19-閑話~浮気は許されても、夜の義務は免除されない
夜風が気持ちいい。
火照った身体に冷たい空気が当たるたび、さっきまで頭の中を占領していたものが急速に冷えていく。
「…………何やってんだろ、俺」
見上げれば、月が傾き始めており、もうかなり遅い時間だとわかる。
空に浮かぶ二つの月を眺めながらぼんやりとした頭で思い出す。
まず、夕飯を食うために宿を出て、適当に見つけた店で肉とパンを食い、酒を一杯だけ飲んだ。
そこまでもいい。
問題はその店でガルドに見つかったことだった。
「兄貴じゃねえっすか!」
あの声を聞いた時点で、殴り倒してから帰ればよかった。
なぜか俺を兄貴と呼ぶようになったチンピラは、当然のように俺の向かいへ座り、当然のように酒を頼み、当然のように俺へ奢らせた。
しかも何杯飲んだ?
そして、飲んでいる間、聞いているこっちが恥ずかしくなるほど褒めてくる。
兄貴はすげえ、兄貴なら王都でもそのうち名を上げる、兄貴ほど喧嘩が強くて頭まで切れる男はいない。
あいつの言うことを真に受けてはいけないのはわかっている。
酒を奢らせるためのヨイショも半分以上入っていることもわかっている。
それでも……。
「……悪くなかったんだよな」
誰かと酒を飲むというのは、思っていたより楽しかった。
ガルドはアホだが、変に気を遣わなくていい。
俺が適当なことを言えば笑い、愚痴を言えば大げさなくらい同意し、ちょっと自慢すればこれでもかというほど持ち上げてくれる。
たぶん、接待される側というのはあんな気分なのだろう。
結果として酒が進んだ。
そして酒が進めば、当然判断力は落ちるわけだ。
あとはまあ……酒が入った男2人で夜の街。
ガルドが「兄貴、この辺にいい店があるんすよ」と言い出し、俺も「へえ」と答えたため、そこから先は勢いだった。
「…………」
俺はもう一度、夜空を見上げた。
別に後悔するようなことをしたわけではない。
金を払って、そういう店に入り、そういうサービスを受けた。
この世界では普通に営業している店だし、犯罪でもなんでもない。
ただ。
つい昨日までミレイユの家に泊まり、飯を作ってもらい、同じベッドで寝て、朝から昼まで散々いちゃついていた男が、その日の夜に何をしているんだという話である。
「最低彼氏か……? いやみんな敢えて言わないだけで男としては普通なのか?」
賢者になった頭では、非常に冷静な自己評価ができた。
ちなみに店で相手をしてくれたのは猫獣人の女の子だった。
野性的というか元気っぱいな美人という娘で、個人的な感覚ではセシリアとあまり変わらない年だった気がする。
この世界へ来てから獣人自体は何度も見ているので、今さら珍しくもない。
だが俺は今日、知った。
耳や尻尾があるのは当然として、感覚的なところでも人間とは微妙に違うところがある。
詳しく語るつもりはない。
ただ1つ言えることがあるとすれば――。
「異世界ってすげえな……」
知らなくても人生に何の支障もない知識が、また1つ増えた。
なお、ガルドは俺より先に店を出たのか、どこかへ消えていた。
あいつ、酒代を全部俺に払わせたくせに最後は置いて帰りやがった。
確かに時間が読めないから終わったら勝手に解散な——とは伝えた。
そしてその通り、すでに帰りやがった。
今度会ったら殴ろう。
そんなことを考えながら、俺は宿へ戻った。
◇
「おかえりなさい、レイジさん」
「…………」
部屋の扉を開けた俺は、そのまま固まった。
ミレイユが俺の部屋のベッドに腰掛けていた。
どうやら宿の女将に入れてもらったらしい。
「どうしたんですか?」
「……いや」
やばい。
別にミレイユと付き合っていると明確に決めた覚えはないが、目を合わせづらい。
「レイジさん」
「はい」
思わず敬語になった。
ミレイユが不思議そうに首を傾げ、それから少しだけ鼻を動かした。
「お酒、飲んでました?」
「……ガルドと」
「ああ」
それだけで納得された。
「奢らされた」
「ふふっ。なんとなく想像できます」
笑われた。
だが、それ以外はまだ何も言われることなく、その時間が恐ろしく怖く感じる。
「それだけですか?」
「…………」
来た——だがこういうことは後ろめたさを感じるからダメなのだ。
堂々と言う方が事後は良いはずだと、俺は覚悟を決めた。
「……そのあと、ちょっと店に」
「女の人がいるお店ですか?」
「…………はい」
無言の笑顔というのはこんなに圧が出るのかと考えながら、堂々と敬語で返事してしまった。
だがミレイユは怒っているわけではなく、ただ少しだけ考えてから、ごく普通のことのように頷いた。
「どうしました? それくらいなら、別に普通じゃないですか?」
「……いいのか? そういう店だぞ?」
「分かってますよ?」
分かっているらしい。
「ミレイユはそういうの嫌じゃないのか?」
「好きか嫌いかなら、嫌ですよ?」
「あ、やっぱり嫌なんだ」
「それはそうです。好きな男の人を自分の知らない女の人に触ってほしいなんて思いませんから」
そりゃそうだ。
立場が逆だと、俺は相手の男を普通に殺しに行っているかもしれん。
だったら怒られるのかと思ったのだが、ミレイユはそこで少し笑った。
「でも、それとこれは別ですよ? 男の人なら、それくらい普通ですし?」
「……普通なのかよ」
「普通ですよ。もしかしてレイジさんって、意外に重い系ですか?」
「重い系……?」
「1人の女性としか……というやつです。それはそれで嬉しいですが」
一夫多妻的な話は知っているが、そもそもマイノリティとマジョリティが完全に逆だった。
ミレイユはベッドへ座ると、隣を軽く叩いた。
座れということらしい。
「男の人は少ないですから。だから、ちゃんと家族を養える男の人が何人かの女の人と一緒になるのは、むしろ推奨されてますよ?」
「なるほどなぁ……」
「むしろ、それだけ女の人から好かれる男の人なら、その人に選んでもらえるように頑張るのが女の甲斐性です」
「女にも甲斐性ってあるんだな」
「ありますよ」
きっぱり言われた。
頭では理解していたつもりだったが、実際に当事者から言われると想像以上だった。
「それに私、レイジさんは早く次の『良い人』を作って欲しいと思ってますよ」
「……そうなの?」
「はい。でも――」
そこでミレイユが少しだけ表情を変えた。
「こっそりと……というのは淋しいです。せめて行ってきます! と明るく伝えてください」
「…………」
急に圧が出た。
「あと、好きな人ができたなら教えてくださいね」
「なんで?」
「そりゃ、レイジさんの他の『いい人』とも仲良くしたいです。ずっと一緒に……そっ、それこそ夜も一緒に……ということも……あり得ますし?」
「お前、もう俺が何人も女作る前提で話してない?」
「作らないんですか?」
ふむ……そりゃ俺も男だし、美人は好きだ。
それは否定しないし『寿命』という名の借金を返すためにそういう方針をとることにした。
だが当事者の女の子側から、そういうハーレム的な形が普通だと聞かされるとは考えていなかった。
そんなことを考えている俺を見て、ミレイユが楽しそうに笑った。
「だから、そのときはちゃんと私にも紹介してくださいね?」
「はいはい」
「返事は1回です」
「お前は母親か」
「まだ、母親じゃありません」
なんだがいま、地味に重いセリフを聞いた気がする。
「でも、レイジさんは放っておくと変なことばっかりしそうなので、私がちゃんと見ていた方がいい気はしますよね……」
「余計なお世話だ」
どうもミレイユは姉さん女房的な素質がある気がする。
背は小さいくせに。
だが、そう言われて嫌な気がしないあたり、俺もだいぶミレイユに嵌ったなと感じる。
「それじゃあ、今日は私もここに泊まりますね」
「お前、自分の家あるだろ」
「レイジさんが帰ってきたので」
それだけ言って、当たり前のように泊まる準備を始め、俺ももう追い返す気はなかった。
「好きにしろ」
「はい」
嬉しそうに返事をしたミレイユが、少しだけ俺を見上げる。
そして、何か言いたそうにしてから、照れたように視線を逸らした。
「……あの、レイジさん」
「ん?」
「今日は、その……お店でも遊んできたんですよね?」
「…………まあ」
なんで改めて確認するんだよ。
ミレイユは少し頬を赤くしたまま、俺の服の裾を摘んだ。
「だったら、疲れてるとは思うんですけど……私の分も、ちゃんと残ってます?」
「…………」
一瞬、意味が分からなかった。
いや、一瞬で分かった。
「他で遊んでも良いんですけど、私の分がなくなるのは嫌です」
少しだけ拗ねたように言われた。
「私のこともちゃんと大事にしてくださいね?」
「…………」
ずるい。そんな言い方をされたら断りづらい。
いや、別に断りたいわけでもないのだが。
「さっき一勝負してきたばっかりなんだけど」
「知ってます」
ミレイユが俺の腕に抱きついた。
「だから、無理はさせませんけど、頑張って欲しいです」
上目遣いでそんなことを言われる。
「…………」
俺は天井を見上げた。
結局、その夜もミレイユと同じベッドで寝た。
ただ寝ただけだったかどうかについては、わざわざ説明する必要もないだろう。
昼間は伯爵令嬢の依頼で女子寮に潜入。
夜はガルドと酒を飲み、そういうお店で猫獣人の女と一勝負。
宿へ戻れば、今度はミレイユと。
最近、俺の生活は確実におかしな方向へ向かっている気がして仕方がない。
ただ――。
翌朝、満足そうに俺の腕へ抱きついて眠っているミレイユを見ながら、こういう生活も悪くないなと思ったのだった。




