13-休日②~これは調査じゃない。ただの買い物だ
南西の古い職人街に近づくにつれ、少しずつ街の雰囲気が変わってきた。
中央から離れたことで道が狭くなった――というだけではない。
建物そのものが古い。
石造りの1階に木造の2階を継ぎ足したような家が多く、通りに面した大きな扉を開けば、そのまま工房として使えそうな造りになっている。
実際、今でも現役らしい工房はいくつもあった。
金属を叩く音が響いている鍛冶屋に、木工所なのかノコギリで木を切る音もする。
何に使うのか分からない巨大な革を軒先に吊るした店もある。
「……なんの革だあれ……でっか」
だが、一方で明らかに人が住んでいない建物も目立つ。
「確かに空き家多いな」
「昔はもっと人がいたらしいっすけど、最近は中央寄りに店出す奴も多いんすよ」
「そっちの方は家賃高いんじゃないのか?」
「そりゃ高いっすけど、客が多いですからね。腕のいい奴はそっち行って、金のない奴とか昔から住んでる奴が残ってる感じじゃないっすか」
「お前、妙に詳しいな」
「俺は顔が広いんですよ!」
「で、お前の仕事は?」
「…………」
「無職か?」
「い、い、色々やってますよ!」
やっぱり無職らしい。
だが、街の案内役としては意外と優秀だった。
どの通りに何があるのかも知っているし、すれ違う人間からも頻繁に声をかけられる。
『なんだ、また何かやったのか、ガルド』
『今日は婆さんにまで手を出してんのか』
『お前、今度こそ衛兵に捕まったんじゃなかったのか』
とはいえ、ろくな声のかけられ方ではなかったが、その辺の人から声がかかると言うことを考えると、やはり根っからの悪人ではないようだ。
「お前、妙に人気者だな」
「兄貴、俺のこと馬鹿にしてます?」
「してる」
「ぐっ……兄貴、当たり強くないっすか?」
「先月、俺から小銭を巻き上げようとした奴に優しくする理由ある?」
「まだ根に持ってんすか!?」
「お前がさっき仕返しするって絡んできたんだろ」
「……それとこれとは別っすよ」
何が別なんだ。
「ほっほっほ。仲がええのう」
俺の右腕に掴まったまま、マーサが楽しそうに笑った。
「どこがだよ」
「そう照れんでもええ。男同士の友情というやつじゃろ」
「違うっすよ婆さん! 俺と兄貴はいつか決着を――」
「兄貴って呼んでる時点で無理あるだろ」
「これは、その……あれっすよ!」
「何?」
「油断させる作戦っす!」
「説明したら作戦じゃなくなるだろ」
「…………」
やはりアホだ。
そんなやり取りをしながら、さらに奥へ進んでいく。
俺としては散歩のついでだったが、この辺りは確かに事務所を構える場所として悪くない気がする。
中心部ほど人通りは多くなく、それでも寂れているというほどではないし、食堂や酒場、日用品を扱う店もある。
何より、工房と住居が一体になった建物が多い。
1階を探偵の仕事場にして2階で暮らす、という俺の希望にはかなり合っている。
家賃次第では、本気で探してもいいかもしれない。
「…………」
そう思いながら周囲を見ていると、細い路地の奥に男が2人立っているのが見えた。
片方は壁にもたれ、もう片方は通りを眺めている。
別にそれだけなら珍しくもないが、俺たちが通り過ぎる瞬間、壁際の男が小さな包みをもう1人の男へ渡したのが見えた。
代わりに硬貨らしきものが手渡される。
「…………」
足は止めなかった。
「ガルド」
「へい」
「右の路地」
「見ない方がいいっすよ」
「やっぱり?」
「たぶん、さっき話した連中っす」
ガルドも気づいていたらしい。
「薬か?」
「たぶん。俺も実際に売ってるとこ見たの初めてですけど」
俺たちは振り返らずに歩き続け、男たちも俺たちを気にしている様子もなかった。
俺は探偵業をやろうとしてるところだが、今日は仕事ではなく安静にするために散歩をしているだけだ。
誰かから調べてくれと頼まれたわけでもないし、薬を売っている連中が本当に犯罪者なのかも分からない。
そもそも違法なのかすら分からない。
「……なあ、ガルド」
「なんすか?」
「この国って、変な薬売ったら犯罪なの?」
「いや俺に聞かれても……」
「使えねえな」
「兄貴、俺をなんだと思ってんすか!」
「無職の情報屋」
「せめて情報屋だけにしてくださいよ!」
少なくとも専門家ではないらしい。
「レイジよ」
「ん?」
「薬のことなら、わしに聞けばよかろう」
右腕に掴まっているマーサを見下ろすと、目をすっと細めた。目尻のシワが今まで歩んできたであろう人生が刻まれているように見えた。
「詳しいのか?」
「これでも薬師じゃからの」
「婆さん、薬師だったのか」
「言っとらんかったか?」
「聞いてない」
「はて……そうじゃったかのう」
90を越えているらしいから、本当に忘れている可能性もあるし、ボケてそう思い込んでいるかもしれん。
「じゃあ、さっきの怪しげな薬が出回っているという話は知ってるのか?」
「さてのう……物を見てたことがないからなんともなぁ。薬などというものは、毒にもなれば薬にもなる。どんなに効く薬でも使い方を間違えれば毒じゃし、毒と呼ばれるものでも使いようによっては薬になるからの」
◇
マーサの家は、それから歩いて10分ほどのところにあった。
「ここじゃよ」
「……思ったよりちゃんとしてるな」
「どういう意味じゃ?」
「もっとボロい家想像してた」
「年寄りはボロ屋に住んどるものと決めつけるでないわ」
そこは通りの端にある2階建ての小さな家だった。
古いのは間違いないが、きちんと手入れされているように見える。
1階部分には大きな窓があり、その横には木製の看板がぶら下がっていた。
これぐらいの文字は読めるようになっている。
『マーサ薬店』
「本当に薬師だったんだな」
「わしを何じゃと思っとったんじゃ」
「若い男が好きな婆さん」
「間違っとらんのう」
「そこは認めるのかよ」
店の窓から中を覗くと、壁一面に小さな棚が並んでいる。
乾燥させた植物や瓶に詰められた粉。
見たことのない毒薬にしか見えないような瓶詰めの液体。
天井から吊るされた葉や花もあった。
薬屋というより、俺の感覚では魔女の家に近い。
「なぁ、ガルド」
「なんすか?」
「この店知ってた?」
「いや、知らなかったっす。俺、薬なんて買わないんで」
そんな俺たちのやり取りをよそに、マーサが扉の鍵を開ける。
「送ってくれてありがとの。茶くらい飲んでいくか?」
「いや、いいよ。散歩の途中だし」
「そうか。残念じゃのう。せっかく若い男を家へ連れ込めたというのに」
「その言い方やめろ」
「ほっほっほ」
やっぱり元気な婆さんだなと思いながら、俺たちはマーサが奥に入って行くのを見送り、店を出たのだった。
◇
「で、兄貴。どうするんすか?」
「何が?」
「薬、気にしてたみたいっすけど、買うんですか?」
「気にはなってるけど、今の俺には関係ないだろ」
「…………」
「何だよ」
「兄貴って、思ってたより真面目なんすね」
「蹴るぞ」
「なんで!?」
隣をついてくるガルドと2人で来た道を戻る。
マーサの家まで送った以上、俺がここにいる理由はもうない。
あとは宿へ戻って、本当の意味で安静にしていればいい。
肩もいい加減痛んできたし、追加の痛み止めを飲みたい。
それからゆっくりと寝よう。
そう思いながら歩いていたときだった。
「兄さんたち」
突然背後から声をかけられ、俺とガルドが同時に振り向いた。
そこには30前後の男が1人立っていた。
特徴らしい特徴のない格好だが、妙にこちらを値踏みするような視線を向けてきた。
「何?」
「さっき、この辺をうろついてただろ」
「道案内してただ散歩してるだけだ」
「へえ」
男が俺を見て次にガルドを見る。
「兄さんら、疲れてないか?」
「…………」
ガルドと目が合った。
分かりやすすぎる。
「まあ、疲れてるけど」
「だったら、いいもんがある」
男が声を落としながら、一歩近づいてきた。
「身体が軽くなる。眠気も疲れもなくなって、気分も良くなる薬だ」
何も言っていないのに向こうから来た。
「興味ねぇか?」
「確かに最近疲れが抜けないんだ、興味はある」
「兄貴!?」
ガルドが素っ頓狂な声を上げた。
「お前、俺のこと兄貴って呼ぶのやめてくれない?」
「今そこっすか!?」
男がガルドを警戒するそぶりを見せるが、俺は適当に笑っておいた。
「こいつのことは気にしなくていいよ。ちょっと頭悪いだけだから」
「兄貴⁉︎」
「うるさい。素晴らしい薬が買えなくなるだろ」
「買う気なんすか!?」
ガルドが本気で驚いているが俺は無視する。
「で、それってどんな薬?」
「ここじゃちょっとな。興味あるなら来いよ」
男が路地の奥を指した。
怪しい……あまりにも怪しい。
日本なら絶対についていかないが、俺のすぐ横には、この辺りに詳しいガルドがいるし、俺にはHELP機能まである。
俺は黙って男の後ろについて路地へ入ることにした。
◇
表通りから2本ほど奥へ入ったところで、さらに細い道へ曲がった。
ガルドが俺のすぐ後ろまで近づいてくる。
「兄貴、これ普通にヤバくないっすか?」
「お前がそれ言う?」
「俺、こういうのはやらねえっすよ」
「へえ」
「なんすかその意外そうな顔!」
「チンピラにも守備範囲あるんだなと思って」
「ありますよ! 俺を何だと思ってんすか!」
少なくともガルドは、この薬には関わっていないらしい。
やがて男が古い建物の前で止まった。
元は工房だったのだろうか、表の大きな扉は閉じられており、横にある小さな扉だけが開いていた。
「入れ」
「ここか?」
「ああ」
中へ入ると、かなり薄暗かった。
窓は板で塞がれ、室内には小さな机と椅子が置かれているだけ。
奥にはもう1人、体格のいい男がいたのを見た時点で、ガルドが俺の服を引っ張った。
「兄貴……俺、外で待ってちゃダメっすか?」
「ダメ」
「なんで!?」
案内してきた男もガルドのことは気にしないことにしたらしく、黙って机の上に小さな紙包みを置いた。
「これだ」
みれば包の中には白っぽい粉が入っていた。
「ふーん……これどうやって飲めば?」
「水か酒に混ぜて飲む。一包で一晩は疲れ知らずだ。仕事するにも遊ぶにも最高だぞ」
「ちなみに副作用は?」
男の表情が少し変わったのがわかった。
「そんなもん気にしてどうすんだ。薬なんて多少は身体に負担があるもんだろ」
「ふーん」
「いま試してみるか?」
「いや、家に帰って痛み止めを飲むついでに飲む」
俺はそう言って肩口に巻かれた包帯をチラリと見せる。
「…………」
「で、いくら?」
「銀貨3枚」
「えー……高くない?」
「それだけ効くってことだ」
男がにやりと笑うが、そもそも俺は薬の相場は知らなかった。
「じゃあ2包くれ」
そう言って皮袋から銀貨を取り出しカウンターの上に出すと、男は何も言わずもう1つ紙包みを出してきた。
俺はそれを受け取って懐へ入れる。
「気に入ったらまた来い。もっと効くやつもある」
「もっと?」
「ああ。これは一番軽いやつだ」
「へえ」
面白いことを言う。
「追加で欲しい時はここに来れば良いのか?」
「いや、この辺を歩いてりゃ、こっちから声をかける。欲しいときは右手首に赤い布を巻いとけ」
「分かった」
これ以上聞けば警戒されるだろうし、俺は素直に帰ることにした。
◇
表通りまで戻ってから、ガルドが大きく息を吐く。
「それでその薬、飲むんすか?」
「飲むわけないだろ」
「じゃあなんで?」
「1つしかなかったら調べるとき全部使っちゃうかもしれないだろ。予備だ予備」
「やっぱ首を突っ込む気満々じゃねえっすか!」
「声でかいって」
ガルドの頭を右手で軽く叩く。
しかし、これは少し面白くなってきた。
疲れが消え、気分が良くなる。
しかもこれは一番軽い薬でさらに強いものもあるらしい。まともな薬なら、あんな売り方をする必要がない。
(なぁ)
《はい》
(今手に入れた薬を成分解析できる?)
《可能です》
やっぱりできるのか。
(いくら掛かる?)
《詳細な成分解析、効能、副作用および人体への影響を含む場合、必要となる生命時間は――》
(いや、やめる)
《まだ金額を提示しておりません》
(聞く前にやめる)
《承知しました》
危ない……昨日薬関係で寿命を10年以上持っていかれたばかりだ。
こんな得体の知れない粉に、何日だ何ヶ月だと払っていられない。
だが……。
「…………」
俺は来た道を振り返った。
「兄貴?」
「ガルド」
「へい」
「マーサの家、戻るぞ」
「……なんで?」
「薬師なんだろ」
「なるほど! 婆さんに見てもらうんすね! さすが兄貴!」
「声でかいって言ってんだろ」
◇
マーサの店へ戻ると、扉の横に『営業中』らしき札が出ていた。
さっき帰ってきたばかりなのに、もう仕事を始めたらしい。
「婆さん」
「いらっしゃ――」
店の奥からマーサが顔を出し俺を見るなり、皺だらけの顔が嬉しそうに緩む。
「なんじゃレイジ。もうわしが恋しくなったのか?」
「違う」
「まだ半刻も経っとらんぞ。若い男にこれほど求められるとは、わしもまだまだ捨てたもんではないのう」
「話聞け」
「ほっほっほ。それで、どうした?」
俺は店の中へ入り、紙包みを1つ取り出した。
「これ、どう言う薬なのか調べられるか?」
マーサの目が紙包みに落ちる。
「さっきガルドが言ってた連中から買った」
「わしを送ったその足で、薬を買いに行ったのか?」
「違う。帰ろうとしたら向こうから声かけてきた」
「それで?」
「ついてった」
「ほっほっほっ!」
マーサが腹を抱えて笑い始めた。
「何がおかしいんだよ」
「いやいや。おぬし、面白い男じゃのう。探偵というのは皆そうなのか?」
「俺は極めて普通だよ」
「普通の男は、怪しい薬売りに声をかけられてそのままついて行かんわい」
「兄貴、俺もそう思います」
「お前は黙ってろ」
マーサはしばらく笑っていたが、やがて紙包みへ手を伸ばした。
「見せてみい」
俺が渡した薬の包みをマーサがゆっくりと開くと、中に入っていた白っぽい粉を指先に少しだけ取り、目の前へ持ち上げた。
匂いを嗅ぎ、指で擦ると、店の奥にある小さな机へ向かった。
「どれくらいかかる?」
「急かすでない。わしは90を越えた婆じゃぞ」
そう言いながら、マーサの手は妙に手際がいい。
棚からいくつか瓶を取り出し、粉をほんの少しずつ小皿へ分ける。
液体を一滴入れ、別の皿にも同じように別の液体を一滴入れた。
片方は何も変わらないが、もう片方はわずかに色が変わった。
「…………」
マーサの笑顔がほんの一瞬消えた気がした。
「婆さん?」
「……レイジ、これを売っとった男は、どこにおった?」
「ここからそんなに離れてない。ガルドなら場所分かる」
「へい。道は覚えてます」
「そうか」
マーサがもう一度、粉を見る。
「結局それはなんなんだ?」
「まだ分からんのぅ」
「今、明らかに何か分かった顔しただろ」
「ほっほ。探偵というのは嫌なところを見とるのう」
マーサは笑ったものの、今度はすぐに真顔へ戻った。
「少し時間をくれんか。きちんと調べてみよう」
「どれくらい?」
「そうじゃのう……夕方までには分かるじゃろう。少なくとも、ただ疲れを取るだけの薬ではなさそうじゃ」
「やっぱり危ないものか?」
「それを今から調べるんじゃよ」
そしてそれ以上は答えてくれなかった。
ただ、紙包みを扱うマーサの手つきは、さっきまでより明らかに慎重になっている。
「分かった。じゃあ夕方にまた来る」
「うむ」
「料金は?」
「いらんよ」
「いや、仕事だろ」
「わしを助けてくれた礼じゃ。それに――」
マーサが白い粉へ視線を落とす。
「少々、わしも気になったのでな」
「じゃあ頼む……あ、婆さん」
「なんじゃ?」
「それ、舐めたり飲んだりするなよ」
「……おぬし、わしを何年薬師やっとると思っとるんじゃ」
「知らないから言ってんだよ」
「ほっほっほ。心配してくれるのか。やはりわしに惚れたか?」
「帰るぞ、ガルド」
「へい!」
「照れ屋じゃのう」
背後から楽しそうな声が聞こえてくるのを聞き、店を出た。
外はまだ昼過ぎで、本来なら今頃は適当に飯でも食って、宿へ帰って昼寝をしていたはずだった。
だが今日は俺の懐に、怪しい薬がもう1包ある。
薬師の婆さんはその薬を調べているし、売人の顔と場所も分かっている。
「…………」
「兄貴」
「何?」
「仕事っすか?」
「依頼人なんぞ居ないし報酬もない仕事はしない」
「まあ……そうっすけど」
今日は休日だ。
たまたま婆さんを助けて。
たまたま怪しい薬の噂を聞いて。
たまたま売人に声をかけられて。
たまたま潜り込んで薬を買って。
たまたま知り合った薬師に解析を頼んだ。
それだけだ。
俺は肩の痛みを堪えながら、ガルドと一緒に宿への道を歩き始めた。
とりあえず夕方までは――大人しくしていよう。
◇
宿へ戻った俺は、今度こそ安静にした。
昼飯を食い、部屋へ戻り、ベッドに横になる。
完璧だ。これこそが安静というものだろう。
《本日の外出時間および運動量を考慮した場合――》
(今は安静にしてるだろ)
《はい》
(じゃあいいだろ)
《過去の行動が消失するわけではありません》
(お前、レベル上がってから本当にうるさくなったな)
《利用者への支援機能に変更はありません》
絶対嘘だ。
横になったまま左肩を見るが、幸い傷が開いた様子はない。
少し痛みが強くなった気はするが、これはさっき暴漢を蹴ったせいだろう。
安静にするため散歩へ出たら暴漢を2人倒すことになった。
意味が分からない。
「…………」
ベッドへ寝転び目を閉じると、なぜかミレイユの顔が浮かんだ。
昨夜の。
「…………」
寝よう……今度こそ寝よう。
◇
目を覚ましたときには、窓から入る光が少し赤くなっていた。
「……何時だ?」
《現在時刻を現地時刻基準でお伝えする場合――》
「やっぱいい」
そうだ、これすら金取るんだった。
窓の外を見れば少なくとも夕方であることはわかる。
「痛って……」
やっぱり今日は大人しくしておくべきだったな。
まあ、もう遅いけど。
顔を洗って宿を出て、向かうのは南西の古い職人街。
マーサとの約束がある。預けた物を取りに行くだけだ。
それを仕事と呼ぶなら、世の中の買い物は全部仕事になってしまう。
《簡易解析を――》
(いらない)
《承知しました》
最近、先回りして断れるようになってきた。
◇
「おや」
マーサ薬店の扉を開けると、店の奥からしわがれた声がした。
「来たか、色男」
「誰が色男だ」
「他に誰がおる」
「客に言ってんのかと思った」
「今はおぬししかおらんよ」
店内を見れば、確かに客はいない。
マーサは昼間と同じ服のまま、店の奥にある作業台の前へ座っていた。
「ガルドは一緒ではないのか?」
「知らん。宿までついてきたけど、飯奢れとか言い出したから追い払った」
「ほっほ。仲がええのう」
「どこが」
「若い頃というのは、ああいう悪友が1人くらいおった方が楽しいもんじゃ」
「俺、あいつより年上だと思うけど」
「わしから見ればどちらも若造じゃよ」
「そりゃそうか」
90を越えているなら、俺たちの数歳程度の差なんて誤差なんだろう。
「それで?」
俺は作業台へ近づいた。
「まあ、だいたいはわかったの」
マーサの前には、昼間渡した紙包みが置かれていた。
中身は半分ほどに減っている。
「結論から言えば、あの男に聞いたことはあながち嘘ではない」
「本当に疲れが取れるってことか?」
「いや」
マーサが首を振った。
「疲れを感じにくくなるんじゃ」
「……同じじゃないの?」
「まるで違うわい」
マーサが杖の先で俺の左肩を軽く指した。
「例えばおぬしのその傷。痛みを感じなくする薬を飲んだとして、傷が治ったことになるか?」
「ならないな」
「そういうことじゃ。あの薬は身体を元気にするものではない。身体が上げておる悲鳴を聞こえにくくして、そのうえ気分まで高揚させる」
「じゃあ、飲んだ本人は元気になったと錯覚するのか」
「そうじゃの。眠気も薄れ、身体も軽く感じるじゃろう。気分も良くなる。いつも以上に働けるようになったと思う者もおるじゃろうな」
嫌な薬だな。
「薬が切れたら?」
「使った分の疲れが消えてなくなるわけではないからの。むしろ無理をした分までまとめて返ってくるじゃろう」
「で、副作用は?」
「量にもよるが、頭痛、吐き気、手足の震え、動悸……その辺りかの。使い続ければもっと悪くなるじゃろうな」
「最後は死ぬのか?」
「飲み方次第ではの」
さらっと恐ろしいことを言うが、俺の知っているあの世界の麻薬と呼ばれているものも大体行き着くところは同じだなとしみじみ考える。
「で、当然依存性は?」
「ある」
今度は即答だった。
「一度や二度でどうこうというものではないが、使い続ければ欲しくなるじゃろう。効き目にも慣れてくる。そうなれば量を増やす者も出てくるじゃろうな」
「なるほどね……」
完全にアウトじゃないか。
「ちなみに興味本位で聞きたいんだが、この国じゃ、こういう薬って違法なのか?」
「さて、そこはわしの専門ではないのう。材料そのものは禁止されておらんはずじゃが、売り方や配合については衛兵なり役人なりに聞いた方が早かろう」
「ん……? 材料は普通なのか?」
「そこなんじゃがの」
マーサの手が止まった。
「…………」
昼間にも見たあの顔をする。
いつも笑っている婆さんから、ほんの一瞬だけ笑みが消えるのだ。
「妙なんじゃよ、この薬」
「妙……というのは」
「使われとるもの自体は、それほど珍しいものではない。薬師なら知っておるような材料ばかりじゃ。配合もおおよそは分かった」
「だったら誰でも作れる……と?」
「同じ材料を同じように混ぜるだけならな」
「それで同じ薬が出来上がるのか?」
「……それは無理じゃろうな」
「なんで?」
マーサが白い粉を指先に少しだけ取った。
「この材料と、この配合では、ここまで強い効き目は出ん」
「…………」
「効き目を強くする別の薬草でも混ぜておるのかと思うたが、わしが調べた限りでは見当たらんかった」
マーサがいつものように、ほっほ、と笑う。
「もっと腕のいい薬師に見せれば分かるかもしれんが、少なくともわしには分からん」
「…………」
本当か?
さっきの一瞬の表情が気になったが、とはいえ、俺に薬の知識はない。
マーサが分からないと言うなら、それ以上聞いたところで仕方ないだろう。
(おい)
《はい》
(この薬の効果が材料と配合から想定される範囲を超えている原因を)
《回答料金の算出には、現物の詳細解析を含む可能性があります。算出を実行しますか?》
(……いや、やめとく)
《承知しました》
危ない。好奇心で寿命を使うところだった。
俺は昨日、それで10年以上持っていかれたばかりだ。
「レイジ」
「ん?」
「これにはもう関わらん方がええ」
マーサの声はいつもと違い真剣そのものだった。
昼間の若い男がどうのこうのと笑っていた婆さんの声じゃない。
「そんな危ないのか?」
「わしが若ければ、自分で調べに行ったかもしれんがのう」
「80年くらい若ければか?」
「それくらいじゃな」
「ほぼ別人じゃん」
「ほっほっほ」
一度笑ってから、マーサは俺を見る。
「じゃが、今のわしは90を越えた婆じゃ。面倒事に首を突っ込める歳ではない」
「俺に言ってるのか?」
「さてのう」
「…………」
「ただの年寄りの忠告じゃよ。あの薬を売っとる連中には、近づかん方がええ」
「ふむ……ちなみにその理由は?」
「分からんからじゃ」
マーサはあっさり答えた。
「材料はわかる。じゃが、それをどうやって調薬するとこうなるのかが分からん。どこから持ってきたのかも分からんし、そんなものを人に飲ませて金を取っておる連中じゃぞ」
「まあ、少なくともまともではないな」
「それにの」
「まだある?」
「こういうものを売る商売は、売っとる若造を何人か捕まえたところで終わらんことが多い」
「……なるほど」
売っている奴と、作っている奴が同じとは限らない。
仕入れているだけかもしれず、さらにその上がいる可能性もある。
そこまで考えて。
「ほっとくか」
「ほっほ。ようやく年寄りの忠告を聞く気になったか」
「最初から聞いてるよ」
「ならば忘れて帰れ。おぬし、怪我人なんじゃろ?」
「そうだった」
忘れてた……いや、痛いから忘れてはいない。
「よし、この件には近づかない」
「うむ」
「ただ、衛兵には言っとくぞ」
マーサが俺を見る。
「……それがよかろう」
「俺が積極的に首を突っ込む理由は無いしな。こういうのは給料もらってる奴にやらせればいい」
「兄ちゃん、若いわりには賢いのう」
「もっと褒めていいぞ」
「顔はわしの好みじゃ」
「そっちじゃねえよ……で、この残った薬はどうする?」
「わしが預かっておこうかの」
「もう1包持ってるけど」
「なら、それも置いていけ」
「なんで?」
「おぬし、持っておったらまた余計なことをするじゃろ」
「信用ないな」
「何しろさっき会ったばかりじゃからの」
「それもそうか」
俺は懐からもう1包取り出して、作業台に置いた。
「調査料は?」
「いらんと言うたじゃろ。助けてもろうた礼じゃ」
「じゃあ遠慮なく」
そう言って俺が店を出ようとしたところで。
「レイジ」
「何?」
「また来るとええ」
振り返る。
「用がなくてもか?」
「もちろんじゃ。茶くらい出してやるぞ」
「美味いヤツか?」
「普通じゃ」
「じゃあいいや」
「つれん男じゃのう」
「冗談だよ。近く来たら寄る」
「ほっほ。待っとるぞ」
そう言って俺はマーサに手を振って店を出た。
◇
そのまま宿へ戻ってもよかったが、少しだけ寄り道をした。
街中にいくつか存在する衛兵の詰所だ。
「――という薬を売ってる奴がいた」
俺は昼間の出来事をそのまま話した。
右手首に赤い布を巻けば、向こうから声をかけてくると言われたことまで。
薬師に調べてもらったところ、疲労を感じにくくし、気分を高揚させる効果と依存性があるらしいこと。
「お前、それを買ったのか?」
対応した衛兵がなぜか呆れた顔をしており、隣で記録をとっているもう1人も同じような残念そうな視線を向けてきた。
「買わないと何なのか分からないだろ」
「普通は買わずに通報するだろ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだ」
「なるほど、勉強になったよ」
「……お前、まさか飲んでないだろうな?」
「飲むわけないだろ」
「ならいい」
衛兵が大きなため息をついた。
「この情報は預かる。最近あの辺りで揉め事が増えているという話はこちらにも来ているからな」
「やっぱり?」
「ああ。ただ、それが薬と関係しているかはまだ分からん」
「じゃあ後は任せた」
「あっ、ちょっと待て」
「なんだ?」
「お前はもう近づくなよ?」
「突然だ。そもそも近づく理由もない」
「なら良いが……とにかく、こちらで確認する。何かあれば衛兵に任せろ」
「はいはい」
これでこの件は終わり。
あとは衛兵の仕事で、今の俺には関係ない。
「兄貴!」
「…………」
詰所を出たところで聞き覚えのある声がしたが、俺は取り合わずに無視して歩き始める。
「兄貴! ちょっ、待ってくださいよ!」
そう言いつつ、走って追いついてきたガルドが横へ並んだ。
「なんでここにいるんだ? 捕まったのか?」
「なんでって、兄貴が宿から出てくの見えたからですよ」
「怖いんだけど」
「違いますって! たまたまっすよ!」
「それで?」
「どこ行ってたんすか?」
「衛兵のとこ」
「……兄貴、まさか俺のこと売ったんすか!?」
「なんでお前を通報するんだよ」
「いや、俺も色々ありますから」
「……よし、戻ろう」
「勘弁してくださいよ!」
「やっぱ犯罪者じゃん」
「違いますよ! ちょっとした若気の至りですって!」
「今も若いだろ」
「細かいことはいいんすよ! で、何を言いに行ったんすか?」
「薬の件だ。マーサに調べてもらったら、やっぱりあんまり良くない薬だった。だから場所と売ってた奴の特徴を伝えてきた」
「…………」
ガルドが妙な顔をしている。
「兄貴って、普通に衛兵に通報するんすね……俺はてっきり自分で潰しに行くのかと」
「何で俺が犯罪組織と戦わなきゃいけないんだよ」
「だって兄貴、怪しい奴についてって薬買ってましたよね?」
「あれはただの買い物だ」
「潜入調査って言うんすよ、ああいうのは」
「誰からも依頼されてないから調査じゃない。散歩中の買い物だ」
「怪しい薬を買う散歩がどこにあるんすか!」
「とにかく、もうこの話は終わり。あとは衛兵がやるだろ」
「兄貴は?」
「帰って寝る」
「本当ですか?」
「帰るよ。俺は今日、一日安静にする予定だったんだから」
「……兄貴、朝から喧嘩してましたよね……しかももう夕方っすよ」
「………一方的にやっただけだから喧嘩じゃないな」
空を見ると日がかなり傾いていた。相変わらず傷がズキズキと痛む。
「……今からでも遅くない」
「何がっすか?」
「安静にする」
「もう無理じゃないっすか?」
「うるさい」
◇
宿へ戻った頃には、すっかり肩の痛みが戻っていた。
「……痛え」
部屋へ戻り、ベッドに倒れ込むみ、安静にした一日のことを思い返す。
「…………ゆっくりできた……かな」
《簡易解析を実行しますか?》
(しなくていい)
《質問内容は「本日の行動が休日として適切であったか」でしょうか》
(違う)
《では「安静に過ごせたか」でしょうか》
(違う)
《承知しました》
「……絶対分かってて言ってるだろ」
《ご質問の意図が不明確です》
「はいはい」
寝返りを打とうとして肩が痛み、やめた。
まあいい……妙な薬のことは衛兵に伝えた。
マーサにも近づくなと言われたし、この件はもう俺には関係ない。
明日はミレイユの部屋で飯を食って、傷が治ったら本格的に仕事をする。
それから金が貯まったら、今日見た南西の古い職人街で事務所に使えそうな物件でも探してみる。
薬のことなんて、その頃には忘れているだろう。
そう思って俺は目を閉じた。
――このときは、本当にそのつもりだった。




