04-探偵稼業は、意外と割がいい
翌朝。
「ふぁ〜……くっそ眠みぃ……」
俺は完全に寝不足だった。
すでに住み着いていると言ってもいい安宿の壁はベニヤ板なんじゃないかと思うほど薄い。
いびきは当然のこと、階下にある食堂の騒ぎ声が深夜まで、場合によっては明け方まで続くことはざらだ。
いつもの俺なら耳に布切れでも詰めて無理やり寝ていただろう。何しろ今日は頭を使わなきゃならん日だ。
睡眠をとっておくに越したことはない。
「くっそ、明け方までイチャイチャと……」
隣がその向こうか知らんが、男女の……いや女の子喘ぎ声が漏れ聞こえてくるのだ。
酔った客が給仕か商売の女を連れ込んだのだろうが、女将が怒鳴り込んでいないことを考えると、それなりに握らせたのかもしれない。
いずれにせよ、目を閉じてもかすかに聞こえてくる可愛らしい声に一晩中悶々とさせられ、すっかり寝不足だった。
「はぁ……いくか」
俺は重い足を引きずりながら、約束通り朝の鐘が鳴る少し前に宿を出ると、通りの向こうに馬車が止まっていた。
どう見ても、この下町の風景は似合わない馬車だった。
黒く塗られた車体には細かな装飾が施され、窓にはカーテンまで付いている。昨日リディアが着ていた外套もそうだったが、貴族というのは隠そうとしても金持ちなのが滲み出るものらしい。
「レイジ様、おはようございます」
俺に気づいたリディアが馬車から降りてくる。
昨日と違い、今日はフードを被っていなかった。
淡い金髪を後ろでまとめ、薄い青色の服の上に白い外套を羽織っていた。
「おはよう」
「よく眠れましたか?」
「まぁまぁだな」
嘘だ。
あれから結局悶々とした感情を切り替えるためにかなり考えた。
HELP機能が7分と引き換えに教えてくれた『矛盾』が何なのか。
途中で何度か思いついたことはあったが、どれも確信には至らなかった。
「こちらへどうぞ」
御者が開けた扉から馬車へ乗り込む。
中には向かい合わせの座席があり、俺の宿のベッドより座り心地がいい。
ちょっと腹が立つ。
「アルノー家まではどれくらい?」
「馬車なら30分ほどです」
「遠いな」
「王都の東側ですから」
俺が泊まっているのは西側の下町だから、ちょうど反対側らしい。
◇
馬車が走り出すと、窓の外の景色がゆっくり変わっていった。
最初は見慣れた下町の風景が続いていた。
古い木造の建物が密集し、店先では朝早くから商人たちが声を張り上げている。
ところが中央街へ近づくにつれ、道幅が広くなり、石造りの建物が増えていく。
さらに東へ進むと、今度は建物同士の間隔まで広くなった。
同じ街中とは思えない。
「……露骨だな」
「何がですか?」
「いや。住む場所で金持ってるかどうか分かるなと思って」
「そう……ですね」
子爵令嬢に言うことではなかったかもしれない。
俺は少し気まずさを覚え、窓の外へ目を戻すと朝の活気に満ちた風景が飛び込んでくる。
大通りを荷馬車が行き交い、その間を獣耳の男や小柄な老人、俺の倍くらい肩幅のある大男が普通に歩いている。
遠くには王城らしき建物も見えた。
この世界へ来て1か月。
下町で食って寝てを繰り返していた俺にとって、王都の東側へ来るのは初めてだった。
◇
「着きました」
リディアの声で我に返る。
馬車が止まった先には、高い鉄柵と大きな門が見えた。一瞬貴族向けの公園かと思ったが、奥の方に、3階建ての屋敷が見えた。
「……でかいな」
「こちらがアルノー家の王都邸です」
「これで男爵?」
「はい」
貴族怖い。
男爵でこれなら子爵の……リディアの家がどれくらいなのか聞こうかと思ったが、やめておいた。
たぶん知っても虚しくなるだけだ。
馬車を降りると、門の前にいた男がこちらへ歩いてきた。
50代くらいだろうか。
黒い服を隙なく着こなし、背筋が妙に真っ直ぐだ。
「エルフォード様」
「お久しぶりです、ハロルド」
どうやら2人は顔見知りらしい。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「セドリック様にお借りしていたものをお返しに参りました。それと、私の物をひとつ、こちらへ置いたままにしてしまったようで」
昨日、嘘が苦手なら俺が考えると言ったのだが、リディアは自分でちゃんと考えてきたらしい。
「左様でございましたか。しかし、若様は現在領地へ戻られております」
「存じております。ですので、部屋へ置かせていただくだけで構いません」
ハロルドが少し考える素振りを見せ、俺へ視線を向けた。
「そちらの方は?」
「レイジ様です。えっと、私の……」
そこでリディアのセリフが止まった。
まさかと思うが、そこまで考えてなかったのだろうか。
「私はリディア様の護衛です」
仕方なく自分から答えると、ハロルドの視線が俺の全身を上から下まで動いたのがわかった。
明らかに疑っている。
そりゃそうだ。
剣も持っていないし、服だって下町で買った薄汚れた安物のシャツとズボンだ。
「護衛……でございますか」
「臨時のな」
「……左様ですか」
絶対信じてない。
ただ、子爵令嬢本人が連れてきた相手を使用人が門前で追い返すわけにもいかないらしい。
「少々お待ちください」
そう言ってハロルドが屋敷へ戻っていった。
その姿が見えなくなったところで、俺は小声でリディアへ言った。
「俺の設定も考えとけよ」
「申し訳ありません……」
「あと護衛って言ったから、何かあったら守ってくれ」
「普通逆では?」
「俺、剣なんて使えないし魔力もないから」
「えっ」
リディアが本気で驚いている。
だが、今さら依頼したことを後悔しても遅いぞ。
◇
しばらくしてハロルドが戻ってきた。
「どうぞ。ご案内いたします」
俺たちはハロルドに先導され、門を抜けて屋敷へ入った。
中もやはり広い。
磨かれた床に壁に並ぶ高そうな絵画。
意味があるのか分からない壺に、廊下の端には鎧まで飾られている。
全部売ったらあの宿に何年泊まれるんだろう、と考えてしまうのは貧乏生活が長くなってきたせいだと思いたい。
「若様のお部屋はこちらです」
2階の奥にある重厚そうな木造の扉の前で止まると、ハロルドが静かに扉を開けた。
◇
部屋へ入った瞬間、俺は少し驚いた。
貴族の坊っちゃんというから、もっと派手な部屋を想像していた。
だが実際はかなり質素な部屋だった。ミニマリストとまではいかないが、大きなベッドと机、本棚。それから衣装棚があるくらいで、装飾品らしいものはほとんどない部屋だった。
「では、私は外しておきますので、何かございましたらお呼びください」
「ありがとうございます」
リディアが頭を下げると、ハロルドが一礼をして扉が閉まった。
足音が遠ざかるまで待ってから、俺はリディアを見る。
「じゃあ、探すか」
「あの……何を探すのですか?」
「それを今から探すんだよ」
俺だって分からない。
そもそも探偵の真似事なんて昨日から始めたようなものだ。
こういう場合、机から見るべきなのか、本棚なのか。
それともベッドの下を漁ればいいのか。
(なぁ)
《何かご用でしょうか》
(こういうとき、どこから調べれば――)
質問しかけて止めた。
駄目だ、いきなり使ってどうする。
俺はまだ何も調べていない。
「……何でもない」
《承知いたしました》
「今、誰かとお話しを?」
「独り言だ。俺の癖みたいなもんだ」
「そうですか……」
リディアが若干不安そうな顔をしている。
こんなことで信用が減っていたら、それも借金に影響するんだろうか。
今は余計なことを考えないでおこう。
俺はまず机から調べることにした。
引き出しを開けると、紙や筆記具が綺麗に整理されており、俺はその中から何枚か紙を取り出した。
「リディア」
「はい」
「これ、昨日の手紙と同じ紙かどうか分かるか?」
彼女が近づいてきて、紙を手に取った。
「……同じものだと思います」
俺も昨日預かった手紙を取り出して並べてみると、確かに色も厚さもよく似ていた。
「じゃあ、この手紙はここで書かれた可能性もあるってことか」
「セドリック様ご自身がお書きになったのであれば、当然では?」
「まあな」
だがそれだけでは何とも言えない。
次に本棚を調べてみると、歴史書らしき分厚い本や、領地経営について書かれた本が並んでいた。
中身は読んでもさっぱり分からないので後回しにし、隣にあった衣装棚を開ける。
「ちょ、ちょっと」
「何?」
「勝手に開けるのですか?」
「調べるって言っただろ」
「そうですけれど……」
「昨日、見たくないものが出てきても止めるなって言ったよな?」
「……はい」
俺の言葉にリディアが渋々引き下がる。
衣装棚の中には何着もの服が掛かっていた。
当然のことながら、俺より明らかに高そうな洋服ばかりだった。
服をいくつか掻き分け、奥を覗き込み――。
「ん?」
掛けられた服の陰に、何かが落ちていた。
しゃがみ込んで手を伸ばすと、指先に布の感触……。
引っ張り出してみると、元は白かったと思われるシャツだった。
ただし、右脇の辺りが破れ、その周囲には赤黒い染みが広がっている。
リディアが俺の後ろから覗き込み、息を呑んだ。
「これ……」
「知ってるか?」
「セドリック様のシャツです」
俺は広げてみるが、その赤黒い染みはどう見てもーー。
「血……だよな」
リディアの顔から一気に血の気が引いた。
「セドリック様……!」
「落ち着け。本人の血とも限らないだろ」
「ですが!」
「だから調べるんだよ」
たが自分でそう言っておきながら、嫌な予感はしていた。
シャツにはかなりの量の血が付いている。
セドリックが本当にこれを着ていたのなら、無傷とは思えない。
だが同時に、何か妙だった。
血まみれの服を、どうして自分の衣装棚に残しておくんだ?
誰かが隠したのか……?
それとも――。
「リディア」
「はい」
「この屋敷で、セドリックがいなくなる前後に何か騒ぎがあったって聞いてないか?」
「騒ぎ、ですか?」
「怪我人が出たとか。医者が来たとか。夜中に誰かが出入りしたとか」
「何も……」
「じゃあ使用人に聞こう」
俺はリディアを伴って部屋を出て、その辺を掃除している使用人を何人か捕まえた。
だが聞けた答えはほとんど同じだった。
セドリックは3日前、領地へ向かった。
だがいつ出立したのか、それを直接見た者はいない。
馬車を用意した者も知らない。
誰が荷物を馬車に運びこんだのかも知らないらしい。
そして誰に聞いても、最後には同じ名前が出てきた。
「ハロルド様から、そのように伺いました」
4人目の使用人からも同じ名前を聞いたところで、俺は質問を打ち切った。
人のいない廊下まで戻ってから、リディアへ小声で聞いてみた。
「……変じゃないか?」
「何がですか?」
「貴族の跡取りが領地へ行くって、こんなもんなの?」
「いえ……普通であれば、馬車の準備や護衛の手配があるので、誰かしらが担当しているかと……」
「荷物もそれなりにあるよな」
「はい」
「なのにそれを誰も見てない……と」
少なくとも、屋敷の連中が言うような普通の出発ではなさそうだ。
そこへちょうど、廊下の向こうからハロルドが歩いてきた。
「エルフォード様。お探し物は見つかりましたでしょうか」
「ええ。その……もう少しだけ――」
「ハロルドさん」
俺はリディアより先に口を開いた。
「セドリック様が領地へ向かったのは、3日前なんですよね?」
「はい」
「何時頃ですか?」
「早朝でございます」
「ハロルドさんが見送ったんですか?」
「もちろんでございます」
初めてこの質問にYESと返事をする人間が現れた。
「ちなみに馬車で?」
「はい」
「一人で出かけたんですか?」
「専属の護衛が2名同行しております」
「その2人の名前を教えてもらえます?」
そこで初めて、ハロルドの表情がわずかに変わった。
だがすぐに二人の名前を挙げ、俺は何度か頭の中で復唱して覚えておく。
「……ところで」
その時、ハロルドが穏やかな声で言った。
「先ほどから気になっていたのですが、レイジ様はエルフォード様の護衛でございましたね?」
「……そうだけど」
「護衛の方が、なぜ若様の出立についてそこまで詳しくお尋ねになるのでしょう」
しまった。
リディアを見ると、完全に目が泳いでいた。
こいつ、やっぱり嘘が下手すぎる。
「はぁ〜……有り体に言えば暇なんですよ」
「……はい?」
「護衛って何も起きなきゃ暇だろ。だから気になったこと聞いてるだけですよ」
自分でも苦しいと思う。
ハロルドはしばらく俺を見ていたが、やがて小さく微笑んだ。
「……左様でございますか」
絶対信じてない目だ。
そしてこれ以上屋敷に長居するのは危ないと判断し、俺たちは一度引き上げることにした。
帰りの馬車へ乗り込み扉が閉まった瞬間、リディアが俺へ身を乗り出した。
「どう思いますか?」
「何か隠してるな」
「やはり!」
「声がでかい」
「す、すみません」
狭い馬車の中のため、リディアからほのかに花のような良い香りがする。
その柔らかそうな薔薇色の頬や口元が否応にも目に入る。
だが、そんな余計なことを頭から振り払い、状況を口にする。
「とりあえず、具体的に何を隠してるかはまだ分からない」
そう言って俺は座席へ身体を預けた。
「まず、さっき名前が出た護衛2人を探す。それとセドリックが最後に目撃された日時も確認したい」
「分かりました。私の方でも調べます」
そこから先は、思っていたより……びっくりするほど早かった。
◇
――結果から言えば。
セドリック・アルノーは領地になど向かっていなかった。
ハロルドが口にした護衛2人を探し出すと、2人とも同行した事実などなく、1週間の休暇を与えられたと説明された。
1人はアルノー男爵家とは反対側の街中にある実家で家族サービスを満喫しており、もう1人に至っては、セドリックが領地へ向かったとされる日の朝、王都の反対側にある訓練場にいたことまで確認できた。
つまりハロルドは嘘をついていた。
そこからさらに調べていくと、思っていた以上に色々なものが出てきた。
アルノー家の領地では魔石が採れる。
それは決して莫大な量ではないが、王都へ定期的に運び込まれる程度には産出しているらしい。
その魔石の一部を帳簿から外し、横流ししていたのがハロルドだった。
しかも、アルノー男爵も途中からその事実を知っていた。
ハロルドは実家の財政状態が悪かったこともあり、アルノー男爵は黙認していたらしい。
だがセドリックが横流しの事実に気づいてしまったのだ。
証拠を集めていたセドリックは、5日前にリディアと会った時点ですでに自分が危険な立場にいることを理解していた。
『もし自分がいなくなったら、どうする?』
あの質問は冗談でも偶然でもなかった。
その翌日――証拠を持ち出そうとしていたセドリックはハロルドと揉み合いになり、屋敷から逃亡した。
そしてハロルドは、セドリックが証拠を持ったまま逃げたことを隠すため、『3日前、領地へ向かった』という話を作った。
ここまでは俺の予想に近かった。
だが、衣装棚から見つかった血まみれのシャツについては完全に予想を外した。
「……自分で血をつけた?」
「はい」
セドリック本人がそう答えたとき、俺は本気で呆れた。
王都の外れにある廃業した小さな染物工房の2階に、セドリックは隠れていた。
顔色は悪いが、俺が想像していたような重傷ではなく、腕に包帯を巻いている程度の怪我をしていただけだった。
「自分が重傷を負ったと思わせれば、遠くまでは逃げられないと考えるだろうと思ったんです」
「それで血まみれの服をわざと残したのかよ」
「はい。実際、ハロルドは王都内の治療院を中心に私を捜していたようです」
「……一応、効果はあったのか」
なら文句は言えないし、俺が言うことでもない。
ちなみに、シャツに使った血は工房で飼われていた食用の鳥のものだったらしい。
そこまで調べる必要があったかは知らないが、少なくともHELP機能に聞かずに済んだので寿命は減らなかったのは良かった。
「セドリック様……」
俺の後ろにいたリディアが震える声で名前を呼ぶ。
「リディ……」
セドリックが立ち上がった。
リディアはそのまま駆け寄る――かと思ったが。
セドリックの直前で止まった。
「……この手紙は何ですか?」
「え?」
リディアは俺が預かっていた手紙を奪うように取り、セドリックへ突きつけた。
「『婚約はなかったことにしてくれ』と書いてあります」
「それは……」
「『君にはもっと相応しい人がいる』とも」
「リディ、聞いてくれ」
「5日前、あなたに聞かれましたよね? あなたがいなくなったらどうするかと」
「聞いた……」
「私は何と答えました?」
「捜すと言ってくれた」
「ではなぜ!?」
始まった……と思った俺は、2人からそっと距離を取った。
痴話喧嘩なら勝手にやってくれ。
セドリックとしては、自分との婚約が続いていればリディアやエルフォード家まで巻き込まれると考えたらしい。
だから婚約そのものを破棄し、自分との関係を切ろうとしたらしい。
言いたいことは分かる――分かるが。
「なあ、セドリック、1つ聞いていいか?」
「……はい?」
「この手紙、なんでリディじゃなくてリディアって書いたんだ?」
セドリックが黙りこみ、リディアも彼をじっと見つめる。
「その……気づいてくれるかもしれないと」
「何に?」
「僕が普通の状態で書いた手紙ではない、と」
「…………」
俺はしばらくセドリックを見つめた。
「はぁ……捜してほしかったのか、捜してほしくなかったのか、どっちだよ」
「捜してほしくはありませんでした。ただ……書いてあることを、そのまま信じてほしくもなかったというか」
「面倒くせえな、お前」
「……すみません」
恋愛って大変なんだな。俺には関係ないけど。
ちなみに、前日にHELP機能が言っていた『矛盾』も、結局はこれだったのだろう。
婚約を破棄して二度と会うつもりがない男が、なぜ相手にだけ分かる違和感をわざわざ手紙へ残したのか。
言葉では『捜すな』と言いながら、やっていることは『この手紙を信じるな』と伝えている。
俺はその矛盾に気づくまで7分の寿命を使ったわけだ。
高い授業料だった。
その後は、俺の仕事というより貴族たちの仕事だった。
セドリックが持ち出していた証拠がエルフォード子爵を経由して然るべきところへ渡り、ハロルドは拘束された。
アルノー男爵も横流しを黙認していた責任を問われることになったらしい。
詳しい処分については知らないし、興味がない。
俺にとって重要なのは1つだけだった。
セドリックを見つけ、リディアの依頼を達成した。
つまり――。
◇
「おい」
《何かご用でしょうか》
宿へ戻った俺は、扉を閉めるなりベッドへ腰を下ろした。
「精算」
《承知いたしました》
待ってました。
今回ばかりは期待していいだろう。何しろ、朝から1日中善人の真似をして稼いだのが3時間41分だったのだ。
今回は行方不明の婚約者を見つけ、婚約破棄も回避した。
ついでに貴族の家が絡む犯罪まで暴いたのだ。
しかもHELP機能に使った寿命は、あの7分と細かな質問を合わせても大した量ではない。
これで3時間とかだったら、俺はもう人助けをやめる。
《今回の依頼達成に伴う真正な正感情を確認しております》
「おう」
《セドリック・アルノーからの真正な感謝》
《リディア・エルフォードからの真正な感謝》
《その他、事件解決に伴い発生した正感情を確認》
「おお……っ」
来た。これは来た……精算のセリフがこんなに長いのは初めてだ。
「それで、全部合わせてどれくらいなんだ?」
《今回の依頼に関連して発生した返済額は、生命時間換算で百十二日六時間十八分です》
「…………」
一瞬、意味が分からなかった。
「もう1回」
《百十二日六時間十八分です》
「112日?」
《はい》
思わず立ち上がった。
「3か月以上じゃねえか!」
《はい》
「昨日は丸1日働いて3時間41分だったんだぞ!?」
《確認しております》
「人を1人見つけただけで112日!?」
《依頼対象者の生命、婚姻関係、家族関係および将来的損失への影響が大きく、複数名から強い真正な正感情が発生しております》
なるほど。
俺はゆっくりベッドへ座り直した。
そういうことか……荷物を持ってやったり、道を教えたり、迷子を親元へ送り届ける。
もちろん感謝はされる。
感謝はされるが、その人間の人生を変えるほどではないものばかりだ。
だが今回は違う。
リディアは婚約者を取り戻し、セドリックにとっては命と家の問題を俺が助けたというわけだ。
だから返ってくる感謝の量が桁違いになったということか。
「……そういうことか」
俺は思わず笑いをこぼしてしまった。
見つけた!
ようやく見つけたんだ!
300年という頭のおかしい借金を返す方法――。
「なあ」
《何かご用でしょうか》
「今みたいな依頼を毎日やれば、1年あれば返済終わるんじゃないか?」
《算定可能です》
「いくら?」
《回答料金は――》
「あ、やっぱいい」
《承知いたしました》
危ない。
俺はテンションが上がるとすぐこういうことをやってしまう。
俺は机の上へ革袋を置き、中身を確認した。
前金として金貨3枚、そして依頼達成後、リディアから受け取った残り7枚。
合計10枚の金貨が並ぶ。
当分、生活費には困らず、そのうえ112日分の借金まで減った。
誰かに相談をする必要があるレベルの困り事を解決し、報酬を貰う。そして心から感謝され、借金が大幅に減る。
そう考えると、確かに悪くない。
いや――。
「めちゃくちゃ効率いいじゃねえか」
《従来の活動と比較した場合、返済効率は大幅に向上しております》
「だよな」
《はい》
「だったら最初からこういう仕事を勧めろよ」
《お問い合わせいただいておりません》
「……絶対その返事すると思ったよ」
《ご期待に沿えたのであれば幸いです》
「褒めてねえよ」
俺はベッドへ倒れ込んだ。
これならいける――少なくとも、朝から晩まで荷車を押し続けるよりは遥かに可能性がある。
人捜しだけじゃなくてもいい。誰かの人生に関わるような困り事を解決すれば、その分だけ大きな感謝が返ってくる。
しかも依頼料まで取れる。
「……本当に探偵でもやるか」
昨日、リディアに相談を受けたときは半分以上冗談だった考えだったが、今は違う。
やる価値があるというより、現時点で他にこれ以上効率のいい返済方法を知らない。
「まず看板か……」
看板を作るにも金がかかるし、部屋を借りるならもっとかかる。
「しばらくはこの宿でいいか」
女将に話せば、依頼人くらい通してくれるだろう。
俺はそんなことを考えながら目を閉じた。
久しぶりに、少しだけ先が明るく見えた気がする。
300年――。
まだ馬鹿みたいな『寿命』の取り立てが残っているが、たった1件の依頼を解決しただけで112日。
これを積み重ねれば――。
◇
翌朝。
目を覚ました俺は、顔を洗うより先にHELP機能を呼んだ。
「なぁ……」
《何かご用でしょうか》
「昨日の事件の精算って、もう全部終わってるよな?」
《昨日発生分については精算済みです》
「だよな」
だが俺は妙な感覚に首を傾げた。
無料と言われても残高そのものを毎回照会するつもりは無かったが、昨日の精算について確認しておきたいことがあった。
「今日に入ってからも、昨日の依頼に関係する返済って発生してる?」
《はい》
その淡々とした返事に俺は固まった。
「……はい?」
《本日も継続して真正な正感情が確認されております》
「誰から?」
《リディア・エルフォードです》
「……なんでだ?」
《回答可能です》
いつもの嫌な言い方だった。
「はぁ……いくらだ?」
《回答料金:生命時間換算で三分》
――3分。
昨日112日も稼いだ直後だし、これくらいなら払ってもいいだろう。
「実行」
《承知いたしました》
「で、なんでまだリディアから入ってくる?」
《リディア・エルフォードがお客様に対し、継続的な信頼および恩義に分類される正感情を有しているためです》
「……昨日のお礼とは別?」
《はい》
俺はベッドの上で身体を起こした。
「これ、明日も続く可能性はあるのか?」
《あります》
「明後日も?」
《お客様への信頼および恩義に分類される感情が維持される限り、継続します》
その説明に俺は少し考えた。
「つまり……1回助けて強く信用されれば、その後も勝手に借金が減っていくってことか?」
《概ねその認識で問題ありません》
俺はしばらく黙った。
そんな仕組み、聞いてない――いや、俺が聞いていないから、こいつは説明しなかったのだろう。
「……すげえな」
人を助ける、その場で大きく返済される。ここまでは良い。
だが、その相手が俺を信頼し続ける限り、少しずつ追加で返済されるというわけだ。
――だったら。
できるだけ大きな問題を抱えた人間を助けて、すごく感謝され、長く信頼されればいい。
「探偵……」
思っていた以上に、今の俺に向いている仕事かもしれない。
俺はベッドから起き上がった。
「よし」
《何かご用でしょうか》
「呼んでねえよ」
《承知いたしました》
まずは女将に相談して、宿の入口に小さな看板でも置かせてもらおう。
人捜しでも揉め事でも、困っている奴が向こうから来るようにすればいい。
300年分。
全部返してやる。
そして返し終わったら――今度こそ、どこか静かな所でのんびり暮らす!
……ともあれ、今日は金も手に入ったし一日中ダラダラ過ごそう。
そんなことを考えながら俺は腹を満たすために1階へ降りていった。
◇
「あ、いた!」
階下に降りた直後、食堂の方から女の声が飛んできた。
声の方向に視線を向けると、見覚えのない若い女が立っていた。
腰には剣、身体には傷だらけの革鎧を着込んでいた。
赤みがかった長い髪を後ろでひとつに束ねている。
そして革鎧では隠しきれないほど、胸が大きい。
……いや。
そこは今どうでもいい。
たぶん……。
女は俺を見つけるなり、トコトコへ近づいてきた。
「あなたが、リディアがお世話になったという方ですか?」
「人違いじゃないか?」
「さっき女将さんからも聞きましたよ?」
ちっ、余計なことを。
女は俺の目の前まで来ると、腰に差していた剣を外した。
「えぇ……っと、レイジさん……でしたっけ」
「……はぁ……あぁ、レイジだ」
気だるそうな俺の名乗りを真剣に聞いていた女は、外した剣をテーブルに立てかける。
「お願いがあります……レイジさん」
そして、頭を下げた。
「私を助けてください」
俺は眼の前の女を改めて観察した。
若いし美人。
背は小さいが、胸がでっかい。
しかも困っているうえに、胸がでっかい。
昨日までの俺なら、まず面倒事かどうかを考えただろう。
だが今の俺には、別の判断基準ができていた。
俺はそんな心境を表に出さないように、誤魔化すようにめんどくさそうという態度で小さく息を吐いた。
「……とりあえず、話を聞こうか」
どうやら探偵という仕事は、思っていたより休みがない仕事らしい。




