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造花の魔王  作者: 黒しろんぬ
終章 竜継の間 -造花の魔王と業火の火竜-
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113.晴れた空の下で

 陽光の降り注ぐ青空を、カグツチの大きな翼が風を裂いて進む。

 分厚い雲が消え去った空はどこまでも高く、眼下に広がる雪景色が、光を乱反射して眩しいほどに輝いていた。


 私はカグツチの背に身を預け、冷たい風の中で静かに目を閉じる。

 胸の奥にずっと蟠っていた冷たい塊が、嘘のように溶けて消えていた。

 終わったのだ。私の傲慢で独りよがりな、長い復讐の旅が。


 しばらく真っ直ぐに飛んでいたカグツチだったが、ふいに彼がゆっくりと高度を下げ始めた。

 向かっているのは、王城がまだ遠く眼下に見渡せる、雪の残るなだらかな丘だ。

 風を孕むようにして、静かに滑空していく。


「……カグツチ? どうかしたのですか」


 私が風の中で声を張ると、彼が首だけを少しこちらへ向けた。


「ごめん、さっきちょっと派手にやりすぎたかも。少しだけ羽休めさせて」


 声はどこか弾んでいたけれど、確かに少しだけ息が上がっているようにも聞こえた。

 それに――私が無理をして平気なふりをしているのを、きっと彼には見透かされているのだろう。

 私の身体は、極度の緊張と精神の摩耗から解放され、自分でも気づかないうちに微かに震えていたのだ。


「ルシア、疲れてるでしょ。風も冷たいし、少し休もう」


 ふわりと丘に降り立つと、淡い炎が彼を包み込み、すぐに人の姿へと戻った。

 私は行き場を失った腕ごと、がくんと沈み――次の瞬間、当然のように彼に抱き留められた。


「……自分で歩けますよ」


「そう? でも、雪が深いから危ないよ」


 そう言って、彼は私が歩きやすいよう、足元の雪が溶けて地面が覗いている場所へ私をそっと降ろした。

 私たちは、黒い煙を上げる王城を遠くに見下ろす丘の上で、二人きりになった。


 さきほどの喧騒が嘘のように、風の音しか聞こえない。

 見上げれば、澄み切った青空。


「……まさか、晴れにしてしまうなんて」


 私がぽつりとこぼすと、カグツチは「うん」と誇らしげに笑った。


「だってルシア、曇り嫌いでしょ?」


 空を覆う絶望を吹き飛ばした理由がそれなのかと、私は言葉に詰まる。

 呆れているのか、感極まっているのか、自分でもよく分からなかった。

 ただ、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


 私が何も言えずにいると、カグツチはふっと無邪気な笑みを収め、今度は静かに、私を真っ直ぐに見つめた。

 その黄金の瞳が、暖炉のように穏やかな熱を帯びる。


「……背中越しじゃなくて、ちゃんとルシアの顔を見て、話したかったんだ」


 その真剣な声色に、私の心臓が小さく跳ねた。

 私は彼から視線を逸らさないまま、静かに口を開く。


「……なぜ、命定改名(ミューテ・ノメン)から私の名前は守られたのでしょうか」


 そう問いかけながらも、本当は分かっていた。

 否、明確な仕組みを理解したわけじゃない。けれど、私の本能が、隣にいるこの温かな存在こそが理由なのだと告げていた。


「オレがルシアの名前を忘れるわけないじゃん」


 カグツチは事もなげにそう言って、優しく微笑む。


「……改名直後に、自分が何者か分からなくなったのは確かです。すべてが塗り潰されそうでした」


 私は静かに目を伏せ、あの時の黒くねっとりとした恐怖を思い返す。


「でも、カグツチに名前を呼ばれて……私は、私であることを思い出せました。あなたの声が、私を繋ぎ止めてくれた」


 カグツチがゆっくりと手を伸ばし、私の冷えた指先をそっと包み込む。

 彼の体温が、じわりと私の中へ流れ込んでくる。


「番になった時に、ルシアの因果はオレと繋がってる。あの繋がりは、誰にも切れない。だから、ゼファレスなんかに触れられるわけないんだよ」


「やはり……そうなのですね」


 彼の手の温もりに安堵し、私は微かに微笑んだ。

 見上げると、雲一つない空を背景に、カグツチも微笑んでいた。

 ただそれだけの事が嬉しかった。


「……ようやく、終わったんですね」


「うん……」


 これからの事を考えると――少し気が滅入りそうになる。

 人類の敵として生きていくという事は、命を脅かされるという事だ。

 でも――不思議と恐怖はなかった。

 復讐という果てのある旅路を目指していた私が、こんなにも、これからを思っている。


「……カグツチ、後悔はありませんか?」


「後悔?」


 聞くだけ野暮だった。

 そんなもの、彼の体のどこを探しても出てこない。そんな顔をしていた。


「――それよりも約束、覚えてる?」


「えぇ。そうでしたね……約束通り、私に出来ることであれば、なんでも叶えます」


 カグツチは、すぐには答えなかった。

 ただ、少しだけ視線を落として、言葉を選ぶように口を閉ざす。


 その沈黙に、私も思わず背筋を伸ばす。

 そして、ようやくこぼれたのは――いつになく優しくて、真剣な声音で、困ったような笑顔だった。


「……オレの前では、もう泣くの我慢しないで」


 息が詰まったような感覚。

 視線を逸らそうとして出来なかった。声が出なかった。

 その代わりに、ぽつりと――涙がひとつ、こぼれ落ちた。


 そんなことでいいのかと、呆れそうになった。

 世界を敵に回す最強の火竜が、私の命を救い、空を晴らした対価として求める見返りが、そんな些細なことだなんて。


 けれど。

 あぁ、そうだ。私はずっと――誰かにそう言ってほしかったのだ。


 あの日から、一人で復讐を背負うために私は造花となった。

 泣いてしまえば立ち止まってしまうから、自分の弱さをひた隠しにして、復讐を遂げるまでは枯れてはならないと誓いを立てた。

 私が何重にも鍵をかけて閉じ込めていたその脆い心臓に、彼はこんなにもあっさりと、優しく触れてしまった。


「……っ、……あ、あぁ……っ」


 声を殺そうとしたけれど、無理だった。

 奥歯を噛み締めても、次から次へと涙が溢れて視界を滲ませる。

 こんな風に声を上げて泣きじゃくるなんて、私らしくない。そう思うのに、せき止められていた感情の堰は完全に決壊していた。


「カグツ、チ……っ、わたし、わたし……っ」


 言葉にならない嗚咽が漏れる。

 世界を終わらせる魔王の玉座に座ったはずの私が、ひどくみっともない顔で、ただの子供のように泣きじゃくっている。


「……うん。いいよ、ルシア。ずっと我慢してたんだから」


 カグツチは何も言わず、私の背丈に合わせるように、雪の上にそっと片膝をついた。

 そして、ただ優しく、私をその大きな腕で包み込んだ。

 あたたかい腕の中で、私は彼の分厚い胸に顔を押し当て、声を上げて泣いた。

 彼が私の震える背中を、宥めるように、何度も何度も撫でてくれる。


 その体温が、言葉が。

 私という個を、髪の毛一本決して取りこぼすことなく、たしかにここに繋ぎ止めていた。


「――ルシア。オレは……君を臓器として見つけた。でも君の怒りに触れて、気付いたんだ」


 その言葉に私の呼吸が止まる。


「尽くす事が竜種の幸せ――それがオレには、もう出来ない」


 カグツチの手が、そっと私の手を覆った。


「ただ、隣にいてほしい。オレが君の剣であることに変わりはない。けど――」


 そこで一拍、彼は視線を深く落とす。


「……戦いが終わったら、剣にも帰る場所が必要でしょ?」


 それは、竜としての本能でも、番としての理屈でもなく――ただ一人の個としての願い。


「だから、竜の言葉でも、人間の言葉でもなくて……オレの言葉でどうしても君に伝えたい」


 見たこともないほどの真剣な瞳で私を射抜く。


「――オレの帰る場所になってほしいんだ」


 涙が、また一粒こぼれた。

 その涙をカグツチの指が拭う。


 涙はいつも悲しみとともにあると思っていた。

 けれど、今私の頬を伝うのは、まるで晴れの日に降る雨のように――とてもあたたかかった。

 こんな優しい涙があることを、私は生まれて初めて知った。


「……復讐の先には、何も残らないと……あなたに言いましたね。本気で、そう思っていたんです。何も残らない、何も残してはいけないと……」


 言葉を噛みしめるように、ゆっくりと吐き出す。


「でも……あなたが、いてくれた。――だから、私はまだここにいるんです」


 涙を拭ってくれたその手に、そっと手を重ねる。


「だから、わたしも願ってしまう。私はあなたの一部です。それはこれからも永遠に変わることはない……でも――」


 声が、震えそうになるのを抑えて。


「……あなたが、帰る場所になりたい。あなたが、もう振るわれなくて済むように」


 カグツチの瞳が、揺れる。言葉にできない想いが滲んでいた。

 そして、まるで祈るように彼は私を抱きしめた。

 温かくて、大きくて、ひどく心地よくて――涙は止まらなかった。


「私を未来(ここ)まで連れてきてくれて、ありがとうございます」

 

 この涙が、終わりではなく始まりのものであることを、私はもう知っていた。

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