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10-美人剣士は、もう遠慮しない

 しばらくして、側面から聞こえていた水音が止まった。


「レイジさん……もう大丈夫ですよ」


 そう言われて視線を横に向けた。


「…………」


 そして、すぐに後悔した。


 ミレイユは身体こそ布で隠していたものの、さっきまで着ていた服は桶の縁に掛けられている。


 洗ったばかりなのだから当然濡れたままだ。

 そして本人も髪がまだ濡れたままだった。

 赤みがかった長い髪から雫が落ち、白い肩を伝っていく。


「……お前」

「はい?」


「服は?」

「洗いましたよ?」


「それは見れば分かるが、着替えは?」

「……?」


 しばらく考え込んだ様子のミレイユが何かに行き着いたのか、突然固まった。


「まさか考えてなかったのか?」

「…………」

「おい」


「……考えてませんでした」

「馬鹿なの?」


「だ、だって! あんな状態で帰るわけにもいかないじゃないですか!」


 しかし困った。

 女将を呼べば済む話なのだが、呼ぶためには下まで行かなければならない。


 俺は怪我人だし、ミレイユは――。


「女将さんを呼んできます」

「その格好でか?」

「…………」


 何もない部屋を見回したところで何もないのだか……と考えたところで思い出した。


「荷物の中に変えのシャツならある」

「本当ですか!?」

「たぶんその荷物入れの一番上」


 ミレイユが俺の荷物へ向かうと、背中を向けたまま屈み込み、片手で身体を隠しながら荷物を探し始めた。



「えっと、これですか?」

「それ」


「借りてもいいですか?」

「どうぞ」

「ありがとうございます!」


 俺のシャツを抱え、ミレイユはほっとした顔をした。


「じゃあ……また見ないでくださいね?」

「はいはい」


「絶対ですよ?」

「分かったって」


 俺は再び天井へ視線を向けた。

 また衣擦れの音だけがする。


「もういいですよ」


 ミレイユの許可が出たので視線を戻す。


「…………」

「な、なんですか?」

「いや……」


 俺のシャツを着たミレイユが立っていた。


 当然だがサイズが合っていない。

 小柄なミレイユには大きすぎて、裾は太腿の途中まで隠れている。


 しかも胸の厚みのせいで、上半身はかなりキツキツのように見える。

 そして当然ながらシャツ一枚だけだった。


「見ないでください」

「見てねえよ」


「……見てくれないんですか?」

「どっちだよ……」


 ミレイユは恥ずかしそうにシャツの裾を押さえながら、濡れた髪を布で拭き始めた。


 しかし、革鎧を着て剣を下げていた女と同一人物には見えない。

 そして何より、こいつが俺を好きだと知っている。


「…………」

「また見てます」


「部屋狭いんだから仕方ないだろ」

「じゃぁ、私のどこ見てたんですか?」


「……胸と脚」

「正直に言わないでください!」

「じゃあ聞くなよ!」


 ミレイユが真っ赤になって、またシャツの裾を下へ引っ張る。

 その仕草を見ていると、妙に可愛く思えてきた。


 まずいな。

 こいつが俺を好きかどうか以前に、俺の方もかなり意識し始めている気がする。


「……レイジさん」

「何?」


「そんなに見られると、本当に恥ずかしいんですけど」

「悪かったよ」


 ミレイユが小さく笑った。


「でも、全然見られないのもちょっと嫌です」


 そのままミレイユは濡れた服を窓際へ干し始めた。


「これ、今日中に乾くかなぁ……」

「無理だろ?」


「ですよね……」


 外はもう夕方だった。

 冬が近くなっているのかしらんが、最近日が落ちるのも早くなっている。


「女将から服借りれば?」

「はい、あとでそうしますね」


「じゃあ問題ないだろ」

「はい」


 そう言ったくせに、ミレイユは動かなかった。

 窓際に立ったまま、何かを考えている。


「どうした?」

「……レイジさん」

「ん?」


「今夜は1人で大丈夫ですか?」

「どう言うことだ?」


「夜ですよ」

「夜は寝るだけだろ」


「でも、傷が開いたりしたら?」

「大丈夫だって」


「レイジさんの『大丈夫』は信用してませーん」

「またそれ?」


 ミレイユがベッドのそばへと戻ってくる。


「昨日だって無茶ばかりして……今日も起き上がるだけで痛がってました」

「それは……」


「それに薬も飲まないと駄目ですよね?」

「自分で飲めるぞ」


「口移しでもいいですよ?」

「なんでそこに戻るんだよ」


「……冗談です」

「顔真っ赤で言われても説得力ないぞ」

「もうっ!」



 ミレイユがベッドの脇に腰を下ろした。


「とにかく、今夜は私が看病することにします」


 思わずミレイユの顔を見る。


 ミレイユも自分が何を言ったのか分かっているらしい。

 顔は赤い……だが、今度は視線を逸らさなかった。


「お前さ」

「はい」


「それ、意味分かって言ってる?」

「……分かってます」


「しかもその格好で」

「それは……事故なので」


「事故かよ」

「事故です」


「じゃあ帰れよ」

「嫌です」


 即答だった。


「……好きにしろ」

「はいっ! 好きにします!」



 その後は目のやり場を意識しつつ他愛もない話をしていると、外が暗くなりはじめ、女将が様子を見に来た。


 ミレイユの格好を見て一瞬だけ俺を見たが、何も言わず、妙に生温かい笑顔を向けてきた。


 違うからな。

 まだ何もしてないからな。

 そう言いたかったが、言ったら余計に怪しくなりそうなのでやめた。

 夕食を運んでもらってから薬を飲んで、やがて寝る時間になった。


           ◇


「……で」

「はい?」


「お前、どこで寝るの?」

「…………」


「ベッド使えよ」

「レイジさんは?」


「俺もベッド」

「…………」



 俺の直球な提案にミレイユが固まった。



「いや、そんな顔されても。俺は怪我人なんだから床じゃ寝ないぞ」

「そ、そうですよね」


 少し迷ったあと、ミレイユが小さく頷いた。


「……じゃあ、お邪魔します」


 俺はベッドの端へ身体を寄せたが、もともと1人用だから、2人で寝るにはかなり狭い。

 ミレイユが恐る恐る布団を持ち上げると、俺のシャツだけを着た身体が、隣へ滑り込んできた。


「…………」

「…………」


 当たり前だが近い。

 肩が触れそうな距離どころか、肩も脚もすでに触れている。

 そしてなんでこんなにいい香りがするんだ。


「狭いですね……」

「1人用だからな」

「そうですよね……」


「…………」

「…………」


 なんだこの空気。


「とりあえずそろそろ寝るぞ」

「はい」


 灯りを消し、室内が暗闇になる。



「…………」

「…………」



 眠れない。

 隣に人がいる。


 しかも女で美人で良い匂いがする。

 しかも俺のシャツしか着ていない。

 しかも――俺のことが好きらしい。


 寝られるか。


「……レイジさん」

「何?」


「起きてます?」

「寝てる」

「嘘です」

「じゃあ聞くなよ」

「ふふっ」



 暗闇の中で小さな笑い声がした。

 少しして、ミレイユが身体を動かす。

 脚が触れた。



「ご、ごめんなさい」

「別に謝るほどじゃないだろ」


「でも……」

「狭いんだから仕方ない」

「……はい」



 それから少し経って、また脚が触れた。


「…………」


 今度は離れない。

 偶然なのかと思ったが、しばらくすると肩まで近づいてきた。


「ミレイユ」

「はい」


「近くなってない?」

「……ベッドが狭いので」


「わざとだろ」


 返事がない。


「ミレイユ?」

「……少しだけ」

「少しだけ?」

「少しくらいなら……いいかなって」


 何がいいんだ。


 そう聞こうとしたが、やめた。

 たぶん本人もよく分かっていないし、ただ近づきたいだけなのだろう。



「嫌なら離れます」


 小さな声で言う。


「嫌じゃないぞ」

「…………」


 すると、本当にまた近づいてきた。

 肩と肩が触れる。

 それだけなのに、ミレイユは満足したらしい。


「……ありがとうございます」

「何のお礼だよ」

「分かりません」

「分かんないの?」


 またミレイユは小声で笑った。


 しばらくすると、今度は肩に頭が触れ、遠慮がちに俺の右肩へ頭を預けてきた。

 傷のある左側を避けているのは、ちゃんと考えているらしい。



「…………」

「…………」



 柔らかな髪が首元に触れる。

 少しくすぐったい。



「レイジさん」

「ん?」


「昨日……私、本当に死ぬところだったんですよね」

「……まあな」


「レイジさんがいなかったら」

「そういう話はもういいって」


「でも、言いたいんです」


 ミレイユの声が近い。


「ありがとうございます」

「もう何回目だよ」

「何回でも言います」


 そのセリフを最後にまた静寂が訪れた。

 今度はミレイユの手が布団の中を探るようにして、俺の右手に指先が触れてぴたりと止まった。



「…………」

「…………」



 触れただけで握ってはいない。

 俺も動かないでいると、少しだけ――本当に少しずつ、ミレイユの指が俺の指に重なってきた。



「ミレイユ?」

「嫌ですか?」


 またそれか。


「嫌じゃない」

「なら……いいですよね?」


「お前、それ便利な言葉だと思い始めてない?」

「ふふっ、そんなことないですよ」


 言いながら、今度はちゃんと俺の手を握った。

 さっきより大胆になっている。


「顔赤くなってない?」

「……見ないでください」

「どうやってだよ」

「知りません」

「無茶言うな」



 少し笑うと、ミレイユもつられて笑う。

 緊張が解けたのか、肩に預けていた頭がさらに近づいてくる。

 気づけば、ほとんど俺の胸元へ頬を寄せるような格好になっていた。



「ずいぶん大胆だな」

「……レイジさんが嫌じゃないって言うからです」


「俺のせいなの?」

「半分くらいは」


「残り半分は?」

「知りませーん」


 どこかで聞いたようなやり取りだった。

 そのまま黙っていると、ミレイユが握っていた手を少し動かし指を絡めてくる。


 明らかに調子に乗り始めているなと思いながらも、俺も手を離さなかった。



「……レイジさん」

「今度は何?」


「昨日の薬のことなんですけど」

「薬?」


「飲ませてくれたときの……」



 あれか。



「あれは仕方なくだからな」

「分かってます」


「意識なかっただろ」

「途中から少しだけ覚えてるんです」


「マジで?」

「はい……」



 声が急に小さくなる。



「どこから?」

「……言いません」


「なんで」

「恥ずかしいからです」


 ミレイユが少しだけ顔を上げた。

 暗闇に目が慣れたせいで、すぐ近くに赤い瞳があるのが分かる。


「……どんな感じだったかなって」

「何が?」


「…………」

「ミレイユ?」


「何でもありません」


 また俺の胸へ顔を隠した。


「いや、今の言い方で何でもないは無理だろ」

「忘れてください」


「今日何回目?」

「忘れてくださいっ」


「分かったよ」


 笑いながら答える。

 すると胸元に顔を埋めたまま、ミレイユがぼそっと呟いた。


「……でも」

「ん?」


「忘れられるのも嫌です」

「どっちだよ」


「私も分かりません……」



 ミレイユが顔を上げた。

 さっきよりずっと近い。

 互いの息が分かるくらいの距離。



「…………」

「…………」



 視線が合う。

 逃げるかと思ったが、ミレイユは目をそらすことは無かった。

 代わりに、握っている手に力が入ったのがわかる。



「レイジさん……今は薬、ないですよね」

「ないな」


「…………」



 そこまで言って、また黙った。

 俺は少し迷ってから、動かせる右手をミレイユの背中へ回した。



「……っ」



 ミレイユの身体が固まったが、しばらくするとゆっくり顔を上げた。

 赤い瞳が俺を見る。


「……レイジさん」


 俺は少しだけ迷ってから、ミレイユの頬へ手を伸ばす。

 触れた瞬間、ミレイユが目を閉じた。

 唇が触れる。



「…………」



 ほんの一瞬。

 すぐに離れた。

 ミレイユがゆっくり目を開ける。



「ミレイユ?」

「短いです」

「は?」


 自分で言ってから恥ずかしくなったらしい。

 ミレイユの顔がまた真っ赤になった。


「い、今のは忘れて――」


 ミレイユが最後まで言い終わる前に、もう一度唇を重ねた。


「……っ」


 今度は少し長い時間……そして唇を離すと、ミレイユは呆然と俺を見ていた。


「もう1回……」

「さっきまでの恥じらいどこ行った?」


「レイジさんが悪いんです」

「なんでだよ」

「知りません」


 そう言いながら今度はミレイユの方から、顔を近づけてきた。


「……レイジさん」


 そして今度は先にミレイユの唇が触れてきた。

 まだぎこちない。

 触れて、離れて。

 恥ずかしそうに俺を見る。


 「…………」


 どうやら一度許してしまったことで、完全に何かの歯止めが外れたらしい。

 俺の寝間着を掴んでいた手が背中へ回る。

 身体がさらに近づく。


「ミレイユ」

「……はい」


「肩だけ気をつけて」

「そこなんですか?」


「今一番大事だろ」

「……もう」


 笑ったミレイユを、傷のない右腕で抱き寄せる。

 今度は驚かなかった。


 むしろ自分から身体を預けてくる。

 そして――もう一度、唇が重なった。


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