14-美人剣士の部屋から、女子寮へ
翌日の夕方、俺は予定通りミレイユの部屋へ飯を食いに行った。
先日の依頼料を決める際、金の代わりに10回飯を作ってもらうという話になったので、その1回目という名目である。
ミレイユの料理は普通に美味かったし、少なくとも俺が普段食っている安宿の飯なんか比べるまでもなく美味かった。
この世界に来てから誰かの手料理らしいものを食った記憶もほとんどないので、毎回この程度の飯が出てくるなら、依頼料を食事で受け取るというのも案外悪くない選択だったかもしれない。
だから、そこまではよかった。
問題は食後だった。
俺としては飯を食ったら宿へ帰るつもりだったし、少なくともミレイユの部屋へ向かっている途中までは本当にそのつもりだった。
ところが食事を片付けてもミレイユは帰れとは言わず、むしろ夜が深くなるにつれて随分と分かりやすく距離を詰めてきたのだ。
隣へ座り、昨日刺された肩の具合を見るという名目で身体を寄せてくるあたり、前日の夜にあれだけ恥ずかしがっていた女と同一人物とは思えない。
「……今日、泊まっていきませんか?」
最終的にそんなことを言われた。
昨日の夜に関係を持ったばかりの女から、2人きりの部屋でそんな誘い方をされて断れるほど、俺はできた人間ではない。
結果として、その日は宿へ帰らなかった。
男女が同じ部屋で一晩過ごし、しかも前日にすでに関係を持っているのだから、何をしていたのかはわざわざ説明する必要もないだろう。
少なくとも、怪我人なのだから無理をするなと言っていた本人が、夜になった途端に俺を朝までまともに寝かせてくれなかったという事実だけは記録しておきたい。
そして翌朝。
今度こそ早々にお暇しようと思っていた。
ところがミレイユからもう少しいてもいいじゃないですかと言われ、2人でダラダラとした。
その後昼飯まで作ってもらい、食べ終わったら今度こそ帰ろうと思っていたはずなのに、午後にはなぜか2人でベッドに寝転がっていた。
別に何をしていたわけでもない。
ミレイユが俺の右腕に抱きついたままくだらない話をしたり、俺があいつの赤い髪を弄ったり、たまに目が合えばキスをしたりしていただけだ。
だが、そういう何の生産性もない時間というのは恐ろしいもので、気づけば窓から差し込む光が傾き始めていた。
ここまで来ると、もう帰る意味があるのかという疑問まで湧いてくる。
人間というのは恐ろしい。
たった1日で生活習慣が崩壊する。
しかもミレイユは、俺の自制心を破壊するだけでは飽き足らず、夕方になってとんでもないことまで言い出した。
「レイジさん、宿代勿体無いですし、怪我のこともありますし、うちに住んでもいいですよ?」
「……それ、ただの紐男じゃん」
「ヒモオトコ……ですか?」
当然ながら通じなかったので説明した。
女の家に転がり込み、生活費まで女に頼って暮らす男のことだと話すと、ミレイユはしばらく考えたあと、別に自分は構わないと言い出した。
俺が構うのだと返したところ、なら家賃を半分払えばいいのではないかという、あまりにも真っ当な解決策まで提示された。
確かに家賃を半分出すなら紐ではない。
ただの同棲だ。
しかも今の安宿へ金を払い続けるくらいなら、ミレイユの部屋で家賃を折半した方が生活費は安くなる可能性が高い。
飯まで作ってくれるし、洗濯だってしてくれそうだし、怪我をしていれば世話まで焼いてくれる。そして夜になれば――。
「…………」
駄目だ。
これは人間として駄目になるやつだ。
そう判断した。
判断したにもかかわらず、その日の夜も泊まった。
まったく説得力はなかった。
◇
そして3日目の朝。
この日はミレイユの方に予定があった。
冒険者として薬草を採取する仕事で、何人かの仲間と少し遠くまで出るらしい。
「レイジさんはまだ肩が治ってないんですから、今日は一日ここでゴロゴロしていてください。夕方には戻りますから」
「いや、さすがに今日は宿に帰るよ。俺の荷物、全部向こうにあるし」
「それなら必要な物を持ってくればいいじゃないですか。ここに置いておけば、毎回取りに帰らなくても済みますよ?」
「俺を本格的に住ませようとするな」
「ふふっ、じゃぁまた宿の方へ遊びに行きますね」
ミレイユは楽しそうに笑いながら出掛ける準備を済ませ、最後に軽く口づけをして部屋を出ていった。
残された俺は、急に静かになった部屋を見回した。
ベッドもテーブルも椅子も、置かれている物はほとんどがミレイユの物で、当然ながら俺の荷物は何もない。
まだ俺の家ではないのだから当たり前なのだが、「まだ」という言葉が自然に頭へ浮かんだこと自体がかなり危険な気がする。
《休養を目的とする場合、当該住居に留まることも合理的な選択肢です》
(お前まで俺を紐にしようとするな)
《そのような提案は行っておりません》
これ以上ここにいたら、本当に住み着きそうだ。
俺は逃げるようにミレイユの部屋を後にしたのだった。
◇
2日ぶりに宿へ戻ると、自分が金を払って借りている部屋がある場所なのに妙に久しぶりな気がした。
扉を開けると受付にいた女将がすぐに俺へ気づいたのだが、挨拶を返すより先に俺の顔をじっと見たあと、何かを察したように口元をニヤニヤと緩ませた。
「なんだよ、その顔」
「いやねえ。部屋代はちゃんともらってるから、何日空けようが文句はないんだけどさ。2日も帰ってこないで朝帰りとは、若いねえ」
「普通に帰ってきただけだろ」
「今が朝なんだから朝帰りだよ。それとも、あの赤い髪の可愛い娘のところに泊まってたんじゃないのかい?」
「……なんで知ってんだよ」
女将は答える代わりに楽しそうに笑った。
この女将が一体どこまで把握しているのかは知らないが、ミレイユが倒れて俺の部屋で寝ていたことも、その後に俺が刺されて帰ってきたことも知っている。
その女と一緒に風呂へ入ったところまで気づかれている可能性を考えれば、そこから2日も帰らなければ大体の事情は察するのだろう。
「……もういっそ、あいつの部屋に転がり込もうかな」
「いいんじゃないかい。あんた、あの娘のところにいた方がちゃんとしたもの食べられそうだし、怪我の面倒まで見てもらえるだろ」
「普通、宿屋としては止めるところじゃないのか?」
「長く泊まってくれるならありがたいけど、女のところに転がり込もうとしてる男を引き止めるほど野暮じゃないよ」
「…………」
本当に転がり込んでもいいんじゃないか?
家賃を半分出せば紐ではないし、飯代も出す。
そうすれば単なる同居で、付き合っている男女なら同棲というやつだ。
しかもこの国では複数の恋人や妻を持つこと自体が普通で、ミレイユ本人も将来的に他の女ができる可能性を最初から受け入れている。
考えれば考えるほど、俺にとってのデメリットが見つからない。
《簡易解析を実行しますか?》
(しなくていい)
危うく人生設計までHELP機能に相談するところだった。
「まあ、その話はいいや。部屋に戻って少し寝る」
「ああ、ちょっと待ちな。あんたに会いに来た子がいるよ」
階段へ向かおうとした俺を女将が呼び止め、食堂の方を指した。
話を聞くと、その客は昨日の朝から俺を待っていたらしい。
さすがに一晩中食堂にいたわけではなく、夜になって一度帰ったものの、今日も女将が起きてくるより早い時間に宿へ来て、また俺を待っているという。
「……つまり、その子は昨日の朝から俺を待ってて、一度帰って今日の朝また来たってこと?」
「そういうことだね。探偵さんに話があるって言ってたから、たぶん仕事の相談じゃないのかい?」
「…………」
俺がミレイユの部屋で丸一日イチャイチャしていた間、依頼人がここで俺を待っていたということになる。
しかも翌日も来た。
これは、ほんの少し……いやかなり申し訳ない。
「……食堂?」
「ああ。ずっと待ってるんだから、ちゃんと話を聞いてやりな」
◇
朝の食事時を過ぎた食堂は客もまばらで、その隅の席に1人の少女が背筋を伸ばして座っていた。
年齢は高校生くらいだろうか。
この世界に高校という区分があるわけではないが、少なくともミレイユよりは明らかに幼く、きちんと整えられた制服のような服を着ていた。
肩より少し長い髪も綺麗に整えられており、膝の上には小さな鞄を置いて背筋を伸ばして座っている。
俺が食堂へ入ると少女はすぐに顔を上げ、そのまま勢いよく立ち上がった。
「レイジさん……ですか? 昨日から何度か伺っていたんですけど、お会いできてよかったです」
「そうだけど。昨日から待ってたんだって? 悪かったな、ちょっと留守にしてたんだ」
「いえ、私が勝手に来ただけですから大丈夫です。お仕事で留守にされていたんですよね?」
「…………まあ、そんなところだ」
嘘ではない。ただ、仕事ではなかっただけだ。
わざわざ初対面の少女に、女の部屋で2泊していたと説明する必要もないだろう。
「とりあえず座って。俺に何か依頼があるのか?」
「はい。あの、私はセシリア・アーデルハイトと申します。リディア様のお屋敷で働いているエマ・ハーウェイという子と同じ学校に通っていて、クラスも一緒なんです。そのエマから、レイジさんなら探しものを見つけてくれるかもしれないと聞いて……」
「エマ……ああ、リディアのところの侍女か」
名前を聞いて、以前リディアの話の中で出た名前を思い出す。
直接話したことは無いが、俺がセドリックを探した件を知っているなら、そこから話が伝わったのだろう。
リディア本人ではなく、その侍女から新しい依頼人が来る。
少しずつではあるが、探偵として名前が広がり始めているらしい。
「それでセシリアは何か探したいものがあると?」
「はい。絶対に見つけたい大切な物なんです。ただ、学校の中でなくしたみたいで、私だけではどうしても見つけられなくて……」
かなり困っているようだった。
なくしもの探しなら、肩に怪我をしている今の俺でもできる。
暴漢と殴り合う必要もなければ、毒の解毒剤を探して王都中を走り回る必要もない。
つまり今の俺にはちょうどいい仕事かもしれない。
「なくした場所は分かっているのか?」
「最後に見たのは女子寮にある自分の部屋なのですが、何度探しても見つからなくて、もしかしたら廊下や共同の洗面所とか、別の場所で落としたのかもしれません」
「女子寮か……ちなみに俺は男だけど、入って大丈夫なの?」
「先生には私から事情を説明します。ですから、一度来ていただけませんか?」
少し引っかかったが、学校側が許可するなら俺が気にすることでもない。
「分かった。詳しい話は現場を見ながら聞こうか。料金も仕事の内容が分かってからでいい」
「あ、ありがとうございます!」
セシリアの顔が一気に明るくなる。
こうして俺は、2日間待たせていた依頼人と一緒に学校へ向かうことになった。




