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93.王の器、魔王の駒

「デッドアッシュについては一先ず置いておきましょう――先に、今後の事を話しておきましょう。後の世のことです」


 私は部屋の明かり取りの小窓から、まだ夜明けの遠い暗い空を見上げた。

 ゼファレスが死ねば、この国から完璧な支配が消える。貴族たちは次の権力を巡って血で血を洗う内乱を始めるだろう。

 もちろんその時、徴用と言う名目で集められた竜たちの事など――貴族たちの知るところではない。

 そんな世の中を、私が清く正しく美しく整える義理はない。


「あなたには、ゼファレス亡き後に王座に座っていただきます」


「……本気で言っているのか? 俺は、王の器ではないと前に言ったはずだ」


 アシュレイはひどく険しい顔で、自らの腕を隠すように目を伏せた。

 しかし、私はその迷いを真っ向から切り捨てる。


「ええ。本当はあなたを革命の旗印にでも立てようかと思っていたのですが……あまりにも不向きです。旗印になって頂くなら、せめてその身内への甘さを捨てていただかないと」


 私がそう言い捨てるとロボが吹き出した。


「そ……それは……いや、それは十分に分かっている。だから俺には不向きだと最初から言っているだろう……」


「あなたはご自身で、私の駒になるとはっきりと仰いましたよね。……ですから()()()()()、あなたは私の駒として、混沌極まる国を美しく整地してあげてください。ノエルさんが笑顔でいるために」


 私が迷いなく微笑んでみせると、沈黙していたロボが「ぐっ、痛ぇ……」と全身の怪我に顔をしかめながら、腹の底から楽しそうな笑い声を上げた。


「ハッ……ハハハッ! おいおいアシュレイ、貧乏くじじゃねェか。ダッセェな!」


「笑い事ではないぞ、ロボ……!」


「いいや、傑作だね。王の器じゃねェなら、この魔王みてぇな令嬢の駒として玉座に座れ、だ? ……あァ、全くだ。お前みたいな面倒くさい理屈屋には、それくらい強引な首輪が丁度いい」


 ロボの笑い声が、張り詰めていた部屋の空気をわずかに緩める。

 アシュレイは深くため息をつき、分厚いレンズを押し上げた。


「……分かった。後の世の盤面は、俺が引き受けよう。だが期待はするなよ。俺の盤面は脆いぞ」


 なんとも頼りない王様だった。


「では――本題に入る前に。一つだけ、昼間の続きを聞かせていただけますか」


 私は笑みを消し、静かに、けれど逃げ道を塞ぐようにアシュレイを見据えた。


「……あの男を知れば知るほど、理解が出来ないのです。あの男は感情的に動くような男ではない。なのに、なぜ彼はなんの猶予も与えずアルトを殺したのですか」


 アシュレイは唇を引き結び、押し黙った。


「アグレスト家は貴族の地位で言えば、むしろヴォルシュタインと似た立場にいた。話し合えば共に歩むことだって出来たはずです。それを、ヴァレットの血を置いておきたいから……? 象徴としてカグツチがほしかったから? あの合理性の塊のような男がそんな事をするとは思えないのです」


 それでもアシュレイは何も言わない。

 琥珀の瞳を分厚いレンズの奥に隠すようにして俯いてしまった。


「……ルシア嬢、その件に割く時間は今はない。それより今はデッドアッシュをどうするかについて議論すべきだ」


 ――逃げた。

 アシュレイは、明確にその会話を避けた。

 前回もアシュレイはその事について、時間切れだと打ち切った。

 アシュレイがゼファレスの弱点に繋がる情報を隠す理由がない。

 彼のことだ。それが今の盤面においてノイズになると判断した上で伏せているのだろう。

 私は、それ以上の追及をやめた。


「……分かりました。では、盤面の話に戻りましょう。あの男が完璧な護りを敷くこの王城で、どうやってあの男を殺すか」


 私はソファから立ち上がりキッチンまで向かうと、足元に散らばったカップの欠片を一つ拾い上げ、その鋭利なエッジを自らの指先にそっと当てた。

 チリ、と痛みが走り、一滴の真紅が滲み出す。


「竜の血――因果継承体。これを人間が経口摂取するとどうなるかご存知ですか」


 私の問いに、アシュレイは怪訝そうに目を細め、やがてその顔色をサッと変えた。


「……劇薬だ」


 アシュレイは机の上で腕を組み直しながら、重々しく肯定した。


(つがい)でもない限り、因果継承体を口に含めばそれだけで死に至る。力でも知力でも殺せない完璧な王さえ、たった一滴の血であっけなく殺せる」


 私の狂気を孕んだ宣言に、アシュレイが息を呑んだ。

 しかし、それ以上に――笑っていたはずのロボの様子が、明らかにおかしかった。

 ロボの顔から、さっと血の気が引いていく。

 呼吸が止まり、大きく見開かれた金色の瞳が、震えながら私を見透かすように見つめていた。

 ロボは何かを言いかけて、けれど強く奥歯を噛み締め、言葉を飲み込んだ。


「……汚らわしい手段だと、蔑んでも構いません」


 私は、血の滲んだ自らの指先を見つめながら、静かに告げた。

 自分がマトモな人間の倫理を捨てたことなど、とうに自覚している。

 怪物に食い殺されず、怪物の喉元を噛み千切るためには、自らも怪物と同じ牙を持つしかない。


「外側が壊せないなら、内側から食い破るまでです」


 水を打ったような静寂が落ちた。二人はもはや、私の覚悟を止める言葉を持っていなかった。


「で、その後はどうすんだルシア。それがカグツチの望む、お前が出した未来(こたえ)なのか?」


 ロボの言葉に、脳裏に浮かんだのは私の原初の夢――焼けた王城、転がる誰かの首。


「そうなる運命は、恐らく変えられないのでしょう。……だからこそ、私はその因果を、私が望む形に力ずくでねじ伏せる他ないのです」


「あぁ――お前の原初の夢か。いい、内容は聞かねぇよ。マナー違反だからな。しっかし、よほど終わってる夢なんだろうな。いいじゃねェか悪あがき。俺は好きだぜ、そういうの」


 ロボが痛む身体を揺らしながら、自嘲気味に笑う。

 ええ、と私は頷き、未来の王となる男を真っ直ぐに見据えた。


「カグツチは、未来へは勝手に連れて行くと――そう言いました。せめてその方向性を示してあげなければなりませんから」


 私が悪戯っぽく微笑んで真意を伏せた、その時だった。

 部屋の隅に置かれた古びた柱時計が、深夜の時刻を告げる低く重たい鐘の音を響かせた。

 ゴーン、ゴーンと腹の底に響くような音が、私たちを狂気じみた密談から現実へと引き戻す。


「……そろそろ時間ですね。またいつゼファレスが部屋を訪れるとも分からない。これ以上長居をしては怪しまれてしまいますね」


 ゼファレスの目を欺き続けるには、これ以上の遅滞は命取りになる。

 私はスカートの裾を軽く払い、立ち上がった。

 アシュレイもまた、現実に引き戻されたように表情を引き締め、静かに頷く。


「君は明日も資料室か?」


「……恐らくそうでしょうね、侍女長には何もするなと言われてしまいましたので」


「あぁ。ならば戴冠式に関する情報をまとめてから、君のところへ持って行くとしよう」


 ベッドの上でロボがひとしきり笑っているのは見ないふりで、私は頷いた。


「では、また明日」


 私は静かに部屋を後にした。

 冷たい石造りの廊下を歩きながら、自らの指先に滲んだ血の痕を親指でそっと拭う。

 怪物の喉元を食い破る、最悪の反逆の幕が上がろうとしていた。

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