第38話 小型化
聖女ステュク一行が出て行ってから、小一時間が過ぎていた。
俺はただ座ったまま、明確な打開策が何一つ浮かばないことに苛立ちを募らせていた。思考が堂々巡りをするたびに頭の中で、どうするんだよ、という声がリフレインする。そして時間だけが無情に過ぎていく。
その時、乱暴に開いた扉とともにナビビ族が大慌てで飛び込んできた。小柄な体を震わせながら、息も絶え絶えに駆け寄ってくる。
「アシュラ様ぁぁぁ! 報告ですッ! 怪盗ハデスがっ……門のダンジョンへ向かったとのことですッ!」
言葉を聞いた瞬間、頭を抱える。
「はぁ!? 何やってんだアイツ!」
考えられない。あいつは理想郷だの財宝だのに目が眩むと平気で突っ込むが、敵地に単独で潜り込むだなんて無謀にも程がある。
追い打ちをかけるようにガイアからの報せが届く。
「アシュラ様、もうすぐ聖騎士団の準備が整うそうです」
やばい。ステュクも、聖騎士団も、このままだと死ぬ。頭の中を最悪の想像が駆け抜けた。ステュクが囮になって、聖騎士団が巻き込まれて、誰かが……。
手が震えた。こうなったらアガペーに行かせるか? だがアガペーは強いとはいえ序中盤くらいのボスであり、ラスボス一歩手前の危険度を誇る相手には分が悪い。
クロノス王国に救援を要請する手もある。武の国なら精鋭を揃えられるかもしれない。だがそれは、何人かの命を差し出す賭けでもある。誰かを死地に送る決定を下すことは俺には重すぎる。
「くそ……」
選べる選択肢がない。誰かを救うためには誰かを犠牲にするしかないのか。
頭を抱えてうなだれていると、部屋の空気が変わった。
「アシュラ」
低く、嗄れた声が俺の名を呼んだ。
視線を向けると、茶色のヒゲをたくわえた年老いた男がいた。ステュクの祖父、エクレシオンだった。いつもの嫌味な顔はそこにはない。瞳には普段見せない真剣な光が宿っていた。
率直に鬱陶しいと思った。今コイツを相手にする余裕はないと言うのに。
どう追い出すかを考えていると、エクレシオンはゆっくりと頭を下げて、意外な言葉を口にする。
「……アシュラ殿。頼む。どうか聖女を……ステュクを助けてくれんか」
その言葉は震えていた。
「どういう、ことだ?」
こいつは邪滅派の中心人物で聖女とは相容れないはずだ。なのに、なぜこんなにも必死なのか。
「理由を聞かせてくれ。お前は聖女の敵のはずだろ?」
ガイアが訳すと、エクレシオンは真剣な顔で俺を見上げた。
「ワシが邪滅派に身を置いたのは、外側から孫を……ステュクを守るためだった。二つの派閥ができた時、ワシはかなり焦燥したのじゃ。聖女という最も目立つ孫に被害が及ぶと考えたからの」
淡々と話し続ける。
「そこでワシは邪滅派に入信し、動きを監視し、ステュクに害をなそうとする者を牽制または排除しようとしたのじゃ。当初はうまくいっていた。孫に嫌われることは辛かったが、彼女の居場所を守れるならば苦ではなかった」
エクレシオンは、こちらに真剣な瞳を向けながら語り続ける。
「しかしそんな時、生け贄の話が出た。動揺を隠せなかったものの、ワシはすぐに行動に移した。アシュラ、お主を調査することにしたのじゃ。模擬戦を行ったのもそのためなのじゃ」
模擬戦の後の含み笑い。あれは俺が一応安全な存在だと確認できたことに対する安心した笑みだったのか。
「表向きは非情に映っただろう。だがワシの目的は常に孫の安全を、そして彼女の信念を守ることにあるのじゃ。もう一度言う。ステュクを助けてくれ。そうしてくれるならどんなことでもするのじゃ。喜んで足でも舐めるのじゃ」
いや、ジジイに舐められたくねぇよ!
ただ、言葉の端々から、抱えてきた苦悩が滲んでいた。エクレシオンの行動はすべて偽悪で孫を守るためだった。
助けてやりたい。純粋にそう思う。だがしかし、頼みを受けようにも俺にはどうしようもないのだ。
俺はただ縋るように胸の中で願った。
——神でもいるならステュクを助ける力をくれ、と。
すると、胸の奥がさらにざらつくような感覚が走り、まるで耳鳴りが大音量になったかのように世界がざわつく。次の瞬間、頭の中に機械的な案内音声が流れた。
【スキル《縮躯転位》の特殊条件“同胞を救援する断固たる決意”を満たしました】
……え?
咄嗟にスキルツリーを確認すると、そこに白く光る新しいスキル欄が追加されていた。《縮躯転位》。小さくなれる、というあのスキルだ。息を呑み、言葉が喉から零れる。
「……《縮躯転位》!」
唱えた刹那、身体が眩く光を放ち、筋肉と骨がぎゅっと折り畳まれるような感覚が走った。次に訪れたのは、妙に軽くて、視界の高さが変わった世界。気がつくと俺は人間大のサイズに縮んでいた。
「えっ、アシュラ様!? その姿は……!」
ガイアが驚愕の声をあげる。俺は小さな体で偉そうに胸を張った。
「遂に小型化スキルを覚えたんだよ。仲間を助けたいって思ったら、こうなった」
部屋の空気が一瞬、和らぐ。エクレシオンも表情を明るくしていた。
「おお! その姿は! ステュクを助けてくれるということか!?」
「ま、そういうことになるな」
そこへアガペーが駆け寄ってきて、蛇髪を揺らしながら目を輝かせる。
「王子様! 呪いが解けたのね!」
「呪いじゃないが、まぁそんな感じだ」
「これで色々できるわね!」
アガペーの目がハートになる。やめろ、変な含みを持たせるな。だが確かに小さくなればできることは多い。外出、侵入、スローライフ。選択肢が増えるだけで心が軽くなった。
「ガイア。ステュクはまだ居るよな? 呼んでくれ」
「分かりました」
間もなくして、扉の外から静かだが確かな足音がした。ステュクが戻ってきた。顔は疲れているが瞳に揺るぎはない。そんな彼女が俺の姿を見て目を見開く。
「そ、そのお姿は!?」
「細かい説明は省くが小さくなれた。これでステュクは生け贄に捧げられなくて済む。後は任せろ」
しかし彼女は予想外の言葉を告げる。
「いえ、わたくしもケルベロス討伐へ行きます。あのまま放ってはおけません」
怒りや恐れではなく覚悟が滲んでいた。
「やめておけ。危険だ」
「いいえ、行きます。あまり前には出ませんから安心してください。わたくし、ヒーラーとしての心得はあるので、きっと役に立ちます」
確かに回復役は欲しいが……いや、今後のためにも実績を積ませるのもありか。聖女としてケルベロスを倒したとなれば発言力が上がり、箔もつくだろう。
「わかった。ただし、無理はするな」
「任せてください! えっへん!」
ステュクが少女らしく無邪気に胸を張る。
「ワシも行くのじゃ」
エクレシオンだ。
「お祖父様……! どうして……!?」
「ふん、アシュラとケルベロスが組まないか監視じゃよ。いいか、か、勘違いするでないぞ。決して聖女のためではない! いいか、決してじゃぞ!」
ツンデレジジイだなぁ。
俺は、やれやれと一息ついて一歩前に出た。そして、できるだけ真っ直ぐに言い切る。
「いいか、ステュク。お前を犬のエサになんざ絶対させない。ハデスもついでに助ける。エクレシオンは足を引っ張るなよ。それからアガペー、お前も来い」
呼ばれたアガペーは頬を染め、蛇髪を揺らして答える。
「ええ、もちろん! 王子様が向かうところにはたとえ地獄だろうとついて行くわ!」
小さくなった俺は三人を見て深呼吸を一つした。胸に奇妙な高揚感が湧く。
「行くぞ。俺達でケルベロスのダンジョンを攻略する!」
三つ首の番犬が唸る門の向こうへ。最弱と笑われたレイドボスの、ちんまりとした体が今は討伐者側の先頭に立つ。そんな奇妙な光景が、これから始まろうとしていた。




