27-正妻会議、本人不在で満場一致
目が覚めたとき、最初に感じたのは腕の痺れだった。
……重い。
いや、別に重いってほどじゃないんだが、同じ姿勢で寝ていたせいで感覚がなくなっている。
「……んぅ」
俺の腕を枕にして眠っているのは、ミレイユだった。
赤い髪が枕の上に広がり、布団から覗く白い肩が朝日を受けている。
もちろん、服なんて着ておらず、それは俺も同じだった。
「……おい、ミレイユ」
「……ん……」
「朝だぞ」
「……あと、少しだけ……」
寝ぼけた声でそう言うと、ミレイユは俺の胸元に顔を寄せてきた。
まあ、別に急ぎの仕事があるわけでもない。
今日の予定は、事務所の掃除くらいだし、もう少し寝かせてやるか。
そう思って目を閉じかけたところで。
「……レイジさん?」
ミレイユが顔を上げ、まだ少し眠そうな目で俺を見つめている。
「……おはようございます」
「おう。おはよう」
何が嬉しいのか、にこにこと笑っている。
……朝から機嫌がいいな。
「……あっ」
不意に、ミレイユが何かを思い出したように身体を起こした。
「どうした?」
「今日、約束があったんです!」
「約束?」
「はい。お昼前に、人と会うことになっていて……」
「ふうん」
布団から抜け出したミレイユが、慌てて服を探し始める。
俺はその様子を眺めながら、欠伸をした。
「何だ、男か?」
「ち、違います!」
振り返ったミレイユが、真っ赤になって抗議する。
「女の方です!」
「冗談だよ」
「もう……レイジさんったら」
ミレイユは頬を膨らませながらも、いそいそと服を着始めた。
冒険者だけあって、こういう支度は早い。
下着を身につけ、服を整え、赤い髪を手早くまとめる。
ついさっきまで俺の腕の中で寝ぼけていた女と同じ人物とは思えない。
「夕方までには事務所のほうへ行きますね」
「そうか」
「レイジさんは、今日はどうされるんですか?」
「俺はとりあえず事務所の掃除だな。まだガラクタだらけだし」
「……すみません。お手伝いできなくて」
「別にいいって。掃除くらい1人でできる。それより、約束に遅れるんじゃねえの?」
「あっ、そうでした!」
慌てて荷物を手に取るミレイユ。
……本当に忙しい奴だ。
扉の前まで行ったところで、ミレイユが振り返った。
「レイジさん」
「ん?」
「……いってきます」
何だか、妙に嬉しそうだった。
「おう。気をつけてな」
「はい!」
ぱたん、と扉が閉まり部屋に静けさが戻った。
「……さて」
俺はベッドの上で大きく伸びをした。
とりあえず顔でも洗うかと思った、そのときだった。
――ポンッ。
「……は?」
妙に間の抜けた音がした。
同時に目の前の空間へ、半透明の四角い板のようなものが現れた。
「……は?」
思わず、もう一度同じ声が出た。
そこには見慣れた日本語の文字が並んでいた。
いや、文字が並んでいること自体は別にいい。
「……何だこれ!?」
俺は反射的に身体を引いた。
顔を横へ動かしてみると、板も俺の視界に合わせてついてきた。
「うおっ、気持ち悪っ!」
何だこれ。
「おい!」
《はい。何でしょうか》
「何でしょうか、じゃねえよ! 何だこれ!?」
《インターフェイスの更新が完了いたしました》
「……インターフェイス?」
《はい。お客様の利用実績および累積返済実績が所定の基準に到達したため、サービスレベルが上昇いたしました》
「……レベルアップかよ」
《それに伴い、情報提供機能が強化されております》
「……ああ、そういうこと」
まったく……何なんだ、このゲームみたいな仕様は。
いや、この世界にに来た時点で今さらか。
「で、これは何を表示してんだ?」
《前日の依頼達成に伴う精算結果、および本日確定した継続的な正感情による返済額です》
「……ほう?」
俺は改めて、目の前の文字に視線を向けた。
【生命時間精算結果】
対象依頼:女子寮地下通路調査
返済発生対象者:エレノア・ハーグリーヴス
依頼達成に伴う返済額:6時間49分
HELPサービス利用料:3分42秒
差引返済額:6時間45分18秒
【継続的正感情・日次精算】
ミレイユ・レナード:21時間46分
セラフィナ・アルヴェール:18時間12分
リディア・エルフォード:37分
合計:40時間35分
「……おお」
思わず声が出た。
今までHELP機能にいちいち聞いていた情報が、まとめて表示されている。
しかも、誰からどれくらい返済されているのかまで分かる。
「これ、便利じゃねえか」
《ありがとうございます》
「……いや、別にお前を褒めたわけじゃねえけど」
《承知いたしました》
相変わらず、いちいち腹の立つ返答だ。
◇
俺は表示された数字を眺めた。
まず、昨日の女子寮の依頼。
差し引きで6時間45分18秒の黒字。
まあ、金庫の正体を調べるだけの仕事だったことを考えれば、悪くない。
気になるのは、その下だ。
「……なあ」
《はい》
「セラフィナの数字、こんなに大きかったっけ?」
《セラフィナ・アルヴェールに由来する返済額は、直近数日間で大幅に増加しております》
「だよな」
ミレイユの数字が大きいのは分かる。
何しろ、ついさっきまで一緒に寝ていたんだからな。
……いや、別に一緒に寝ているから増えるって話でもないんだろうが。
とにかく、あいつが俺に好意を持っていることくらい、さすがの俺でも分かる。
だが、セラフィナはどうなんだ?
あれっきり神殿には近いておらず、彼女とは会っていない。
それなのに、ミレイユに迫る勢いで返済額が増えている。
「何かあったのか?」
《詳細な感情分析をご希望の場合、追加料金が発生いたします》
「……ああ、はいはい」
予想どおりの返答だった。
「いくら?」
《回答料金:生命時間換算で十二分》
「却下だ」
《承知いたしました》
12分も払って、女の子の気持ちを教えてもらうってのも、何だか情けない話だ。
まあ、彼女の機嫌がいいということならそれでいいだろう。
俺はもう一度、目の前の板を眺めた。
「ちなみに、これって消せる?」
《はい。非表示をご希望の場合は、その旨をお申しつけください》
「じゃあ消して」
《承知いたしました》
すっと板が消えた。
「……おお」
便利だ……便利なんだが。
「……何で最初からなかったんだよ、これ」
《サービスレベルに応じて――》
「もういい」
今日の予定は事務所の掃除。
……ったく。
朝から妙なものを見せられた。
◆◆◆◆◆
私が待ち合わせの喫茶店に着くと、セラフィナさんはすでに席についていました。
窓際の、少し奥まった場所です。
今日は神殿の法衣ではなく、落ち着いた色のワンピースを着ていました。
長い銀色の髪が朝の光を受けて、とても綺麗です。
「ミレイユ様……いえ、ミレイユさん」
私を見つけた瞬間、セラフィナさんがぱっと顔を明るくしました。
「お待ちしておりました」
「おはようございます、セラフィナさん。お待たせしてしまいましたか?」
「いいえ、私が早く来すぎてしまっただけですから」
そう言って、セラフィナさんは嬉しそうに微笑んだ。
相変わらず、少し大げさなくらい丁寧な方だなと思います。
セラフィナさんは神殿の聖職者様。
本来なら、ただの冒険者である私の方が、もっと敬意を払わなければいけない立場のはず。
でも、なぜかセラフィナさんは、私のことをとても慕ってくれているようです。
「今日はお呼び立てしてしまって、申し訳ありません」
「いえ、そんな。私もセラフィナさんとお話ししたいと思っていましたから」
「……本当ですか?」
「はい」
そう答えると、セラフィナさんはほっとしたように微笑みます。
私たちは向かい合って座り、紅茶を注文しました。
最初は、最近の神殿のことや、冒険者としての仕事、レイジさんの仕事について話しました。
セラフィナさんは私の話をとても楽しそうに聞いてくださいます。
特にレイジさんの話になると、目を輝かせて身を乗り出してくるんです。
しばらく他愛もない話をしていましたが、ふと話が途切れました。
そのとき、セラフィナさんが紅茶のカップをそっと置いてテーブルの上で両手を握りました。
このまま、告解でも始まりそうな雰囲気でした。
「……ミレイユさん」
「はい」
「今日は……どうしても、お話ししたいことがあるんです」
その声は、少し震えていました。
私は背筋を伸ばしました。
「はい。何でしょう?」
セラフィナさんは、しばらく俯いていました。
何かを言おうとして、でも言葉が出てこない。
そんな様子でした。
「……あの」
「はい」
「……怒らないで、聞いていただけますか?」
「えっ?」
私は思わず首を傾げてしまいました。
「怒るようなお話なんですか?」
「……分かりません」
セラフィナさんが、小さく首を振ります。
「でも……ミレイユさんに嫌われてしまうかもしれないと思うと、怖くて……」
「セラフィナさん……」
その声は、本当に不安そうでした。
「大丈夫ですよ。まずは、お話を聞かせてください」
「……はい」
セラフィナさんは一度だけ深く息を吸いました。
そして意を決したように——。
「……私、レイジさんのことが好きなんです」
私は黙って、続きを待ちました。
「とても……とても、お慕いしております」
セラフィナさんの声は震えていました。
「あれからずっとずっと考えてしまうんです。今、何をしていらっしゃるのか。お食事はきちんと召し上がっているのか。お怪我はされていないか……」
セラフィナさんが、ぎゅっと手を握りました。
「……でも」
そこで、声が小さくなりました。
「レイジさんには、ミレイユさんがいらっしゃいますし、お二人が愛し合っていらっしゃることも、存じております」
その言葉に、少しだけ頬が熱くなりました。
……うう。
改めて他の人からそう言われると、流石に恥ずかしいです。
「ですから、こんな気持ちを抱くこと自体、いけないことなのではないかと……」
「セラフィナさん……」
「でも、どうしても……諦められなくて……」
セラフィナさんが顔を上げると、その目には涙が浮かんでいました。
「……私も、レイジさんのお側に居たいんです」
小さな声でした。
でも、はっきりと聞こえました。
「ミレイユさんのお立場を奪いたいわけではありません。お二人の関係を壊したいわけでもありません」
「……はい」
「ただ……私も、お側にいたいんです」
セラフィナさんが、深く頭を下げました。
「……どうか、お許しいただけないでしょうか」
やっぱり、そうだったんですね。
あの日、セラフィナさんがレイジさんを見るときの表情。
あれは、私がレイジさんを見るときと同じでしたから。
私も気づいていたけれど、こうして本人から聞くと、やっぱり少しだけ胸が痛みます。
私だって、レイジさんのことが大好きで、ずっと私を見ていてほしい。
でも……。
セラフィナさんも、私と同じ気持ちなんです。
レイジさんが大好きで。
レイジさんに幸せになってほしくて。
そして、レイジさんと一緒に幸せになりたい。
「……セラフィナさん、顔を上げてください」
セラフィナさんが、恐る恐る顔を上げました。
私は、できるだけ明るく微笑みました。
「もちろん、私はいいですよ!」
「…………え?」
セラフィナさんが固まりました。
「……あの」
「はい?」
「……今、何と……?」
「ですから、いいですよって」
「…………」
何度か瞬きをして、それから。
「……よろしいのですか?」
「はい!」
「私もレイジさんのお側にいても?」
「もちろん、最後はレイジさんの気持ち次第ですけど」
私は頷きました。
「でも、私は賛成です」
「…………!」
セラフィナさんの目が、大きく見開かれました。
「……ミレイユさん……」
その声が、震えました。
次の瞬間。
「……っ!」
セラフィナさんが、両手で顔を覆ってしまいました。
「セ、セラフィナさん!?」
「す、すみません……!」
指の隙間から、涙がこぼれています。
「嬉しくて……私……」
「あ、あの、泣かないでください!」
「はい……っ」
……困りました。
まさか、セラフィナさんを泣かせてしまうなんて。
私は慌ててハンカチを差し出しました。
「……ありがとうございます」
「いえ、そんな……」
「私……ミレイユさんに嫌われてしまったら、どうしようかと……」
その言葉に、私は少し驚きました。
「……私に、ですか?」
「はい……」
セラフィナさんが、小さく頷きます。
「もちろん、レイジさんにお断りされるのも怖いです。でも……その前に、ミレイユさんが私を受け入れてくださるかどうかが……」
「…………」
「私、ミレイユさんのことも、大好きなんです」
セラフィナさんが、真っ直ぐに私を見つめました。
「強くて、お優しくて……レイジさんのことを、誰よりも大切になさっていて……」
「そ、そんな……」
「私にとって、ミレイユさんは憧れの方なんです」
……ああ、もう。
そんなことを言われたら、私まで泣きそうになってしまいます。
「私も、セラフィナさんのことが大好きですよ」
「…………!」
「ですから、安心してください」
私はそっと、セラフィナさんの手を握りました。
「私も、セラフィナさんと一緒にレイジさんのことを好きでいられたら、楽しいと思います」
「……楽しい、ですか?」
「はい!」
私は頷きました。
「だって、好きな人のことを一緒にお話しできる人がいるって、嬉しいじゃないですか」
「…………」
「それに、セラフィナさんなら、きっと仲良くやっていけると思うんです」
そう言うと、セラフィナさんの目から、また涙がこぼれました。
「……ありがとうございます……」
「もう、また泣いて……」
「すみません……」
「ふふっ。謝らなくていいですよ」
私は、もう一度ハンカチを差し出しました。
セラフィナさんはそれを受け取ると、嬉しそうに微笑みました。
……よかった。
本当に、よかったです。
私も、少しだけ不安だったんです。
もしセラフィナさんが、私とレイジさんの関係を壊したいと思っていたらどうしよう、とか。
私のことを邪魔だと思っていたらどうしよう、とか。
でも、そんな心配は必要ありませんでした。
この方は、私のことも大切に思ってくださっている。
それが分かっただけで、十分です。
「……さて」
私は、紅茶のカップを置きました。
「じゃあ、行きましょうか!」
「……え?」
セラフィナさんが、きょとんとしました。
「……どちらへ、でしょうか?」
「もちろん、レイジさんのところです!」
「…………えっ!?」
セラフィナさんが、今度は本当に驚いた顔をしました。
「い、今からですか!?」
「はい!」
「で、ですが、私、まだ心の準備が……!」
「大丈夫ですよ」
私は明るく微笑みました。
「こういうことは、気持ちが決まっているうちに伝えた方がいいと思うんです」
「で、でも……」
「それに、私も一緒ですから」
「……ミレイユさん……」
セラフィナさんが、私を見つめました。
その目には、まだ少し不安が残っています。
私は、そっと頷きました。
「レイジさんは、口はぶっきらぼうですけど……本当は、とても優しい方です」
「……はい」
「ですから、ちゃんと気持ちを伝えれば、きっと分かってくださいます」
「……そう、でしょうか」
「はい!」
私は立ち上がりました。
「さあ、行きましょう!」
セラフィナさんは、しばらく私を見つめていました。
そして。
「……はい!」
ぱっと顔を明るくして、立ち上がりました。
「私、頑張ります!」
「ふふっ。その意気です!」
◇
私たちは会計を済ませ、店を出ました。
王都の通りには、昼下がりの日差しが降り注いでいます。
レイジさんは、今頃事務所のお掃除をしているはずです。
……そういえば。
今日は私もお手伝いするつもりだったんですよね。
でも、まあ。
お掃除は明日でもできますし。
それより、今日はもっと大切なことがあります。
「……ミレイユさん」
「はい?」
隣を歩くセラフィナさんが、少し恥ずかしそうに微笑みました。
「私……今、とても幸せです」
「……ふふっ」
私も、つられて笑ってしまいました。
「それは、よかったです」
……レイジさん。
今日は、少し驚かせてしまうかもしれません。
でも、きっと悪いお話ではありませんから。
どうか、許してくださいね。




