に意識してしまう。
「レイジさん」
「何?」
「見てませんよね?」
「見てねえよ」
「本当に?」
「なんでちょっと残念そうなんだよ」
「残念そうになんて言ってません!」
ツッコミを入れようと視線を向けそうになって、やめた。
危ない。
少しして、水を絞る音が聞こえ始めた。
身体を拭いているらしい。
天井だけ見ているのも疲れる。
ほんの少しだけ視線を横へ動かすと、ミレイユは風呂桶に背を向けて座っていた。
赤みがかった長い髪を片側へ寄せ、残り湯に浸した布で身体を拭いている。
「…………」
見えてはいけないところは見えないのだが。
白い背中、細い腰。
鍛えているせいか、華奢なだけではない身体の線。
それだけでも十分すぎるほど美しかった。
しかも身体を拭き終えると、今度は脱いだ服を桶の中で洗い始めた。
「お前さ」
「はい?」
「本当に俺がいるところでやる必要あった?」
「だって服、濡れちゃいましたし」
「女将に別の服借りればよかっただろ」
「……あ」
「気づいてなかったの?」
「…………」
耳まで赤くなっているのが後ろからでも分かった。
「忘れてください」
「今日それ2回目だぞ」
「忘れてください!」
「分かった分かった」
俺は笑いながら天井へ視線を戻した。
しばらくすると、また水音が聞こえる。
考えてみれば妙な状況だ。
知り合ってまだ数日で、最初は殺されそうだから助けてくれと言われただけだった。
そして毒を盛られて、死にかけた。
口移しで薬を飲ませてから、命懸けで守って。
それが今は同じ部屋で、俺がベッドに寝転がっているすぐ横で湯浴みをしながら服を洗っている。
そして――。
こいつは俺のことが好きらしい。
「…………」
「レイジさん? また何か考えごとですか?」
「ちょっとだけな」
「変なことですか?」
「失礼だな」
「さっきから時々、すごく悪い顔してますよ」
「そんな顔してないし、見えないだろ」
「絶対にしてますよ」
「……まあ、悪くはないな」
俺は天井を見たまま口元を緩める。
「何がですか?」
「怪我人生活」
「もう」
背後で、またミレイユが笑った。
10年と211日というとんでもない対価を支払ってしまった。
稼いだばかりの金貨も半分近く消えたうえに、肩まで刺された。
どう考えても大赤字だ。
それなのに、少なくとも今だけは――そこまで損をした気がしなかった。




