表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/124

84.盤面の支配者

 翌朝、私は本城の侍女長へと預けられた。

 数日後に控えた戴冠式に向け、本城はひどくごった返していた。私は下働きの侍女として、ただ黙々と与えられた雑務をこなしていく。


 ――と言いたいところだが、現実はそう甘くはなかった。


 私はヴァレット家の令嬢として育った身だ。家事全般が壊滅的であるという無能の烙印は、とうの昔に押されていた。

 それに加えて、現在の竜種としての制御しきれない膂力(りょりょく)と、左手指の骨折。生み出される結果は火を見るより明らかだった。


「ヒィッ……! またお皿が粉々に……!」


 黒鉄の城での練習の成果は凄惨たるものだった。

 あの城でカグツチとロボとともに特訓した一週間を思い出し――ため息が溢れた。

 一ヶ月でどうにかすると豪語してから日常生活を送れるまでには達したが、このように細かい作業となると、どうにも制御が出来ない。


「申し訳ありません。少し、指先に力が入ってしまい」


 私が皿を掴んだだけで、高価な陶器は小気味良い音を立てて砕け散った。


「もうお皿には触らないで頂戴! そっちの玉ねぎの皮を剥いておきなさい!」


「承知いたしました」

 

 数分後。

 私の手元には、親指の先ほどのサイズにまで削り取られた、ちまっとした玉ねぎの成れの果てが十数個完成していた。


「どこまで剥いてるのよおおおっ!?」


「皮が終わらないのです……」

 

 侍女長は深く天を仰いだ。

 その後も事前の自己評価通りの惨劇が続いた。

 掃除をさせれば床板ごと削り取り、洗濯物を揉み洗いすれば布地を雑巾以下の繊維へと分解し、客室のベッドメイキングを任せられれば、シーツが引き裂かれマットレスが不自然にひしゃげた地獄絵図が完成した。


「ああ……神よ……殿下はなぜ、このような破壊兵器をお連れになったの……?」


 頭を抱え、文字通り絶望のどん底で床に崩れ落ちる侍女長。

 王太子自らが連れ帰ってきた手前、彼女には私を解雇して追い出すという権限すらない。


「……あなたはもう、ただ廊下の隅を歩いて、適当な布で壁でも拭いていなさい……お願いだから何にも触らないで……」


 侍女長からぽいっと雑巾を放り投げられる。


「……配慮痛み入ります」


 結局、実質的な戦力外通告――あるいは隔離命令を受け、私は壁を拭くという名目で、一人で静かに城内を徘徊する権利を得た。

 雑巾を手に廊下へ出ると、先ほどの侍女長が壁に寄りかかり、ひどく消耗した様子で深い溜息をついていた。

 私の惨状のせいかと少しだけ良心が痛み、私はそっと声をかけた。


「……侍女長様。私のようなぽんこつを押し付けられて、ご苦労をお掛けします」


「……ええ、本当に。でも、私の頭痛の種はあなただけじゃないのよ……」


 侍女長はやつれ切った顔で、周囲に人がいないことを確認してから声を潜めた。


「つい先ほどよ。後宮からフェリシア様が、直接殿下に抗議にいらっしゃったの。……それだけならまだしも、あろうことか殿下と取っ組み合いの喧嘩になってね……」


「取っ組み合い……フェリシア様がですか?」


 私は思わず目を見開いた。

 あそこまで貴族の体面と誇りに固執していた彼女が、王太子に物理的に掴みかかるなど尋常ではない。


「ええ。衛兵が止める間もなかったらしいわ。結局、フェリシア様は突き飛ばされて机の角に頭を打って怪我をされ、医務室へ運ばれていったとか。殿下は無傷だったけれど、戴冠式を前にしてピリピリしていらしたのかしらね……」


(……おかしい)


 私は相槌を打ちながら、脳内でその光景を思い浮かべ、即座に違和感を覚えた。

 後宮にわざわざ囲い込んでいる花嫁候補に物理的に手を上げるなど、周囲の心象を落とすような非合理的な真似を、あの盤面の支配者がするだろうか。


「フェリシア様は、殿下から後宮を取り仕切るように言われたと仰っていましたが……」


「あぁ、そうだったわね。あなたは昨日まで後宮にいたのよね。だったら私より詳しいでしょう。なんでも、スコット家の令嬢が大暴れして手が付けられないとかなんとか。フェリシア様も大変ね」


 頭を抱える侍女長の傍らで、私は悟られないように、眼鏡の奥でにっこりと微笑んだ。

 どうやら彼女には、私がそのノエルの侍女である事は伝わっていないらしい。

 ノエルの後宮リフォームは、今もなお絶賛進行中のようだ。

 フェリシアが体面を捨ててゼファレスに泣きつくほどのリフォームっぷりを、ぜひ隣で観戦していたかった。


「……大変ですね」


「ええ。だからあなたも、絶対に殿下の御前で粗相をしないようにね。……お願いだから、壁だけ拭いていて」


 侍女長はふらふらとした足取りで去っていった。

 その後ろ姿を見送り、私は手にした布で壁の装飾を撫でながら、廊下を行き交う人々や、慌ただしく指示を飛ばす文官たちの動きの観察を再開した。


 そうして城内を歩き回っているうちに、私はこの本城が抱える奇妙な歪みに気がついた。


 ――城内で実務を回している人間のほとんどが、平民なのだ。


 本来、国政の中枢を担うはずの貴族たちはどこにいるのか。


 聞き耳を立てて得た情報では――彼らは皆、耳障りの良い重役という名のポストに押し込められ、実務から完全に切り離されているようだ。

 豪華な執務室を与えられ、茶を飲みながら書類に判を押すだけの存在。

 それは明らかな飼い殺しだった。

 実務を取り上げられ、思考する機会すら奪われた貴族たちは、いずれ自ら考える脳さえも麻痺していく。ゼファレスは意図して彼らを無能化しようとしているのだ。

 それでも貴族たちが不満を漏らさないのは、思考を放棄し、地位にしがみついているからだ。


 あのドラグマキナ徴用制度だ。

 竜の力を国が管理し、ゼファレスの采配一つで貴族への恩恵が左右される制度。

 地位も力もゼファレスに依存している以上、彼らはもはや文句を言うことすら許されない牙の抜かれたただの犬だ。


 一方で、平民からのゼファレスへの支持は異常なほどに高かった。

 二十三歳という若さでの王位継承。それがこれほどまでにスムーズに、不自然なほどの早さで執り行われる背景には、平民からの圧倒的な後押しがある。


(この男……あまりにも隙がない……)


 手だけを動かしながら、私は王城で集めた情報と、この城の現状を頭の中で繋ぎ合わせていく。


 事の発端は、老朽化した治水工事だった。

 前王レヴォネスは、この国を真に動かしているのは貴族であると理解していた。

 だからこそ、彼は貴族側の機嫌を最優先し、多少の不正や中抜きも必要悪として許容する政治を行っていた。

 ゼファレスは、そこを突いたのだ。

 治水工事の予算が異様に膨れ上がり、そのしわ寄せとして平民に重税を課されていた――欲に目が眩んだと付け加えられていたが、恐らくゼファレスがそう仕向けたのだろう。

 その上で――下請けの貴族たちが多額の予算を中抜きしているという事実を、あろうことか平民に向けて暴露した。

 しかも、レヴォネス王がその不正を容認しているという致命的な証拠付きで。

 日々の重税に苦しむ平民たちの不満は、一瞬にして爆発した。

 王室と一部の腐敗した貴族への怒りが王都を覆い尽くす中、ゼファレスは素知らぬ顔で平民に寄り添う清廉な王太子として振る舞い、自らの手で父親を盤面から引きずり下ろしたのだ。

 表向きは国王の病状悪化による生前退位と発表されているが、実態は民意を武器にした完璧な王位簒奪(さんだつ)

 それが今回の急な戴冠式の真相だった。


 貴族たちは、自身の不正を握られている上にドラグマキナ制度で首根っこを掴まれているため、ゼファレスを潰すことなどできるはずもない。

 

 かくして、貴族を黙らせ、平民を熱狂させた完璧な独裁者が誕生した。


 これが、ゼファレス・ファ・ヴォルシュタインという男の戦い方。


 武力、政治、民意。そのすべてを完全にコントロールする、底知れぬ盤面の支配者。


 冷たい雑巾を絞りながら、私はズキズキと脈打つ左指の痛みを噛み締める。

 私はいま、そんな化け物の懐に、丸腰の侍女として立っているのだ。


(だからこそ――外側から崩せないなら、内側を探るしかない)


 私は布を固く絞り直し、周囲に人気がないことを確認すると、本城のさらに奥――普段は重役やゼファレスしか立ち入らないであろう、執務エリアの廊下へと足を踏み入れた。

 もし咎められても、「迷い込んで壁を拭いていました」とぽんこつを装えば誤魔化せるはずだ。


 分厚い絨毯の敷かれた廊下は、手前のエリアよりもさらに静まり返っていた。

 私は気配を殺し、壁の装飾を拭くふりをしながら、わずかに開いたままになっている一つの重厚な扉の前に差し掛かった。

 そこは、王太子の私室か、あるいは特別な休憩室のようだった。


 ふいに。

 扉の隙間から、ひどく苦しそうな、えずく声が漏れ聞こえてきた。


 私は息を止め、壁に張り付くようにして隙間から部屋の中を覗き込む。


 そこにいたのは――先ほどまで、平民を熱狂させ、貴族を震え上がらせていた盤面の支配者。

 ゼファレス・ファ・ヴォルシュタイン、その人だった。


 彼は上着を脱ぎ捨て、洗面台の縁に縋り付くようにして激しく嘔吐していた。

 吐き出す胃の内容物はとうにないのだろう。無理やりえづき、左腕のない肩を激しく上下させ、荒い息を吐いている。


「……はぁっ……クソ……ッ、あの女狐め……っ」


 かすれた声で、彼が呪詛のように吐き捨てる。

 フェリシアとの口論で、よほど腹に据えかねることでもあったのだろうか。

 いや、ただの口論で、あの氷のように冷徹な男がここまで肉体的な拒絶反応を示すものだろうか。


 そこにいるのはひどく醜く、惨めで、まるで重い病にでもかかっているかのような男の姿だった。


(……何かが、おかしい)


 私は壁の陰に身を潜めながら、冷たく目を細めた。

 あの異常な思考と、この肉体的な脆弱さ。

 完璧な盤面の支配者が抱える、不気味なほどのアンバランス。

 これが彼の欠陥なのだとしたら――そこから、この化け物の内側を食い破れるかもしれない。


「――誰だ、そこにいるのは」


 気配は完全に消したつもりだった。

 所詮一介の令嬢でしかない私に斥候の真似事など出来るはずがなかったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ