26-秘密の抜け道と、女装探偵の受難
その倉庫は女子寮の一番奥まった一角にあった。
エレノアが鍵を開け、重そうな木製の扉を押す。
中には古い机や椅子、壊れた棚などが所狭しと積まれていた。
その一番奥。
「こちらです」
「……ほう」
確かにそこにあったのは金庫だった。
いや、正確には金庫に見える何かだ。
高さは俺の胸ほど。幅は両腕を広げたくらいだろうか。
黒ずんだ金属製で、表面には細かな装飾が施されている。
だが、やはり正面から側面、どこを見ても鍵穴も取っ手もない。
「……これ、本当に金庫か?」
「少なくとも、私はそのように聞いています」
エレノアが困ったように眉を下げた。
俺は箱の周囲を歩いてみた。
背面は壁にぴったりと接している。床との間にも隙間がない。
軽く叩いてみる。
ゴン、と鈍い音がした。
「ミレイユ、ちょっと押してみてくれ」
「はいっ!」
ミレイユが金庫の側面に両手を当てる。
「……んっ」
ぐっと力を込める。
しかし、箱はびくともしなかった。
「動きませんね」
「お前が押してもだめか?」
「はい。かなり重いみたいです」
……おかしいな。
こいつ、腕力だけならそこらの男よりよほど強いはずだ。
俺はもう一度、箱を見上げた。
40年以上前からここにある。誰も開けられない。
動かすこともできない。
「……なあ先生」
「はい?」
「これ、最初に金庫だって言い出した奴、誰なんだ?」
「申し訳ありません。そこまでは……」
「いや、別に責めてるわけじゃねえよ」
俺は箱の表面を指でなぞった。
装飾はあるが、どれも動きそうにない。
側面も背面も、ただの金属板で、唯一扉のようなスリットがあるが、蝶番などは見えない。
……分からん。
こういうときこそ、あいつの出番か。
(おい。この箱の開け方、分かるか?)
《ご案内可能です。ただし、対象物の構造解析および開閉機構の特定には、相応の生命時間を頂戴いたします》
(だよな……じゃあいいや)
俺が知らないことを調べてもらうのは基本的に結構高い。
ある程度俺が状況を調べ、材料を揃えてから聞いた方が効率的だ。
俺は箱の周囲をもう一度見回した。
壁際には古い棚があり、天井からは埃をかぶったランプが吊り下がっている。
床には長年の埃が積もり、箱の周囲だけ少し掃除された跡があった。
……何か手がかりはねえかな。
「レイジさん」
「ん?」
「まだかかりそうですよね?」
「そうだな。ちょっと待ってろ」
「はい」
ミレイユはしばらく俺の隣で大人しくしていたが、やがて暇になったらしい。
倉庫の中をきょろきょろと見回し始めた。
「結構古いものがいっぱいですね」
「ああ」
「このランプも随分古そうです」
そう言って、壁に取り付けられたランプに手を伸ばした。
「……ん?」
ミレイユが首を傾げる。
「どうした?」
「いえ、これ……」
ランプの根元を掴み、軽く動かした。
カチリ。
小さな音がした。
「……お?」
続いて、どこかから金属の擦れるような音が響いた。
ガコン。
ミレイユが慌ててランプから手を離した。
「ちょっと触ったら、動いてしまって……」
「いや、待て」
俺はランプに近づいた。
壁に固定されているように見えたそれは、よく見ると根元に可動部分があり、ミレイユが動かした方向へわずかに傾いていた。
「……なるほど」
俺は金庫を振り返った。
さっきまでと見た目は変わらない。
だが、確かにどこかで何かが動いた音がした。
「ミレイユ、もう一回動かしてみてくれ」
「はい」
ミレイユがランプを元の位置へ戻す。
カチリ。
また金属音がした。
今度は反対方向へ傾ける。
ガコン。
……間違いない。
「これ、スイッチだ」
「スイッチ?」
「ああ。何かの仕掛けを動かしてる」
俺は金庫を見た。
鍵穴も取っ手もない。
開け方が分からない。
そもそも、箱そのものに開閉するための機構がないとしたら?
「……そういうことか」
俺は思わず笑った。
「先生、この箱、開ける仕掛けが別の場所にあるんじゃねえか?」
「別の場所……ですか?」
「ああ。そののランプがそのひとつだろう」
エレノアが驚いたようにランプを見つめる。
「ですが、これだけでは開かないようですね」
「たぶんな」
俺は倉庫を見回した。
古い棚、壁の装飾、天井の梁。
どこかにもうひとつ、同じような仕掛けがあるはずだ。
……しかし、これを全部調べるのは面倒くさい。
(今の仕掛け、何を動かした?)
《対象物内部の機械的な固定機構が、一部解除されたものと推定されます》
(もうひとつ、同じような仕掛けがあると思うんだが)
《その可能性は高いと考えられます》
(場所は?)
《周辺構造の解析が必要となります。有料でのご案内となりますが、よろしいでしょうか》
(……いくらだ)
《推定所要生命時間、三分四十二秒です》
……まあ、それくらいなら。
(頼む)
《承知いたしました》
短い沈黙。
《解析が完了いたしました。現在位置より右後方、壁面に設置された木製棚の背面に、同様の操作機構が存在します》
(棚の裏?)
《はい》
俺は言われた場所へ向かった。
古い木製の棚が壁際に置かれている。
中には使われなくなった食器や、壊れた魔道具らしきものが並んでいた。
「ミレイユ、これ動かせるか?」
「はい!」
ミレイユが棚を掴み、軽々と横へずらす。
……本当に力持ちだな、こいつ。
棚の裏には、壁に埋め込まれた小さな金属板があった。
中央には、丸い突起。
ランプがあったが取り外されて棚が置かれていたようだ。
「……これか」
俺は突起を回した。
カチリ。
次の瞬間。
ゴゴゴゴ……。
低い音を立てて、金庫の本体がゆっくりと横へ滑り始めた。
「おお……」
現れたのは、金庫の内部ではなかった。
暗い空間。
そして、下へと続く石造りの階段。
「…………」
「…………」
「…………」
3人で顔を見合わせる。
「……先生」
「は、はい」
「これ、金庫じゃねえぞ」
「……そのようですね」
そりゃそうだ。
俺は開いた入口から下を覗き込んだ。
古い石段が、暗闇の奥へと続いており、涼しい風が吹き込んできた。
「……なんだこれ」
俺は小さくため息をついた。
金庫開けの依頼だと思って来たのに、どうやら話が変わってきたらしい。
◇
「何か出てきても私に任せてください」
頼もしいことこの上ない。
実際、ミレイユがいれば大抵の相手には負けないだろう。
「じゃ、頼んだぞ」
「はい!」
先生にはここで待機してもらい、俺は迷わずミレイユを先頭に立たせた。
「……レイジさん」
「何だ?」
「こういうとき、普通は男性が先に行くものでは?」
「俺、今女だから」
「都合のいいときだけ……」
何とでも言え。
命は大事だ。
ミレイユが魔道具の灯りを掲げ、階段を降り始める。
俺もそのあとに続いた。
◇
階段は思ったより長かった。
十数段ほど降りたところで、細い石造りの通路に出た。
壁には古い燭台が取り付けられていたが、当然ながら火は灯っていない。
「ずいぶん古そうですね」
「ああ」
壁に手を当てる。
冷たい石の感触が伝わってきた。
ところどころに補修の跡がある。
少なくとも、昨日今日作られたものではなさそうだ。
「……秘密の地下通路ってやつか」
「何のために作られたんでしょう?」
「さあな。昔の戦争の避難路とか、貴族の隠し通路とか、その辺じゃねえの?」
もっとも、女子寮の倉庫に入口がある理由は分からない。
俺たちは通路を進んだ。
途中に分かれ道はなく、一本道が続いている。
やがて前方に、別の階段が現れた。
「出口でしょうか」
「だといいけどな」
階段を上がると、頭上に木製の蓋があった。
ミレイユがそっと押し上げる。
ぎい、と軋む音がして、光が差し込んできた。
「……物置ですかね?」
ミレイユが先に出る。
続いて俺も上へ顔を出した。
外に出ると周囲には古い石垣があり、少し離れたところに王都の街並みが見える。
そこは学校の裏手にある、小さな林にある寂れた物置小屋のようだった。
「……なるほど?」
俺は周囲を見渡した。
女子寮の敷地の外だ。
つまり、あの金庫に見える箱は、外へ出るための秘密の入口だったわけだ。
「随分と手の込んだもん作ったな」
「そうですね」
ミレイユが感心したように頷く。
「でも、どうしてこんな場所に?」
「さあなあ」
俺は林の奥に目を向けた。
外から見れば、ただの古い物置小屋の床下だ。誰かが入口を知っていなければ、まず気づかないだろう。
「昔は何か別の建物でもあったんじゃねえの?」
「なるほど……」
「ま、詳しいことは先生に聞けばいいだろ」
俺たちは来た道を引き返した。
◇
「秘密の抜け道……ですか?」
報告を聞いたエレノアは、しばらく言葉を失っていた。
「ええ。学校の裏手に出ました」
ミレイユが説明する。
「つまり、この箱は金庫ではなく、地下通路の入口だったということです」
「そんな……」
エレノアは開いた箱の中を覗き込み、何度も首を振った。
「40年以上も、誰も気づかなかったなんて……」
「そもそも金庫だと思ってたからな。開け方も分からねえし、動かせねえし」
俺は壁のランプを指差した。
「さっき見た通り、こっちのランプがひとつ目の仕掛け。もうひとつはあの棚の裏」
俺だって、ミレイユが偶然ランプを動かさなければ気づかなかっただろう。
「ああ……もしかするとこれは……」
「何か心当たりでも?」
「昔、この学校は男女の寮が今とは別の場所にあったと聞いたことがあります」
「ほう」
「確か、男子寮は学校の裏手にあったとか……」
俺はミレイユと顔を見合わせた。
「……男子寮?」
「はい。ただ、かなり昔の話ですので、詳しくは分かりませんが」
なるほど。
女子寮の倉庫から、昔の男子寮があった場所へ続く秘密の通路。
……おいおい。
「……先生」
「はい?」
「これ、避難路とかじゃなくてさ」
「はい」
「昔の生徒が、こっそり男に会いに行くために作ったんじゃねえの?」
「…………」
ミレイユは目を丸くしている。
「……まさか」
「いや、知らねえけど。場所的にはそういうことだろ?」
40年以上前の女子生徒たちが、夜な夜な秘密の通路を使って男子寮へ忍び込んでいた。
そう考えると、妙に納得できる。
「……昔の女学生も大概だな」
思わず呟いた。
すると、隣のミレイユがくすりと笑った。
「でも、少し気持ちは分かります」
「ん?」
「好きな人に会いたくても、会えないのでしたら……」
ミレイユは少し頬を赤らめた。
「私も、使ってしまうかもしれませんね」
「……お前な」
「ふふっ」
まったく。
昔も今も、恋する女ってのは大変らしい。
「ともかく、これで依頼は解決ってことでいいか?」
「はい。本当にありがとうございました」
エレノアが深々と頭を下げた。
「通路については、学校側で封鎖するかどうか検討いたします」
「そうしてくれ。今でも使えるってことは、外から誰かが入ってこられるってことだからな」
「確かに……」
エレノアの表情が引き締まった。
まあ、そっちは学校の仕事だ。
俺はもう十分働いた。
「じゃ、報酬の話をしようか」
「はい。もちろんです」
よし。
これでようやく帰れる。
……と思ったところで、ミレイユが俺の袖を引いた。
「レイジさん」
「何だよ」
「その格好、もう着替えてしまうんですか?」
「当たり前だろ」
「そうですか……」
何だ、その残念そうな顔は。
「……何か言いたいことでも?」
「いえ、せっかくですから、もう少し見ていたかったなと」
「断る」
「とてもお似合いなのに」
「二度と着ねえよ」
俺がそう言うと、ミレイユは少し考えるような仕草をした。
「では、今度は私が男装してみましょうか?」
「……は?」
「そうしたら、お揃いですね」
にっこりと笑う。
……こいつ、絶対に俺をからかって楽しんでやがる。
俺は深いため息をついた。
「……帰るぞ」
「はい、レイジさん」
「あと、その顔やめろ」
「どんな顔ですか?」
「嬉しそうな顔だよ」
「だって、楽しかったですから」
……まあ。
こいつが楽しそうなら、それはそれでいいか。
そう思ってしまった自分に、少しだけ腹が立った。




