パーティーを楽しむ
「ジェーン様!」
ワインレッド色のドレスに身を包んだアリスが、ジェーンを呼んだ。
夜空に浮かぶ空をそのまま形にしたような長く艶やかな黒髪をなびかせたアリス。下着に使われるリネンを厚手にした生地は、彼女が歩を進めるたび、気品ある妖艶な雰囲気を醸し出していた。高く結い上げられた髪は滑らかなうなじを強調し、周囲の令息たちは息をのむ。
そんな姿を目にしたジェーンは思わず胸を張った。
アリスのドレスを考案しただけでなく、生地選びや映える髪型を模索したのは他にもないジェーンだからである。
いい仕事をしたでしょうと、アリスの近くにいるだろうシグルドを探せば、狙い通りアリスに見惚れるシグルドの姿があった。
「チーズケーキですか?美味しそう」
「チーズが濃厚でとてもおいしかったですよ。ちなみにフルーツタルトも美味でした」
「フルーツタルトもあるのですね。私も取りに行ってこようかしら」
「はい、是非……と言いたいところですが、これからダンスの時間になりますので、ケーキはダンスの後にしてはいかがですか?」
ジェーンがアリスと談笑している時だった。
アリスの体が僅かに揺れる。振り向けばぶどうジュースを持った令嬢がアリスにぶつかり、グラスの中が空になるほどぶちまけてしまった様子がわかる。
その令嬢は気弱な雰囲気で、アリスにいい感情を覚えていなかったセリアの取り巻きではないことはわかったが、如何せんジェーンはクラスメイト達との交流を持ってこなかったため、それが誰なのかわからなかった。それはアリスも同様だ。
だがアリスは慌てることはなく、ぶつかってしまった令嬢に対して「大丈夫ですか?」と声を掛けている。
「あ……も、申し訳…ご、ございませんっ!」
令嬢が慌てて頭を下げようとするが、止めたのはアリスだ。「大丈夫ですよ」とまるで女神のような優しい笑みを浮かべ、令嬢の背中をさすっている。
少しだけ落ち着きを取り戻した令嬢はぶちまけたぶどうジュースの行き先を心配した。
ジェーンは床にあまり広がっていないジュースの残骸に、アリスのドレスへとかかってしまったことに気付いた。だが作中で起こった内容と、ドレスを汚すといった行為は嫌がらせとしては常習犯であることから既に対策済み。
厚手のリネンは吸水性が高いため、水気を吸い込むのだ。白や色が薄い生地であれば染み抜きをしなければぶどうジュースの色が残ってしまうが、ドレスの色はワインレッド。庶民派なアリスにはリネンの生地の特性を説明し、ガシガシ洗っても傷みにくいことは最初に伝えているため、ドレスという高額な服が汚れたことにも気にせずにいられているのである。
アリスは令嬢の前で両手を広げ、くるりと回って見せた。
ひらりとドレスの裾が優雅に弧を描き、ぶどうジュースがかけられたことなど忘れるほどに美しい様子を見せつける。
「ほら、ご覧の通りです。令嬢が気にすることはありません」
アリスは歯を見せ悪戯っぽく笑って見せた。
少し色の濃い部分はあるが、最初からそういうデザインであったかのように馴染んでいた。
「本当、に……大丈夫、でしょうか……?」
「ええ、もちろんです。ですから、そんなに悲しいお顔をしないでください」
アリスはそっと令嬢の手を包み込み、安心させるように優しく微笑んだ。周囲で様子を見守っていた貴族たちからは、安堵の溜息と、アリスの慈悲深さを称賛する囁きが聞こえ始める。
ジェーンはその光景を眺めながら、内心で深く胸を撫で下ろしていた。そして会場の空気を一変させるように、オーケストラの音が響き渡る。
スッと横から差し出された手はカイラスのもので、ジェーンは当然のように手をのせるが、何かを思い出すと「ちょっと待ってて」と言って手を離した。
【こういう胸きゅんイベントはやらないとね!】
いまだに令嬢とアリスが話していることでシグルドはダンスに誘うタイミングを失っているのだろう。
ジェーンは意外とヘタレなシグルドの背後に回ると、「さっさと誘ってください」と背中を押した。強く押したつもりはなかったが、気を緩んでいたのか、バランスを崩すシグルドは何とも情けない格好でアリスの元へと現れる。
それが余程恥ずかしかったのか、シグルドに睨まれたジェーンはそそくさとカイラスの元へと戻り、律儀にも待っていたカイラスと共に踊り始めたのだった。
「……殿下?」
「あ……えっと、…私と踊ってはいただけないだろうか?」
シグルドは不思議そうに首を傾げるアリスに手を差しだし、ダンスへと誘った。戸惑うアリスに「ジェーンならば弟君と踊っているよ」と告げる。
今まで散々婚約者に対する態度ではない、もう少し寄り添えと言われていた経験があったからこそ、事前にアリスが考えていることに検討がついたシグルドは、言われる前に話した。
一方アリスは、ついこの間ジェーンとシグルドにあったわだかまりが解けたこと、そして互いに好意を抱いているわけでもなく、寧ろ婚約関係を無くしたいと互いに考えていたことが発覚し、婚約者同士であっても無理に関係を築かせようとしていた己の行為を恥じていた。
だからこそ、恐る恐るといった様子でダンスへと誘うシグルドに思わず笑みがこぼれる。
アリスはふわりと笑い、差し出された手に自分の手を乗せた。
「ええ、喜んで」
会場の中央には、すでに何組もの男女が集まり、音楽に合わせてステップを踏んでいた。アリスもまたシグルドと共にダンスの輪の中に入り込み、ステップを刻む。アップテンポな旋律に合わせ、揺れ動くワインレッドのドレスはジュースを駆けられたことなど微塵も感じさせない程に美しかった。
アリスは自然と笑みを浮かべていた。男爵という爵位を賜り、貴族としての教養を叩きこまれた期間、楽しいと思えたものはあまりない。言葉遣いも表情も、食事にしたってルールに縛られ窮屈を感じていた。
だが上手い人と踊るダンスはこんなに楽しいのかとアリスは思う。間違えてしまっても、シグルドは強引にリードし、アリスに謝罪する隙を与えなかった。まるで、好きに踊っていいとでも言われているようにアリスは感じ、ダンスの技術があり、そして気が合う相手であることが心から楽しめたと思う。
「今日、君と踊れてよかった」
シグルドがぼそりと呟く。会場に響く旋律にかき消された言葉はアリスの耳には届かないものの、何かを呟いたことはしっかりとわかった。
「今何か言いましたか?!」
アリスがターンをしながら問いかける。いつもよりも声が大きいのは、しっかりとシグルドの耳に聞こえるようにだろう。
シグルドは思わず苦笑すると口を開き、アリスの問いかけに答える。
「ダンスの練習風景を見てから思っていたことが、君は—-」
だが、その言葉は最後まで発せられることはなかった。
ただアリスがわかったことは、力強く引き寄せられ、一般的な女性よりも大きなアリスの体を覆い被さる男の熱と重みだけ。
大きなシャンデリアが崩れ落ち、ガラスが割れるような大きな高い音と共に広がる生徒たちの悲鳴は、まるで別世界のことのように遠く聞こえた。
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