能力者は怒る
◇
カイラスは怒っていた。
ズンズンと鬼気迫る表情で歩き進めると、まるで道を開けるかのように人が退けていく。
そうして人気のない場所までやってくると、カイラスはようやく足を止めた。
「…はぁ、…はぁ…カイ、早すぎるわよ………」
【どうしたの?こんなに怒ってるところみたことないわ】
ジェーンは長い脚でどんどん先を進んでいくカイラスを追いかけていたことで、息が上がってしまっていた。
だが心の中でも“なんで待ってくれないのか”という否定するような考えを持つことはなく、寧ろカイラスを心配している様子を見せている。
そんなジェーンにカイラスは胸を締め付けられたと同時に自分の不甲斐なさを自覚した。
「……ごめん、ジェーン。殿下のジェーンに対する態度を見たら怒りが沸いてきた」
カイラスは項垂れるように俯いた。
確かにシグルドのジェーンに対する態度は婚約者としては有り得ないものだ。ジェーンの家族であるカイラスが怒りを抱くことは当然のことであるが、勝手な怒りでジェーンを思いやる行動が出来なかった自分を客観視すると、自分も最低な男だと感じてしまう。
そんなカイラスにジェーンは、下げられ、撫でやすい位置にあるカイラスの頭に手を伸ばした。
「私のことで怒ってくれたのね、ありがとう」
なでなでと、細く柔らかい黒髪を撫でるジェーンの手つきは優しい。
カイラスはゆっくりと視線を上げてジェーンを見る。
【可愛いわね。大きくなっても中身は可愛いカイのまま変わってないわ】
綾がジェーンに憑依してから一度だってカイラスを非難することはない。
それは今もそうだった。
(……綾)
その名前を口にすれば、ジェーンは驚いたように目を見開くと否定する。
心の声からして呼ばれること自体が嫌ではないと、カイラスにはわかっているため問題ないが、この世界にそぐわない名前を出すこと自体が不安でたまらないのだろう。
綾という存在がいるように、この世界のどこかにも同じような存在がいるのかもしれない。それが味方であれば問題ないが、悪役令嬢に憑依した手前あまり信用することは難しい。
【誰かに聞かれて、原作を捻じ曲げようと知るバグとか言って殺されちゃたまったもんじゃないわ!】
どんな作品を読んできたかカイラスには全てを理解することは出来ないが、嫌がる綾に無理に名前を呼ぶことはしなかった。
「……婚約を続ける気はない、って意志は変わってないよな?」
カイラスは呟くように告げる。
「当たり前じゃない。見たでしょあの態度。私に王子との婚約を継続する意思はないわ」
「じゃあ早く婚約を破棄しないか?」
そう提案するカイラスに、ジェーンは困ったように眉を寄せる。
「……もしかして、なにかあるのか?」
「なにかあるというわけじゃないのよ。ただ、作中での婚約破棄を告げるシーンはもっと後。それに今の段階で進めてしまえば、お父様とお母様が何をするか………私はそれが怖いのよ」
【婚約破棄、つまり断罪イベントは極寒期が来る直前だった。婚約破棄されたジェーンに視点が向けられなかったのも、タイミングよく訪れた極寒期に被ったからだとしたら辻褄が合うわ。じゃなかったらジェーンはとっくに家を追い出されていたわ】
カイラスはジェーンの心の言葉を読む。
(……そうか。婚約破棄が進められればジェーンは籍を外されてしまうのか)
考えてみればわかることだ。自分の利益しか考えない連中ならば、ジェーンが王子との婚約関係が破棄されてしまえば見限られてしまうのも頷ける。
長い間王子との婚約関係にあるが全く顔を合わせていないことから、原因はジェーンにあるのではないかと思われ、次の嫁ぎ先だってままならないだろう。
では修道院に送るという選択肢もあるが、あの親が大金を払って貴族令嬢が暮らせる環境を与えるだろうか。
一年前にカイラスの家庭教師であるクリスと共同事業を行ってから、売り上げは好調だ。狙い通り女性客の心を掴み、夫婦のティータイムにも活用されているようで、最初はコーヒー紛い物だと批判していた男性も手に取るようになったのだ。
徐々に資金は溜まっているが、それでも十分安心できるほどではない。
カイラスはそう考えると「…悪い」と答えた。
「いいのよ。でも出来れば極寒期が訪れる前、作中と同じ時期が望ましいわ。そうすれば色々と混乱してそれどころじゃなくなってしまうから」
「………では卒業の一年ほど前ということか、だが本当に一年前でいいのだろうか?自然現象だろ?」
「それは大丈夫よ。前兆があるから」
「前兆?」
カイラスは首を傾げた。
「春になれば枯れていた木々にも緑が色づき始めるでしょう?でも極寒期が訪れる一年前の春、新芽は緑ではなく、色が抜け落ちたように白いと書かれてあったわ」
「白い葉ってことか?…」
「そう、わかりやすいでしょう?それに誰の目にもわかる変化だから、学者たちも騒ぎ始める。そして過去に一度だけあった文献を探しだして、これから極寒期が訪れるとわかるのよ。そうしたらあとは大慌て。例え王子の婚約問題だとしても後回しにされるわ」
「それじゃあいつ婚約破棄が行われるんだ?」
「極寒期によって発生する病気と食糧問題の解決策を王子がアリスと共に提案した時よ」
ジェーンは作中の出来事を思い出す。一度しか読んだことはなかったが、それでも自然災害が大きく取り上げられた小説はあまりないためよく覚えていた。……勿論統計を取ったわけではないため断言することは出来ないが、少なくとも綾としてネット小説を読んでいたころはそうだった。
「つまり、国を救う報酬としてジェーンとの婚約破棄を認めさせ、且つヒロインとの婚約を結んだというわけか」
「そういうことよ。流石カイね」
カイラスは満足そうに笑みを浮かべるジェーンから視線を外すと、ゆっくりと目線を下に向ける。
ジェーンの話通り、この世界は物語と同じ展開で進んでいるようだ。王子とヒロインが出会い、恋に落ちる。二人の恋の為にジェーンは婚約を破棄され、悪役令嬢として散る、それが物語の結末だ。
だが現実では王子とヒロインが表彰される発見を、ジェーンとカイラスの手によって公表しようとしている。
最初に作ったたんぽぽコーヒーよりも、菊芋コーヒーをメインに販売しているのは、今後の食糧問題で提案したさい、菊芋に対する否定的な意見を前もってつぶすためだ。
カイラスにとって理想的な結末は、ジェーンと王子の婚約破棄がスムーズに執り行われること、そして国を救い、功績を立て、褒美として現在姉弟であるジェーンとの結婚を認めさせることである。
勿論ジェーンはカイラスがこのように考えていることは知らない。そして理想的な結末を迎えられなかった場合、早々に国を出ようとしていることも知らないでいる。
(婚約破棄が最初ではなかったのか………、褒美として婚約破棄を認めさせたという事は、ジェーンが功績を立てれば立てた分、婚約破棄が遠ざかるという事か?)
カイラスはそう考えると顔を上げジェーンをみる。
【というか、今の時点でヒロインのアリスは王子に恋はしていないから、そもそも時期早々なのよね。王子の熱烈なアプローチがっていうよりも、男らしさを感じてしまってから男として意識してしまうって流れだったから】
「は?恋をしていない?……っ!」




