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95.共謀者たち

 ゆっくりと目を覚ますと、部屋の外ではもう使用人たちが慌ただしく準備を始めている音がする。

 身体がやけに重たかった。昨日は寒さのあまり中々寝付けなかったせいだろう。


 夢は見なかった。

 きっと、もう二度と見る事はないのだろう。竜種は夢を見ないと言う歴史書の一文を、身を以て体験することになるなんて――アルトの隣で笑みを浮かべていたあの頃の私に伝えても、きっと信じないだろう。


 角を髪で隠し、そばかすメイクを施し、丸く分厚いレンズの眼鏡をかける。

 ふと、ゼファレスの前で折ってみせた左手の薬指と小指を眺め、強く手のひらを握りしめてみる。包帯はまだ巻いてあるものの、中身はすっかり完治しているようだ。

 使用人の服に袖を通し、身支度を整えると私は部屋から飛び出した。

 早速、鬼のような形相で廊下を歩いていた侍女長に呼び止められる。


「ちょっとルウ! 新人がなんでこんなに遅いのよ!」


「申し訳ありません。部屋に恒暖石(こうだんせき)が見当たらず寒くて眠れなかったのです」


「そんな貴族の道具が使用人室に置いてあるわけないでしょう? あんた一体今までどんな育ちをしてきたのよ?」


 自分の世界の狭さに打ちひしがれるも、私は慌てて「今日は何をすれば」と話を切り替えた。


「今日は倉庫から厨房へ砂糖の袋を運んでちょうだい。明日の戴冠式の仕込みで手が足りないのよ。倉庫の場所はわかる?」


 ……困ったことになった。

 このままでは、アシュレイと落ち合うはずの資料室に行けなくなってしまう。


「……倉庫の場所を忘れてしまったので、教えていただいてもいいですか?」


 侍女長は頭を抱えていた。


「こっちよ」


 侍女に倉庫まで案内された私の目の前には、山積みにされた重たい砂糖の麻袋が所狭しと並んでいた。


 そして――一つを両手で持ち上げると、わざとらしく足をもつれさせ、その勢いのまま麻袋を床へ向かって力いっぱいぶん投げた。

 バァンッ! という、ただ手が滑っただけとは到底思えない、竜の膂力が乗った凄まじい破裂音と共に、真っ白な砂糖が倉庫中に吹雪のように舞い散る。


「きゃあああああっ!? あんた、何やってんのよ!!」


「も、申し訳ございません……っ! 私には重すぎて、つい手が滑ってしまい……!」


「あぁもう、信じられない! 明日の準備でただでさえ大忙しなのに、これ以上私の仕事を増やさないでちょうだい! あんたはもういいわ、昨日と同じ資料室に行ってなさい! 昼休みのベルが鳴るまで絶対に出てこないで!」


 目論見通り。

 私はこれでもかというほど縮こまったふりをして倉庫を後にし、悠々と資料室へと向かった。


 ◆ ◆ ◆


 分厚い本棚の裏で待っていたのは、見慣れた黒い外套の男――アシュレイだった。

 その両腕から包帯は外れ、代わりに革手袋が装着されている。


「もう、腕は大丈夫なのですか?」


 私がそう言うと、アシュレイは自分の手をじっと見つめた。


「生え変わった時点で火傷の傷は癒えたが、毎度包帯を巻くのが不便になった」


 思い返すと、昨日包帯を再度巻き付ける時もガタガタだったように思える。


「……今のロボに巻いてもらうのも申し訳ないですしね」


「あぁ。それより遅かったな。……何かあったのか?」


「ええ、少しばかり倉庫に砂糖の吹雪を降らせてきまして」


「なるほど。倉庫が大惨事と言う報告が上がってきていたが、君だったのか」


 アシュレイは呆れたように分厚いレンズを押し上げた。


「どうやら俺たちに給仕は向かないらしい」


「先程のはわざとですので……と、言い張りたいところですが」


 私は小さく息を吐き、誤魔化すように視線を床へ落とした。

 昨日の玉ねぎの皮剥きや、コンロの惨状を思い出し、私は少しだけ肩を落とす。


「……貴族や王族なんて、いざ肩書きを剥がされてただの人になれば、こんなものですね」


 私が自嘲気味に呟くと、アシュレイもまた「全くだ」と深く同意するようなため息をついた。


「盤面をひっくり返すなどと豪語しておきながら、ロボがいなければお湯すら沸かせないのだからな。滑稽な話だ」


「えぇ。私もカグツチがいないと冷えて眠れないとは情けない話です……」


 奇妙な連帯感が生まれ、ぽんこつ二人で少しだけ重苦しい空気に沈みかけた、その時だった。


 ――コン、コン。


 静寂を切り裂くように、重厚な木の扉を叩く音が響いた。

 私とアシュレイは同時に言葉を切り、弾かれたように扉へと視線を向けた。

 一瞬にして、部屋の空気が凍りつく。

 ここは昼休みのベルが鳴るまで、誰も近づかないはずの場所だ。

 ゼファレスの耳目か、あるいは単なる見回りの兵か。


 アシュレイが無言のまま顔を強張らせて懐へ手を差し入れ、私も息を殺して最悪の事態を想定する。

 ギィ……と、蝶番が軋む音を立てて、ゆっくりと扉が開かれた。

 薄暗い室内に差し込んだ廊下の光を背にして立っていたのは――。


「――こちらにいたのですね、女王様」


 しわ一つない真っ白な軍服を纏い、うっとりとした笑みを浮かべる竜種。

 後宮の管理者、シロクマだった。


「……シロクマ」


 私は大きく息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いた。


「驚かせないでください。随分と律儀にノックなどして……よくここが分かりましたね」


 シロクマは音もなく部屋へ滑り込むと、私の前で恭しくその場に跪いた。


「ええ。女王様を見つけられないなど下僕の名折れでございます」


「下僕になっていただいた覚えはありません」


「あなたのその愛らしい足音と、甘く芳醇な匂いだけで、この本城のどこにいても必ず見つけ出してみせましょう」


 その熱を帯びた瞳で見つめられ、私がどう返したものかと思案していると――。


「……ッ」


 隣で、アシュレイが露骨に顔を引きつらせ、ドン引きしたように数歩後ずさった。


「おいルシア嬢……こいつはシロクマ……か? グレイシャルのところにいた時と随分と様子が違う。端的に言って気持ちが悪いが」


 アシュレイの心底嫌悪感に満ちた声。

 私は、ノエルに対する歪んでいるのか真っ直ぐすぎるのかよくわからない演説をカグツチとともに恐怖を抱えて聞いていた事を思い出し、ジト目で彼を睨み返した。


(……同類ですよ。ベクトルが少し違うだけの)


 私の視線の真意なんてアシュレイは理解することなく、「なんだ」と言いたげに首を傾げていた。

 世の中、知らない幸せと言うのもあるが――恐らくこの男のことだ。自身のノエルへの執着が、目の前の竜と同等に異端だとは露ほども思っていないのだろう。


「しかし、なぜシロクマは本城に入れたのですか? 聞いた話では以前デッドアッシュに襲われたと」


「ゼファレス様に後宮で重要な連絡事項がある旨を衛兵の方に言伝してもらい、デッドアッシュを一時的に本城から追い出してもらっているのです。なので、長居はできません」


 アシュレイが警戒を解き、再び資料室の机に広げた本城の図面へと目を落とす。

 机を囲むようにして、復讐者、裏切り者の王太子、千八百年を生きた変態の竜種が並ぶのは――奇妙な光景でしかなかった。


「手短に済ませましょう」


 私は机の上の図面、その中心にある玉座を指先でトントンと叩いた。


「ゼファレスに近付く権利を得ました」


「……本当か?」


 アシュレイが愕然として声を漏らし、シロクマが目を丸くした。


「昨日の夜、あれほど慎重な様子だったはずでは。たった数時間で、一体どんな魔法を使ってあの男の懐に潜り込んだんだ……?」


 戦慄するアシュレイを前に、私は丸いレンズの奥で、ただ冷ややかに微笑んでみせた。


「魔法など使っていませんよ。ただ、あの男が欲しがっている都合の良い人間になって差し上げただけです」


「……なるほど。ならば、これ以上無駄話をしている暇はないな」


 資料室が静寂に包まれた。

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