20-幽霊騒ぎを暴いたら、本物まで居た
翌朝、目を覚ますと右腕が痺れていた。
理由は考えるまでもない。
横を見ると、ミレイユが俺の腕を抱えたまま気持ちよさそうに眠っている。
昨日の夜、あれだけ元気だったくせに、今は起きる気配すらない。
俺はしばらく天井を眺めてから、昨夜のことを思い返した。
飯を食いに出ただけだった。
それがガルドに捕まり、酒を奢らされ、妙な店へ連れていかれ、猫獣人について知らなくてもいい知識を得て、帰ってきたらミレイユがいて、結局もう一仕事させられた。
どう考えても働きすぎである。
「……今日は絶対何もしない」
小さく呟いたところで、ミレイユが身じろぎした。
起こさないように腕を引き抜こうとしたが、逆に抱え込まれてしまった。
しばらく格闘した末に諦め、もう一度目を閉じようとしたところで、廊下から扉を叩く音がした。
「レイジ! 起きてるかい! 手紙が来てるよ!」
女将の声だった。
俺は返事だけして、ようやくミレイユから腕を回収した。
◇
手紙の差出人は、エレノア・ハーグリーヴス。
一瞬誰だと思ったが、文面を読んですぐに思い出した。
先日、セシリアの依頼で女子寮へ入るため、俺に女物の制服を着せやがった教師である。
手紙には先日の件についての礼が簡単に書かれたあと、帰り際に少し話した女子寮内の異変について相談したいので、3日後の午後に学校へ来てもらえないかとあった。
緊急を要するという書き方ではない。
寮内で少し妙なことが続いているので、学生たちを不安にさせないよう内々に調べてほしい、という程度だった。
「女子寮ですか?」
俺が渡した手紙を読んだミレイユに、俺は頷いた。
「昨日の夜に話しただろ。なくなった指輪を探しに行って、女装させられた……って」
「ああ。昨日の話ですね」
なぜか嬉しそうな顔をされた。
「私も行っていいですか?」
「女子寮だぞ?」
「だからですよ。私は普通に入れますし、何かあったときにレイジさん1人より便利でしょう?」
言われてみれば、その通りだった。
前回は単なるなくしもの探しだったから必要なかったが、今度は何が起きているのかすら分からない。
女性しか入れない場所なら、最初からミレイユを連れていった方ができることは多い。
そう考えていると、ミレイユが少しだけ楽しそうに付け加えた。
「それに、レイジさんの女装も見てみたいです」
「それが本音だろ」
「違いますよ。半分くらいです」
半分もあるのかよ。
ともあれ、3日後に仕事が確定したので、改めて今日は何もしないことにした。
昨日の稼ぎは銀貨1枚だったが、別に今日明日の飯に困っているわけでもない。
肩の傷もまだ完全に治ったわけではないし、ここ数日は妙に働きすぎた。
昼まで寝て、起きたら適当に飯を食って、あとは――。
「レイジ! ちょっと来ておくれ!」
下の階から女将の大声が響き、俺は天井を見上げた。
最近、こういう嫌な予感だけは当たる。
◇
階下へ降りると、女将が宿の入口で誰かと話していた。
相手は50代くらいの小太りの男で、仕立てのいい服を着ているわりに顔色が悪い。
何度も額の汗を拭っており、朝から走ってきたようだった。
「ちょうどいいところに来たね。レイジ、この人はオズワルド・ベイン。昔からの知り合いさ」
嫌な予感しかしない紹介だった。
案の定、女将は俺が何も言わないうちに事情を説明し始めた。
このオズワルドは以前、王都南西部で雑貨店を営んでいたらしい。
商売自体は数年前に息子へ譲って隠居しているらしいが、以前使っていた店舗はそのまま所有しているそうだ。1階が店舗、2階が住居になっている古い建物で、現在は誰も住んでいない。
その空き店舗で問題が起き始めたのは半月ほど前。
夜になると、誰もいないはずの2階から足音がする。
窓に人影が映る。
翌朝になると、店内の椅子や棚の場所が変わっている。
最初は近所の子供か浮浪者でも入り込んでいるのだろうと思ったらしい。
ところが鍵を交換しても同じことが続いたそうだ。
そして数日前、夜中に店の前を通った近所の住人が、2階の窓から女の泣き声を聞いたという話が入ってきた。
今では近所で「あの店には死んだ人間が出る」と噂になっているらしい。
「で、俺に幽霊退治をしろと?」
「レイジ、あんた探偵なんだろ?」
「探偵と幽霊退治は別業種だろ」
オズワルドが言うには、すでに神殿にも相談しており、今日聖職者が現場を見に来る予定になっているらしい。
だったらそっちに任せればいいと思ったのだが、マルタとしては、本当に幽霊なのかどうかも含めて調べた方がいいと思い、俺を呼んだということだ。
こういう話は普通、冒険者ギルドなどに頼むことが多い。だがそれなりの報酬が必要で、派遣される冒険者もいつくるか、どんな奴が来るかもわからない。
それならば……という魂胆らしい。
報酬の話になると、オズワルドが申し訳なさそうに提示した金額は、正直それほど魅力的ではなかった。
流石に断ろうかと思ったところで、女将が横から口を挟んだ。
「そういやレイジ、そろそろ仕事する場所を探してるんじゃなかったのかい?」
確かに最近、宿の部屋へ依頼人が来ることが続いている。
今後、セシリアのような貴族令嬢まで宿の一室に通すのは、俺としてもどうかと思い事務所を借りることも考えていたのは確かだ。
女将はオズワルドを指差した。
「オズワルド、その店、どうせ今は使ってないんだろ? レイジが解決したら、しばらく安く貸してやったらどうだい」
オズワルドも少し考えてから頷いた。
「どうせ空き家ですし、マルタの紹介なら問題ないよ」
この女将、そういう名前だったのかと思いながら、俺はもう一度、依頼内容を考えた。
元雑貨店なら、少なくとも人を迎えるための入口はある。2階が住居なら、寝泊まりまでできるかもしれない。
その辺は、調査がてら現地を見てから決めればいい。
「……幽霊が本当にいたら、追加料金な」
そして仕事をしないと決めていたのに、結局、安く事務所が手に入るという誘惑に勝てず、調査を引き受けることにした。
◇
問題の建物は、宿から歩いて20分ほどの場所にあった。
王都南西部。
マーサの薬店がある古い職人街よりは中心部に近いが、それでも建物には年季が入っている。
オズワルドの元店舗は、大通りから一本入った角地に建っていた。
古いが、思っていたより悪くない。
1階には大きな窓があり、扉の上には以前の店名が書かれていたらしい看板の跡が残っており、少し手を入れれば、そのまま事務所として使えそうだった。
ただ、周囲の建物と比べて妙に静かだった。
噂のせいなのか、隣接する店の人間までこちらを気にしている。
そしてその入口の前には、先客がいた。
白を基調とした長衣に、その胸元には金属製の聖印が下がっていた。
長い銀髪を背中へ流した女が、建物を見上げている。
年齢は俺より少し下くらいだろうか。
背はミレイユよりかなり高く細身ではあるが不健康な細さではなく、立ち姿が妙に綺麗だった。
「……もしかして、オズワルドさんが言ってた聖職者か?」
俺が小声で聞くと、隣にいたオズワルドが頷いた。
なるほど……服装を見れば聞くまでもなかった気はする。
俺たちに気づいた女がこちらを向き、柔らかく微笑んだ。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。神殿から来た人で合ってるか?」
「はい。本日こちらを調べるよう仰せつかっております」
やっぱりそうらしい。
「俺はレイジ。探偵をやってる。こっちはミレイユと、この店の持ち主のオズワルドさん」
「ミレイユ・レナードです。冒険者ギルド所属の剣士です」
俺たちが名乗ると、女はわずかに不思議そうな顔をした。
神殿側には俺たちが来ることなど伝わっていないから当然だろう。
「探偵……でございますか?」
「この店の異変について、俺もオズワルドさんから調査を頼まれた。あんたの邪魔をするつもりはないから、できれば一緒に調べさせてほしい」
そう説明すると、女はオズワルドへ確認するように視線を向けた。
オズワルドが慌てて頷く。
そこでようやく納得したらしく、彼女は改めて俺たちへ向き直った。
「承知いたしました。私は王都中央神殿に所属しております、セラフィナ・アルヴェールと申します。霊障の調査と、必要であれば浄化を行うため参りました」
声まで穏やかだった。
いかにも聖職者という感じの女である。
「そういうのは専門外だから助かる。幽霊が本当にいたら、そっちは任せる」
「はい。その代わり、人の仕業でしたらレイジ様を頼らせていただきますね」
「それなら任せろ……とはまだ言えないけど、まあ調べてみるよ」
そうして俺たちは、同じ事件を別々の方向から調べることになった。
セラフィナはすでに建物の外周を確認したらしい。
ただ、霊的なものが存在する可能性は否定できないという。
ずいぶん曖昧な言い方だったが、彼女によれば強い悪霊なら建物の外からでも分かるものの、弱いものや眠っているものまでは中を調べなければ判断できないそうだ。
俺にはまったく分からない世界の話である。
◇
オズワルドさんに鍵を開けてもらい、4人で中へ入った。
第一印象は埃っぽいというもので、元は雑貨店だったというだけあって、壁際には棚が残されていた。売り物はほとんど撤去されていたが、古い箱や壊れた家具などはそのままだ。
俺は床を見ながら窓へ近づき、部屋を見回した。
そして裏口から階段、幽霊なんて見たことのない俺は、人間がどうやって入るかを考えながら建物内を確認していく。
扉の鍵は確かに新しく、窓にも内側から留め具が掛かっていた。
だが建物そのものは古く、裏手へ回ると、壁と隣家の間には人1人が通れる程度の隙間があった。
「レイジさん?」
突然壁の隙間でしゃがみ込んだ俺を、ミレイユが後ろから覗き込んできた。
壁の下の一部分だけ苔が剥がれていた。
さらに少し上には、古い雨樋が通っており、触ってみると思ったより頑丈だった。
そのまま視線を2階の窓へと上げていく。
正面側の窓とは違って、こちらの窓は古い木枠のままだった。
中へ戻って2階へ上がり、その窓を確認すると、鍵らしき金具は掛かっていたが、金具の周囲だけ木枠の部分が削れていた。削れ後もまだ新しいようで、他の木枠部分と色が違っていた。
「これ、多分、窓の外から開けられるな」
細い金属板か何かを隙間から差し込めば、留め具を持ち上げられる。
その証拠に窓枠にはご丁寧にごく小さな擦り傷が何本も残っていた。
幽霊がわざわざ窓の鍵を開けて入ってくるとは思えない。
俺はそのままその室内を調べることにする。
足音がすると言われている2階部分と人影が見えたという窓辺。
女の泣き声と、ご丁寧に通りから見える位置にある家具だけ場所が変わる。
床にうっすらと残る足跡――確実に誰かが夜中に侵入している。
ただ、生きている人間の仕業であるということは全部説明できる。
問題は、なぜそんなことをするのかだ。
(おい、今まで確認した情報から、人為的な侵入を否定する要素はあるか?)
《簡易解析を実行します。回答料金は生命時間換算で一分です》
(やってくれ)
《現時点で、人為的な侵入を否定する明確な要素は確認できません》
そこまでは予想通り。
(この建物か所有者に関して、最近土地の売買や買収に関する話がなかったか調べられる?)
《可能です。外部情報の検索となります》
(公になってる情報だけでいい)
《回答料金は生命時間換算で四時間です》
(払う)
《直近半年間における周辺土地の所有権移転および公的に確認可能な商取引情報を検索します》
一瞬の沈黙。
《該当情報があります》
出てきた情報を頭の中で整理して、俺は思わず笑った。
なるほど、分かってしまえば馬鹿みたいに単純な話でよくある話だ。
この一帯ではここ半年ほど、商会による土地の買収が進んでいる。
買っているのはグレイベル商会。
倉庫と商業施設をまとめて建てる計画らしく、この通りでもすでに何軒か土地を手放していることが判明した。
そして、この角地とあと数件だけがまだ残っていた。
「オズワルドさん、この店、誰かから売ってくれって言われてる?」
明らかにオズワルドの顔色が変わった。
聞けば、数か月前から何度かこの店舗を売ってくれと話が来ているらしいが、父親から受け継いだ建物なので、使っていなくても手放す気はなかったとのことだ。
そして、断り続けていると最近になって提示額が上がり、それでも断ったところ、先月を最後に話は来なくなったという。
悪霊が出るという噂が出始めた時期ともだいたい合う。
「とりあえず、幽霊なんか関係ない。単純な地上げ屋の嫌がらせだ」
俺は通りの反対側にある窓を指した。
「夜中に誰かがここから入って、物を動かして、外から見えるところを歩いてる。女の泣き声も変声具とかを使ってるんだろ。幽霊が出るって噂を広めて、この建物の価値を落とすか、持ち主を怖がらせて売らせたいんじゃないか?」
オズワルドが息を呑み、ミレイユは俺と窓を見比べ、床にある足跡を調べていた。
そしてセラフィナだけが、少し困ったように微笑んでいた。
「どうした?」
「いえ。レイジ様のお考えは、おそらく正しいと思います」
「だろ?」
「はい。どなたかが何かをしているという点については、私も異論ございません」
セラフィナの妙な言い方が少し引っかかった。
「……については?」
セラフィナは答えず、部屋の奥に置かれている古い棚へと顔を向けていた。
……そこには古い棚しかないぞ?
だが彼女は、誰かがそこにいるかのようにじっと一点を見つめて続け、少ししてから、困ったように頬へ手を添えた。
「ただ、どうしましょう」
「何が?」
「そちらに居られる方についてです」
「…………誰が……なんて?」
聞き返したくなかったが、聞くしかなかった。
セラフィナはにこやかに答えた。
「とても昔でしょうか……この地で亡くなられた方でしょう」
「――!?」
隣で、ミレイユが息を呑むのがはっきりとわかった。
俺はもう一度、古い棚を見るが何もない。
少なくとも俺には何も見えないし、そこに何かが居るという感じもしない。
(な、なぁ、幽霊って本当にいるのか?)
《回答料金は生命時間換算で――》
(あ、やっぱいい)
危ない危ない……こんなことで寿命を払ってたまるか。
目の前に専門家がいるんだからそっちに聞けば無料なのだ。
「……ちなみにそれって悪い奴か?」
セラフィナはしばらく何もない空間を見つめてから、首を傾げた。
「今のところは、なんとも。ただ……少し妙ですね」
嫌な言葉だった。
この世界へ来てから分かったことが1つある。
専門家が「妙だ」と言ったときは、大体ろくなことにならない。
それでも、このときの俺はまだ気楽に考えていた。
幽霊騒ぎそのものは人間の仕業で、犯人の目星までついた。
あとは証拠を押さえて、地上げ屋を追い払えば終わり。
ついでにこの建物を安く借りられれば、依頼人を宿の部屋へ通す生活ともおさらばできる。
悪くない仕事だ。
少なくとも――そこまでは。
目の前で穏やかに微笑んでいる聖職者が、悪霊の方から逃げ出すような女だとは、このときの俺はまだ知らなかった。




