表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/34

小百合―傲慢な男―

「青臭いガキじゃなくなったか。だったら俺の相手も出来るな」



そう言って微笑んだのは誰だったか。

わかっている。親友の婚約者だ。

と言っても、目がハートになっていて盲目的に、一方通行に好いているのは椿だけ。彼女が恋い焦がれて止まない婚約者と言えば、来る者拒まず去る者追わずのポリシーを持ち、それは小百合と初めて会った時から今の今まで変わっていない。こんな男を想っていても未来はない。


絶対に。


それなのに椿はずっと、二十年近く片思いをしていた。

小百合は椿からの悩み事を快く聞いてあげて、アドバイスなんかもしてあげた。そのアドバイスがアドバイスになることは無いのがわかっていながらも。それでも彼女はずっと辛抱強く待っていた。彼と結婚出来る事を。


とは言っても、当の婚約者はのらりくらりと婚期を伸ばし、遂には来年で三十路を迎え、親友ですら二十四になる。一昔前で言えば、売れ残りギリギリのラインだ。一応三十になる頃には結婚すると公言していたが、どうだろうと常々小百合は思っていた。

男は、結婚をして家庭に落ち着くタイプではない。むしろ、堂々と独身を貫いた方が潔い決断ではないかと思う。

しかしながら、有名一族の跡取りという立場を考えるとそれも難しいのかもしれない。大体、その跡取りという立場が今回の婚約を取り結んだものでもある。前に男から婚約破棄をしようとしたらしいが、あえなく断念したらしい事は親友から聞いていた。まぁ、その時も相談に乗ってやったのだが、大したアドバイスは出来なかったと記憶している。



前々から小百合は彼に興味を持っていた。

イケメン好きの小百合は、もちろん顔が好みのど真ん中だった。

六歳年上と言う大人な彼に憧れて親友に隠れて相当誘いをかけたのだが、あっさりとかわされていた。と言うか、ハナから相手にされなかったと言った方が正しい。ガキには興味はないと一蹴されたのだが、椿の事を利用した。

相談された事を余す事無く暴露し、それに対しての感想を無遠慮に聞いてやる。当初はそんな悩み事をバカにしたように笑っていたが、次第に暇つぶしの笑い話とばかりに、自分から聞き出すようになっていた。それを小百合への興味だと思ったのだが、単純に椿を貶したかっただけらしい。だが、自分の話に興味を持ってくれた事が嬉しくて、ベラベラと全部を暴露した。

たまにパーティーで暴露された事を婚約者の口から聞いた椿は、真っ赤になって否定したらしいが、それが本当だとわかっている男はフォローも何もしなかったようだ。それをまた小百合に相談すると言う悪循環。いい加減気付いても良さそうなものだが、根がいい子ちゃんな椿は小百合が元凶だとは考えていないらしい。


仲の良い親友と言う皮を被り続けながら、遂に小百合は男から声を掛けられるに至った。

小百合が椿と共に大学を卒業したその日の夜、彼は小百合をホテルのスイートルームに連れ込んだ。婚約者である椿を放っておき、卒業祝いだと称した行為に小百合は溶けた。

長年欲しくて欲しくてたまらなかった男を手に入れた快感は忘れがたく、それから男に呼び出されるがまま逢瀬を重ねた。


そこに椿とか、椿の婚約者と言う意味の成さない文字はない。


身内の会社にコネで入った親友と違い、小百合は家事手伝いと言う気楽な進路を選んだ。

父が会社を経営しているので、十分金には困っていないし、自分が働くなんて言葉は小百合の辞書には無い。一応会社の行く末は気になっていたが、両親は笑顔で大丈夫だと言っているので、それをそのまま鵜呑みにしていた。


目下、小百合の目標はどこかの金持ちのイケメンと結婚する事。

しかし今はまだ、楓と恋人気分でいたかった。彼も一族の会社勤めをしているのだが、役職が専務だ。

しかも若干二十九歳で。

切れ者で逸材として評判な彼と一緒にいるのは、小百合のプライドをこれでもかと刺激する。一緒にいると、周りの女からは嫉妬の目で見られるし、そうでない人達からは羨望の目で見られるのがゾクゾクするほど気持ちがいい。どうせ彼はあんた達になんか見向きもしないのよと大声でせせら笑ってやりたかった。

また、金払いもいい彼は強請れば何でも買ってくれた。金払いのいい彼は――ごく稀に断られる事があったがそれはあまりに高いダイヤだったからしょうがないと断念したが、替わりに有名メーカーのバッグをくれた――つくづく女の扱いが馴れていると思う。


まあ、それは椿以外の女に限ってだが。


そういえば、親友は婚約しているのに何も貰った事がないらしい。気が付いたら婚約していたという彼女は、自分や他の女達が貰っているバッグや宝石、アクセサリー等はおろか、婚約指輪ですら貰っていないらしい。流石にそこまでくれば、自分が嫌われてるのがわかりそうなものだが、相変わらずわかっているんだかわかっていないんだか分からない、曖昧な笑みを地味な顔に浮かべていた。


そんな椿に始終イライラとさせられっぱなしだった。


親友ははっきり言って地味だ。

だから彼にも釣り合わない。


しかも彼の好みのタイプは、親友とは真逆のモデルのようなスラリとした体型と、遊び慣れた女だ。間違ってもデブチビの親友ではない。髪の長いタイプが好みと知ってるのか、親友もそれに倣って長髪にしているのだが、それがモサい事この上ない。あれでは、隣に立ちたく無いはずだと内心ほくそ笑む。


回数を数えることすら無くなった逢瀬は相変わらず気持ちがいい。ただ、ホテルでの密会のような世間体の悪さが嫌で、何度か部屋に行きたいと言ったがきっぱりと拒絶された。あまりしつこく言うと会って貰えなくなる可能性があるので、あまり深追いは出来ないが、誰も部屋には入れないらしい。親友ですら入った事がないのだ。それが情けないとは言え、多少の慰めになる。



そんなある日を境に親友からの連絡が途絶えた。

最初は単純に携帯の電池切れか、それとも間違って水没させたかだと思ったのだが、彼から椿から婚約破棄の申し出があって、それに応じたと言う連絡を受けて実直に驚いた。あれほど彼に拒絶されても、周りから婚約破棄をしろと言われていたのに頑なにそれをしなかった親友が、何故ここにきて…と言う疑問はあったが、後から沸いてきたのは期待だ。


椿が婚約破棄をしたのなら、小百合にもチャンスはある。

幸い、小百合の実家はかなり大規模な有名会社社長だ。椿には悪いが、家柄と人で選ぶなら十人中十人が自分を選ぶだろう自信はある。


彼だって同じはずだ。


そう、次に彼の婚約者、いや妻として隣に立つのは自分だと信じて疑わなかった。


婚約破棄をしたお祝いとして一夜を過ごしたのだが、思いのほか彼の機嫌が悪い。あまりそんな時に立ち会った事のない小百合は、理由を知りたかった。

機嫌を直すのも妻になる者の役目だ。

しかし、冷たい目と口調で拒否された事で、小百合の高すぎるプライドは傷付いた。高すぎるが故に些細な事でも傷付きやすいそれは、メラメラと燃え上がったが、彼がシャワーを浴び終える頃には図ったかのように涙を流して、傷付いているアピールを忘れない。大概男は女の涙に弱い。案の定、機嫌を直したかに見えた彼の口元が歪んだのは小百合には見えなかった。



橘のパーティーに行くのは初めてではないが、多くもない。それに今回は彼――鳥谷部楓のパートナーとして隣に立つのだと思うと、ドレス選びは当然力が入った。あまり気合いを入れ過ぎた物だと反感を買うし、かと言って地味な服を選んで大人しくしていろというのは、もっと無理だ。

妥協と打算を含んだドレス選びは結局、青を基調とした可もなく不可もなくなデザインにしておいた。身につけたピアスは楓が贈ったもので、有名店の限定品。これも結構人気があってなかなか手には入らないピアスだが、楓はあっさりと小百合に贈ってくれた。その事に感激した事を思い出しながら、楓のパートナーとして会場内に入った。

見知った顔もいたが、ほぼ全員が初対面となる。その為、小百合は楓に紹介されていたのだが、歓迎されていないのが最初の挨拶の態度でわかった。中には楓の婚約破棄の話を聞きつけ、自分の娘を不躾にも薦める者もいたが、慇懃にそれを断っていたのに優越感を持ち、楓を物欲しそうに見ていた娘が睨み付けていたが、逆に上から目線で去なしてやった。


しかし、橘一族のパーティーだと言うのに、彼女…椿の姿がとんと見えない。きょろきょろと会場を見渡すと、椿の兄と目があった。楓のパートナーとして一緒に来ている身では流石に気まずかったのだが、小百合の隣に楓が居たことで察したらしい。それから一回も目線すら交じり合うことはなかった。


小百合には悪い事をしたと言う概念はない。元々、椿と楓の婚約自体が間違っているようなものなのだ。いくら一族の一存だとは言え、封建的すぎる。小百合は隣に立っている楓を見上げた。こんなに素敵で格好良くて、お金も持ってる男が、地味でデブチビで内向的な椿に釣り合うわけがない。それを分からせてあげたのだ。感謝こそされ、責められる謂われはない。

椿の兄が気付いていた事は楓もわかったらしい。それを気にせずに椿がいないと楓に言うと、痛烈な皮肉で返ってきたが、小百合も皮肉で返した。


今日はディナーパーティーなのだが、二時間は食事にありつけない。その為に皆歓談しているのだが、そろそろ喉も乾いたのでシャンパンを飲もうと楓にグラスを渡し、給仕を呼んだのだが、その給仕がバランスを崩した。傾くグラスと零れ落ちるであろうシャンパンを見ながら、小百合は素早く考えた。


どうせこのパーティーは歓迎されてないのも手伝って、全くつまらない。さっさと帰りたいのだから、理由を付けて帰ればいい。じゃあこのシャンパンを浴びればいいのでは?そうすれば、パートナーである楓も一緒に帰ってくれるだろう。早めにホテルでイチャイチャ出来るではないか。


そう結論を出すや否や、一歩踏み込んでまともにシャンパンを被ってしまった。まさかここまで汚れるとは思わなかった。赤ワインじゃなかったのが幸いだ。赤ワインだったら悲劇を通り越して、惨劇だ。

しかし、自分の着ているドレスが一点物だったのを思い出して、猛烈に腹が立ってきた。もっと上手くかけなさいよと、普段であれば逆ギレとしか思えない事を給仕に八つ当たりする。

元々激しやすい小百合は、一度キレたらなかなか収まらない。周りの事だとか気にせず怒鳴っている小百合を見る目は明らかに厳しくなってきているのだが、それに気付く事無く怒鳴り散らしていると、後ろからやけに冷静な声で小百合を止める声が聞こえたので、腹立ち紛れに声のした方を見ると、見覚えのない女が厳しく叱責しながらこちらに向かってきた。


小百合はどこかでこの女を見たことがあると、顔を見ながら朧気な記憶を必死に手繰り寄せて、ようやく目の前の赤いドレスを着て、ダイヤを付けている女が椿である事に気付いた。

信じられず、思わずマジマジと見てしまう。記憶にある椿は、髪が黒くて長かった。大抵ひとまとめにしていたけど、今はその長かった髪がばっさりと切られ、色まで金髪に近い茶色に染められている。不自然なまでの脱色は普通の日本人には似合わない。それなのに、痩せて面変わりをした椿はその特徴的な髪型と言い、色と言い見事に調和が取れているとしか言いようがない。


痩せた。


そう痩せた。あのデブの椿はもういない。余分な場所に肉が無くなったくせに、付くとこにはしっかり付いている身体に纏わりつく赤いシルクのドレス。好奇な男はあからさまな目で椿を眺めて、福眼だと言わんばかりだ。

それに、あのダイヤ。ネックレスからイヤリングまで全部一揃いのあれは、全部で何カラットあるのだろう。買うとしたら、優に一千万は超えるであろう事は小百合にも分かる。

そんなドレスと宝石を纏った椿は見違えるほと美しくなっていた。おどおどとした内向的な性格はどこかに行ってしまったらしい。現に今も小百合を非難して憚らず、そのまま給仕を慰めに行ってしまった。小百合のハグをバッサリと断って。



ムカつくムカつくムカつくムカつく!!!!



ギリギリと歯噛みの音が聞こえるのではないかと思う程、椿を睨み付けていると、また後ろから声がした。

今度は椿を呼ぶ声だ。


しかも男。


誰だと思って振り返ると、小百合は我が目を疑った。



緑川光。



橘と対を成す緑川の会社社長で、詳しくは知らないが、父の会社の重要人物だと聞いている。そんな彼が何故、敵対しているはずの橘のパーティー会場に緑川光がいて、そして何故椿の名前を呼ぶのか。疑問に思っていると、その緑川光が小百合の方へ近づいているのに気付いたが脚が竦んで動けない。そのままつっ立っていると、小さな声で囁いた。



「椿は私の妻になったんだ。その妻をあまり怒らせない方が君のためじゃないか?なあ、三神の娘」



そう言い残すと、さっさと椿の手を取って親密そうな会話を交わしながら、人ごみの中へと消えていった。小百合はドレスの事など既に頭にはない。緑川光に言われた事が反芻して、混乱しきっていた。椿が妻とはどういう事なのかさっぱりわからない。おもむろに楓の方を見ると、楓も初耳だったらしく、会場にいる皆と同じような反応を示している。震える声で楓に尋ねると、やはり楓も知らなかったらしく、ただ呆然と橘家の若き当主夫妻と歓談している椿と緑川光の姿を見ていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ