憑依者は忠告される
「わ、わからないわ。流石に。物語はそれが完成形であって、もしこうだったら……なんて同人のような展開は作者も書いていなかったもの」
「同人?」
「気にしなくていい言葉だから!」
「…………。じゃあヒロインがヒーローに恋をしないという可能性もあるという事か?」
「わからないけど……、ここが本当に物語の中ならイベントがなくなったことで可能性としては十分あり得るし、逆にそうじゃない可能性だってあるわ」
「……そうか…」
カイラスはジェーンから離れると、ジェーンはホッと胸を撫でおろした。
家族だってわかってはいるものの、整っている顔が近くにあると落ち着かない気持ちになるからだ。
カイラスに言わせればそれはジェーンが男として意識しているという事だが、まだ婚約も破棄できていないこと、そして資金も不十分なことから、ゆっくりジェーンの考えを変えていければいいと思っている。
「………とりあえず、“動いた方がいい”ということか」
ぼそりと呟やかれた言葉にジェーンは訝し気に見やると首を傾げる。
「………何かするなら、ちゃんと報連相してよね」
「わかってる。それにすぐに何かするわけじゃないから安心しろ。まずは様子を見るつもりだからな」
カイラスはにっこりと笑って答えたが、ジェーンの細められた目は変わらない。
【……こういう時、真っ先に疑われるのは何故か何もしていない悪役に憑依した人なんだよね。…まぁでもなにかするとき教えてくれるらしいし、まだなにもしないと言ってるから、とりあえず気にしないでおこう】
◇
【………そう思っていたことがありましたとさ】
学園に通うようになってから一週間が経った。
カイラスは宣言した通り、二人の様子を見るだけで具体的に何をどうするか、そのような話をジェーンにすることなく比較的穏やかに過ごしていた。
朝の時間は礼拝を行い、教室へ戻ると座学が始まる。
かつて魔法が使われていた時代使用されていたといわれる古語学、貴族として必要不可欠な論理学、歴史や算術等を中心に行われ、午後は領地経営や剣術などの選択科目。それが終わればティータイム時間が待っていた。
だがティータイム時間もただお茶を飲むながらのんびり過ごすのではなく、作法の見直しや毒物混入を見極めることも行われている。
そんな一日の唯一ゆっくりと過ごせる時間帯、ジェーンは婚約者であるシグルドではなく、弟であるカイラスと過ごしていた。
カイラスは次期跡取りではあるものの領地経営に関する知識は家庭教師から学んでいることから学園では剣術を選択し、ジェーンは婚約破棄を前提としていることから領地経営を学んでいる。他の令嬢たちのようにマナーや作法を中心に選択していなかった。
実際に家を継ぐことを考えていなくとも、行っている事業を続けていきたいと考えていることから、ジェーンはこの選択をしたのである。
ジェーンはティーカップをソーサーごと持ち上げると、取っ手をつまむようにし茶を飲んだ。
貴族では“持ち続ける”という行為がマナー違反であることから、一口飲むとテーブルへと戻す。
たったそれだけのことだが、他の生徒もいる環境の中、好きに飲めない自由を奪われているような窮屈さに小さくため息を付く。
「……どうした?」
「ううん。何でもないよ。ちょっと疲れたなぁって思っただけ。……カイは?」
「こっちは楽しいよ。侯爵家では体を動かすことはあまりしなかったからな」
「あ~、確かにクリスさんはインテリ系だもんね。それにお父様やお母様も勉強ばっかで、外で私と遊んだのって二年くらい?」
ジェーンは思い出すように話すと「楽しかったね」と笑った。カイラスも「ああ……今もジェーンといれば楽しいよ」と微笑んでいる。
「もう、お世辞がうまいんだから」
「世辞じゃない」
「私にはなんでもお見通しだよ」
「……本心なんだが」
そんな穏やかな雰囲気を放つ二人の元へ、複数の人影が差し込んだ。
ジェーンは見上げるように顔を上げる。
「……第二王子の婚約者であられるジェーン・ヴァルモア侯爵令嬢で間違いありませんか?」
差し込んだ影は扇を胸の前で握り、嫌悪感に表情を歪ませた四人の令嬢だった。
中央に立つ、釣り目の令嬢が代表して問いかける。
「ええ、左様ですが。……失礼、どなたさまでしたかしら」
ジェーンが首を傾げると、令嬢たちの眉がぴくりと動いた。
同じ学園に通う高位貴族の顔を覚えていないなど、社交を放棄しているも同然だからだ。
だがジェーンは幼少期から学園に入学するまで一度も街以外に出掛けたことがなかった。
王子と初めて顔を合わせ、失敗した経験から母親であるマティルダがジェーンを表に出すことを控えたからだ。
「……セリア・バーネットですわ。そんなことよりジェーン様、あちらをご覧になって?」
そんなこと、とセリアは告げたが、バーネットと言えば公爵家でジェーンよりも爵位が上だ。
本当に問題ないのだろうかと、ジェーンは今更ながらに腰を上げる。
そうしてセリアが扇の先で示したのは、中庭の噴水付近。そこにはジェーンの婚約者であるシグルド第二王子が、救命の乙女と持て囃されているアリス・ランドール男爵と小さなテーブルで向かい合うように笑い合っていた。
「……楽しそう。いい天気ですもんね」
ジェーンは思わずが心からの感想を口にする。
するとセリアは絶句し、背後の令嬢たちはひっと息をのむ。
「“楽しそう”“いい天気”!? ヴァルモア嬢、正気ですの? 殿下の隣は、本来あなたの場所!それを、爵位を賜ったとかなんとか……たかが男爵の身分で!あなたが黙認されているせいで、学園の秩序は崩壊寸前ですのよ!?」
「秩序、ですか?」
「ええ、あなたが婚約者としてあの方に身の程を教えないから、彼女は自分が王妃になれるとでも勘違いし始めている。運よく殿下を助けただけで爵位を賜ったんですもの。勘違いしても仕方ありませんが。でもそれは殿下のためにも、そして将来の社交界のためにも、あってはならないのです。あなたには、婚約者としての責任というものがないのですか?」
詰め寄るセリアの言葉には、苛立ちが感じられた。
彼女たちにとって、ジェーンの“何もしない”態度は、貴族のルールを無視した怠慢に映っているのだ。
だがジェーンには二人を邪魔するつもりはない。寧ろ早く仲良くなってもらい、そしてアリスには早く恋心を芽生えさせてほしいとすら願っている。
その為例え彼女たちの言葉が正論であってもジェーンには言い返す言葉はない。
賛同することは婚約者としてアリスを厳しく諭さなければならず、逆に否定してしまえば婚約者として“ありえない”選択になってしまうからだ。
どうしようとジェーンがほとほと困っていた時、黙っていたカイラスがティーカップをカチリと音を立ててソーサーに戻した。




