憑依者は再び事件を解決する
シグルドはツカツカとジェーンの横を通り過ぎると、人込みを駆きわけ、いまだ涙を流す教師の下へと行くと膝を付く。
そしてハンカチを被せ、割れた瓶に書かれた薬品名を私に見せつけた。
「……スクアリック酸?」
ジェーンは薬品名を見ると目をパチパチと瞬いた。そして必死に思い出そうと思考を回転させる。
そんなジェーンをカイラスが見るとハッとしたように何かに気付くと前に出た。
「どうやら見覚えがあるようだな」
「……殿下、姉上を真犯人と疑うのならば、どうか私の質問にお答えください」
「……なんだ」
「姉上はその薬品を使って、一体ランドール男爵をどうしようとしたのでしょうか」
「そんなの簡単だ。アリス嬢は誰が見ても見目がいい、一生残る傷を負わせようとしたのだろう」
「一生……ですか?」
「それ以外何がある。嫉妬深い女のすることだ。それくらいしなければ辻褄があわないだろう」
そんなシグルドの言葉にカイラスが口を開くと、医務室から走ってきたのか、息を切らせたアリスが大きな声を上げて間に入る。
「お待ちください、殿下!ジェーン様はそんなことをする方ではありません!」
「……アリス嬢?何を言っているんだ。君を罠に嵌めようとした張本人が、そこにいるジェーンなのだぞ?」
シグルドは虚を突かれたように目を見開いた。アリスを守るために怒っていた彼は、まさか守るべき対象から否定されるとは思っていなかったのだ。
「違います!確かにあの令嬢は証言しました。ですが、私はそれを真実だと思えません!」
「何故、?」
「勘です!」
「………」
アリスの言葉にシグルドだけではなく、カイラスやジェーン、そして野次馬として残っていた生徒たちが白けた眼差しを向ける。だがそんなことなど気にしないアリスは胸を張ってジェーンを見た。まるで「私の勘、当たるのよ」と以前にも聞いた言葉を言っているような自信たっぷりなアリスの様子にジェーンも苦笑する。
「…………失礼ですが、ランドール男爵は皮膚がかぶれたらどう思いますか?」
「かぶれの度合いにもよりますが、軽いかぶれならば特に何も思いませんよ」
「では、治るかぶれならば余計何も思わない、ということですね」
「ええ、その通りです」
何かを確認するカイラスにシグルドは不思議に思いながらも煩わしげに眉を顰めた。
「一体何を言いたいのだお前は!」
声を荒げるシグルドに、答えたのはカイラスではなくジェーンである。
「令嬢が扱おうとしたのが“サドベ”という薬品である時点で、私の指示でないことは明白だということです、殿下」
「サドベ……?何を言っている。あの教師が管理していた、皮膚をかぶれさせる薬品はスクアリック酸という名前だろう」
シグルドは手に持つ便の欠片を見ながら、書かれている薬品名を口にした。今度は一体何を言い訳に場を切り抜けようとするのかと、忌々しそうに睨みつける。
そんなシグルドに、ジェーンは少し怯みながらも答えた。
「スクアリック酸、医療業界ではサドベと呼ばれる薬品は、確かに皮膚に触れれば酷いかぶれを引き起こします。そして非常に強い独特の刺激臭を持つ薬品のため、忍び込ませようとすれば、臭いで異変に気付く人は多いでしょう。それに、殿下が仰ったように、もし私が本気でアリス様を陥れようとするなら、一生残る傷を負わせようと、薬品選びにも慎重になりますわ」
「……どういうことだ?」
「殿下はサドベを知らないようですので、私がわかりやすくお話ししましょう。まず、円形脱毛症は自己免疫疾患とも言われています。本来、体を守る免疫細胞が間違って毛根を攻撃してしまうことで起こる脱毛で―」
「待て!一体何の話をしているのだ!」
「サドベの使い道の話ですわ。……そして外的な刺激を与えることで、免疫の“目をそらす”ような効果が生まれ、再び毛が生える環境に整っていく。つまり、人工的に軽いかぶれを起こして“発毛を促す”特殊な治療法に使われる薬品がサドベなのです。そしてもうわかると思いますが、サドベでは一生の傷を作ることはありません。薬に頼らない自然治癒でも数週間もあれば綺麗な皮膚へと生まれ変わるでしょう」
「くっ……それは、お前が薬品の性質を知らなかっただけではないのか!?」
なおも食い下がるシグルドに対し、ジェーンはため息をひとつ吐きだすと、あえて周囲の生徒たちにも聞こえるようにはっきりとした口調で告げた。
「今私が何かをみて説明したでしょうか?私は殿下から薬品名が書かれた欠片を見て初めて知ることが出来ました。それに、先ほども言ったように、自然治癒するような薬品を私が犯人ならば選びません!これは明らかに私を陥れようとした結果!薬品の性質を知らなかっただけ?それは寧ろ私のセリフですわ!薬品の性質を知らなく、適当に選んだ薬品だからこそ、都合よく現れたアリス様と殿下に私に指示されたと嘘をついたのではなくて!?」
「!」
ジェーンの推理に、シグルドは完全に言葉を失った。わなわなと唇を震わせるその姿は、某裁判ゲームで弁護士にやられた検事のようである。といってもこの例えは前世の記憶を持つ綾、つまりジェーンにしかわからないが、ジェーンはそんなシグルドに人差し指を思いっきり突き付けた快感で、気分を高揚とさせていた。
そしてジェーンを擁護するように、周囲の野次馬たちからも「確かにこの臭いならすぐわかる」「傷が治るのなら、結局アリス男爵の美貌を損なうことにならならないから意味がないんじゃないのか」と囁きが広がっていく。
ジェーンは冷ややかな視線をシグルドに向けていると、最後の一撃をアリスが放った。
「私、殿下の気持ちにはある程度理解はしますが、それでもこの件は有り得ません。人として最低ですわ」
アリスに恋をしているシグルドには、アリスの最後の言葉が胸に突き刺さる。ガクリと膝を付いたシグルドには、流石に同情するものの、疑われた身としては庇う事もしたくなかった。
「行きましょう」と腕を引くアリスに、ジェーンは導かれるように歩き出す。その後ろにはカイラスもいたが、ジェーンの推理で隠された事実が発覚した。
周りにいた生徒は、膝を付いたシグルドだけではなく、円形脱毛症に悩んでいると思われる教師に対しても同情の眼差しを向けたのだった。
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