07-赤字の依頼と、剣士の涙
窓の外の町並みが薄明るくなってきたが、ミレイユはまだ目を覚まさなかった。
俺はベッドの横へ椅子を置き、一晩中そこに座っていた。
何度も呼吸を確認し、シャツをめくっては汗を拭いて水を飲ませた。
そうして一晩中看病をした結果、一睡もできなかった。
「……眠みぃ」
机の上に転がった皮袋に視線が止まった。
中身を確認する気にもならない。
昨日まで10枚あった金貨が、もう半分消えていた。
「……俺、何やってんだろ」
112日分の寿命を返済したが、それを喜んでいたのが昨日だ。
今回はHELP機能にいくら使った?
(やばいかもしれない……)
一体何日分請求されるのか、俺はなにも聞いていない。ただあの時はいっときの猶予もなかったから仕方がない。
そう自分に言い聞かせるしかない。
依頼料なんてまだ銅貨1枚も貰っていない。
むしろ依頼料の話をするのを忘れていたことに今頃気づいてしまった。
「完っ全に赤字じゃねえか……」
思わず笑ってしまう。
馬鹿だ……本当に馬鹿だ。
だが……ベッドを見つめる。
汗は引き、苦しそうな表情も無くなったミレイユの胸がゆっくり上下している。
「……まあ、ミレイユが生きてるならいいか」
そのとき。
「……レイジ……さん?」
小さな声がした。
「ん?」
ミレイユを見るとその瞼がゆっくり開いていた。
「お前……」
「ここ……は……?」
「俺の部屋だ……何が合ったか覚えてないのか?」
ミレイユが少し目を伏せ、額に手を当てて考え始める。
「歩いていて……急に……」
「突然倒れたんだよ」
「……どうして」
「毒を盛られてたんだ、あのままだったら朝まで持たなかったんだとよ」
毒という単語にミレイユの目が大きく見開かれた。
「毒……?」
「遅効性のな。1週間くらい前から少しずつ盛られてたっぽいぞ」
「そんな……」
「とりあえず解毒はした。まだ動くなよ」
「レイジさんが……?」
「他に誰がいるんだよ」
ミレイユが俺を見て、机の上に広げられた様々な調合器具に向き、そして俺の顔へ戻ってきた。
「レイジさん……寝てないんですか? ひどい顔してますよ」
「死にかけてたやつに言われたくねえ」
ミレイユがほんの少し笑ったが、その目に涙が滲んだ。
「ありがとうございます……」
「礼は元気になってからでいいよ」
「でも――」
そのとき。
突然部屋の扉がギィと音を立てて開いた。
「――生きてやがる」
男の声も同時に聞こえ、俺は反射的に立ち上がった。
2人の男――1人は知らない男だったが……。
「……お前、なんでここに」
昨日捕まえられたはずのバルガスだった。
「へっ、金さえ払えば、見逃してくれる奴なんてどこにでもいるんだよ」
バルガスがそう言って薄気味悪い笑みを浮かべ、腰に下げた剣に手を伸ばした。
隣の男の手には抜き身の短剣。
「で、お前、あの毒を食らってなんで生きてんだよ」
ミレイユに向けてそういった隣の男を改めて見るが、やはり俺は知らないやつだ。
「ふっ、バルガスがミレイユの話ばっかりするからな。利用させてもらった」
「で、お前はどこの誰なんだ? ミレイユ、知ってるやつか?」
「えぇっと……」
「お前に通報されて商売を潰された男だよ」
そこまで聞いてやっと思い出したのか、ミレイユが息を呑むのが分かった。
「……グレイさん?」
「やっと思い出したか」
なるほど、ミレイユが言っていた商人がこいつか。
つまりこのグレイとやらが、バルガスに嫌がらせをさせ、その裏で自分は本当に殺すための毒を盛っていた。
だからバルガスを捕まえても依頼は終わらなかったということか。
「で、こんな朝っぱらからなんの用だ? わざわざ死んだか確認しに来たの?」
「あれが解毒されるなんて思ってなかったが、念のためにとどめを刺しに来ただけだ」
「それは残念だったな」
「そうだな」
そういった男がニヤリと笑い短剣を構えた。
「……はぁ」
俺はため息を吐いた。
寝不足にあちこち走り回ったせいで脚は痛いし身体が重い。
俺は剣なんて使えないし魔法も使えない。
だが相手は剣を持った2人でこちらを殺そうとしている。
「ほんと、最悪だな」
「レイジさん……窓から逃げてください」
後ろから小さな声がした。
「寝てろ」
「でも!」
「昨日言っただろ、俺の言うことは聞けって」
背後のミレイユに視線を少し向けた瞬間、男が踏み込んできた。
速い。
「っ!」
咄嗟に身体を捻ったが避けきれない。
短剣が左腕を掠め、熱い痛みが走った。
「レイジさん!」
「大丈夫!」
大丈夫じゃない。
痛え――くそ痛え。人生で初めて剣で切られた。
だが退いたら、その後ろにいるのはミレイユだ。
俺はとっさに机を蹴り飛ばした。
「うおっ!?」
机が男の足へぶつかり体制を崩したところへ椅子を叩きつけた。
剣術なんて知らない。
こんなものはただの喧嘩だ。
だから俺は使えるものは何でも使う。相手をしばき倒せば勝ちなんだ。
「このっ!」
横からバルガスが掴みかかってくる。
腹に拳を食らった。
「ぐっ……!」
息が止まるが、そのまま壁へ叩きつけられた。
「レイジさん!」
「寝てろって言ってんだろ!」
怒鳴った瞬間、バルガスの拳を顔に食らい視界が揺れた。
口の中に血の味が広がる。
腹が立ってきた。
寿命を使って、金貨を使って、一晩中看病して。
やっと目を覚ましたんだぞ。
それを――
「今さら殺させるわけねえだろ!」
バルカスに頭突きを叩き込む。
「ぐあっ!」
バルガスが怯んだのを見て、俺はその股間を思い切り蹴り上げた。
「――っ!?」
「俺は剣士じゃねえんだ」
泡を吹いて崩れ落ちるバルガス。
残るは1人――が、振り返った瞬間、視界に短剣が迫っていた。
避けられない。
俺はとっさに身体を捻ったが、肩に刃が突き刺さった。
「ぐっ……!」
「レイジさん!!」
痛い……死ぬほど痛い。
だが――俺は肩に短剣を刺さったまま、その商人の手首を掴んだ。
「捕まえた」
「なっ――」
そして空いている手で男の顔面を殴る。
1発、2発、、3発……。
5発目を殴ろうとしたところで、男が短剣から手を離し後退りしようとした。
だが、俺はそのまま商人の襟首を掴み、壁へ叩きつけた。
まだ意識がありそうなので、もう一度、今度は後頭部から壁へ叩きつけた。
男の身体から力が抜け、その場へ崩れ落ちる。
「……はぁ……はぁ……」
先ほどまでの喧騒が突然静かになった。
《依頼に関連する脅威の排除を確認しました》
突然HELP機能の声が割り込んできた。
「……そういうのは先に言えよ」
《お問い合わせいただいておりません》
「それ今言うのか……?」
突然身体から力が抜け、俺は床へ座り込んだ。
「レイジさん!」
ミレイユがベッドから降りようとする。
「動くなって言ってるだろ……」
「でも、血が……!」
「これくらい死なねえよ」
「肩に短剣が刺さったままです!」
「……そういや……そう……だった」
肩口から生えているような短剣を引っこ抜き、手で抑える。
そこから流れ出る血を視界に入れると急に痛みが激しくなってきた。
「レイジさん……」
ミレイユがシーツを破り、俺を支えるように抱きかかえると傷口に押し当て、きつい目に縛って止血をする。
俺は痛みに耐えながら視線を上げるとミレイユがポロポロと涙をこぼしていた。
「なんで泣いてんだよ」
「だって……」
「助かったんだから……いい……だろ……」
「でも、私のために……」
「依頼人だからな――死なれると金が……もらえないだろ」
ミレイユが首を振る。
「そんな理由で……普通はこんな事までしません」
「する探偵もいるんだよ」
「嘘です」
「なんで今日は、みんな俺が嘘つくと分かるんだよ」
ミレイユは泣きながら笑みを浮かべると、俺を見つめる。
なんだ……?
妙に真っ直ぐな目だった。
「本当に……ありがとうございます」
「だから礼は――」
「ありがとうございます、レイジさん」
今度は、はっきりと言われた。
その顔が少し赤い。
熱が戻ってきたのならいいことだと、そう思った。
このときの俺は、本当にそれくらいにしか考えていなかった。
だから当然、気づいていない。
ミレイユ・レナードという女の中で、俺に向けられていた『感謝』という感情が、この瞬間を境に別の何かへ変わり始めていたことに。
そしてそれが、俺の300年という馬鹿げた借金の返済方法を、さらにおかしな方向へ変えていくことになるなんて――。
このときの俺が知るはずもなかった。




